第101話 辨道話その九十 今この瞬間に始まる
「
しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはむ哲匠、あはせて道をとぶらひ
寛喜辛卯中秋日 入宋伝法沙門道元記」
仏法を国に広め行き渡らせようとすることは、帝王のみことのりを待つのが普通だが、今再び霊鷲山で釈尊が残し伝えようとされたことを思うならば、いま百万、何億という国々に現れた王や将軍など皆ともにかたじけなく釈尊の教えを受けて、遥か過去から仏法を護り維持する本来の心を忘れずに生まれてきたのである。こういうことであるから、仏祖の教えをを広めようということは、必ずしも場所や時期を選び環境が整うのを待たなくてもよいのだ。ただ今日がその始まりと思えばよい。
そこで、ここに書き述べたことを集めて、仏法を知りたいと願って専門に学ぼうとしている人々、仏道を求めて雲や浮草のように漂う仏法を心の底から学ぼうとしている人々に書き残すものである。
「けふをはじめとおもはむや」。人間は今この瞬間しか生きられない。過去は過ぎ去って存在しない。未来はこれから先のことだから存在しない。今この瞬間をどう生きるかしか人間にはないのだ。
過去がどうであっても、今この瞬間がすべてなのだ。過去に過ちを犯したとしても、そしてその過ちは現在にも影響を及ぼす(因果の法則)けれども、今この瞬間を一生懸命に生きるしかないのだ。そして今この瞬間に行ったことが因果の法則により将来に影響を与える。瞬間瞬間の積み重ねが生きるということなのだ。
過去を思い煩ったり、将来を心配したりしても何も生まれない。今この瞬間を生きる。一生懸命に生きる。それしかない。
今この瞬間をどう生きればよいかは坐禅が教えてくれる。
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