第87話 辦道話その七十六 日常生活は修行である
「大宋国には、いまのよの国王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門文家、いづれも参禅学道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。」
偉大なる宋の国においては国王、大臣、官僚、男女の庶民みな心を釈尊の教えに心を留めないということはない。武士も学者もいずれも坐禅し仏道を志している。志す者は必ず大宇宙の真実・真理が開け明らかにすることが多い。このことから世俗の日常生活が仏法を妨げないということが自然と知られるところである。
とにかく不可欠なことは大宇宙の真実・真理を知りたいということだ。真実・真理とは何かを知りたい。真実・真理を知ったうえで生きたいと願うことだ。
大宇宙の真実・真理を実現・実証するための唯一の方法が坐禅である。
だから坐禅さえしていればいいのだ。
出家して仏道修行だけしていなくても、坐禅さえしていれば大宇宙の真実・真理を実現・実証することはできるのだ。
そうでなければ仏教は人類全体を救えないものとなってしまう。日常生活の中に坐禅する時間をわずかでも見つけ坐禅すればそれで大宇宙の真実・真理を実現・実証することができるのだ。だから坐禅は、仏教は救いになるのだ。
日常生活では辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、予期せぬことが次々起こる。それに対して坐禅した身心は対応していくことができる。坐禅さえしていれば日常生活は自分自身を向上させる修行となるのだ。
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