第81話 辨道話その六十八 魂が救われる
私は正法眼蔵と出会うまで、宗教というのは精神的なものと感じていた。魂が救われる。死後魂が天国に行く、極楽浄土に行く、そのために信仰するのだと感じていた。
しかし道元禅師は身心一如であり肉体と精神、身と霊魂は一つであると説かれている。仏教はそういうものなのだと教えてくださっている。
肉体は滅んでも霊魂、魂は不滅だなどというのは「狂人の舌の響き」とおっしゃっている。
人間の究極の目的はこの日常生活を大宇宙の真実・真理に従って生きるということだと思っている。そのとき、肉体と精神を分けて考えることなどできないし、したところで何の意味があるというのか。この身心で必死に生きるしかないのだ。
この現実の森羅万象と向かい合いこの瞬間を一生懸命に生きるしかない。
魂がどうこうなんて悠長なことは言ってる暇はない。
宗教は人類を救うものでなければならない。
けれどキリスト教国もイスラム教国もその他の宗教の国々も平和を実現できていない。むしろ宗教が争いの種になっている。共産主義もあれは宗教みたいなもんだからやはり争いを生み出している。
結局人類を救い得る宗教は存在しないのではないか。
その中で私は仏教はその可能性が唯一あるものではないかと思う。ミャンマーは仏教国らしいけどあの有様だから、何を言ってるんだと言われてしまうだろうけどね。
でも坐禅して正法眼蔵読んで戦争することは不可能だと思う。現実の世界をごく普通に生きていけると思うんだけどなあ。「普通」とは大宇宙の真実・真理を実現・実証することであって、凄いことなんだけどなあ。わかってもらえないんですよね。
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