第74話 辦道話その六十二 霊魂不滅は仏教ではない

 「しめしていはく、いまいふところの見、またく仏法にあらず。先尼外道せんにげどうけんなり。いはく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知れいちあり、かの知、すなはち縁にあふところに、よく好悪こうあくをわきまへ、是非をわきまふ。痛痒つうようをしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり。しかあるに、かの霊性れいしょうは、この身の滅するとき、もぬけてかしこにむまるるゆゑに、ここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見、かくのごとし。」

 第十問答の回答。

 示して言う。今質問してきた考え方はまったく仏法ではない。先尼と呼ばれる仏教以外の考え方である。つまり、この仏教以外の考え方では、自分自身の中に一つの霊魂というものがあり、この霊魂は環境に応じて良い悪いを判別して、是非を判断する。痛痒を知り、苦楽を知るのはみなこの霊魂の力である。そうであるけれど、この霊魂は、この肉体が滅びる時、肉体から脱け出して別のところに生まれるのであるから、今ここでは滅びたように見えるけれども、別のところに生まれているのだから、永遠に滅びることなく常に存在するというのである。仏教以外の考え方はこのようなものである。

 ここに道元禅師が「仏教の考え方ではない」と書いておられることは、現在一般に仏教の教えのようにとらえられているのではないだろうか。

 肉体と霊魂の2つがあって、肉体は滅んでもつまり死んでも霊魂は滅びない。永遠に生きている。よくそういうことが言われているように感じる。

 しかし道元禅師はおっしゃる「またく仏法にあらず」。

 今の社会で仏教がいかに弱くなってしまっているか。それがよくわかる。

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