第65話 辦道話その五十四 人間は本来真実・真理の存在なのだ

 「すでにしょうをはなれぬしゅあり、われらさいはひに一分いちぶん妙修みょうしゅを単伝せる、初心の弁道すなはち一分の本証を無為むいにうるなり。」

 既に大宇宙の真実・真理を実現・実証することと切り離して考えてはいけない坐禅がある。我々は幸いなことにこの自分自身に考える対象ではない素晴らしい坐禅というものを引き継いでいるのだ。だから初心の坐禅により即座にこの自分自身の身心に本来備わっている大宇宙の真実・真理の実現・実証を作為無く自然に得ることができるのだ。

 重要なことは繰り返し繰り返し言わねばならない。

 我々は本来真実・真理の存在なのだ。真実・真理そのものなのだ。しかし生きている中で、欲望、見栄、利得に憑りつかれ、知識や情報を脳味噌の中でこねくり回しているうちに、本来の姿を見失い、真実・真理からどんどん遠ざかって行ってしまう。

 本来の姿、真実・真理に立ち戻るためには坐禅するしかない。どんなに知識を蓄えても、どんなに考えても無駄なことだ。

 身心を坐禅の姿勢に整える以外に真実・真理に立ち戻る方法は無い。

 坐禅さえすればいいという意味では、これくらい価値のある、ありがたいものはない。

 坐禅した身心は真実・真理そのものとなる。その状態は安楽の法門としか言いようがない。

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