第57話 辦道話その四十六 思想の罠に捕われるな

 「しかあるを、いまはまさしく仏印ぶっちんによりて万事ばんじ放下ほうげし、一向に坐禅するとき、迷悟情量のほとりをこえて、凡聖ぼんしょうのみちにかかはらず、すみやかに格外かくがい逍遙しょうようし、大菩提を受用するなり。かの文字もんじ筌罤せんていにかかはるものの、かたをならぶるにおよばむや。」

 そういうことであるので、今この瞬間釈尊とまさに同じ形によってすべてを手放してただひたすら坐禅するとき、頭の中で考える迷いであるとか、悟りであるとかというような思い計りの世界を超越し、凡人がたどる道とか聖人の道だとかそんな区別は関係がなくなり、坐禅したその瞬間に人間が考えた枠組みを乗り越えて大宇宙をのびのび自由自在に歩き回り、偉大な真実・真理を受けとめ使いこなすのである。文字というものは魚を獲る網やうさぎを獲る罠のようなものであり、そのようなものである文字に絡めとられているような人間が坐禅した人間と肩を並べるなどということはあり得ないことである。

 人間は文字という罠、思想という罠に堕ちこみ捕われてしまう。今の世の中、言葉を吐き散らかす人間、理屈を吐き散らかす人間がうようよしている。彼らは「自分の考えは正しい。すごい」と思ってるんだろうが、単に文字の罠、思想・自分の考えの罠に捕われているだけのことだと感じる。捕われているというより囚われていると言った方がいい。

 プーチンなんかその典型だろう。言ってるだけにとどまらず、実際に殺戮と破壊を実行してしまっている。

 歴史を見れば文字の罠、思想の罠に囚われたことにより引き起こされた冷酷非道、残虐無残なことばかりではないか。

 頭脳を偏重するのを一旦立ち止まって見直せ。

 頭脳を使う前提としての身心の状態に目を向けなければだめだ。

 坐禅して身心を大宇宙の真実・真理と一体として初めて頭脳は正常に機能する。

 大宇宙の真実・真理と一体となった身心は、人間本来のものだ。本来の姿に戻ろう。

 大宇宙の真実・真理と一体となった時、本来の姿になった時、「格外かくがい逍遙しょうようし、大菩提を受用する」のだ。人間があーだこーだ言って作った枠組みを超越し、大宇宙の真実・真理の中をのびのびと自由自在に歩き回ろうじゃありませんか。

 坐禅しましょう。

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