第50話 辦道話その三十九 人類は進歩していない
「いはむやふかく
前回の最後の部分を取り上げてみる。
道元禅師は真実・真理を体得すること、仏道の最大の妨げになるものとして名利、利貪を上げておられる。
名誉や利得、そして名誉や利得を貪ることに憑りつかれてしまえば真実・真理は永遠に手の届かないものになる。最も憐れなことだ。
私は大宇宙の真実・真理以外に求めるものは無い。体得できたと言い切れはしないが、大きく背くことは無いと思っている。
今の世の中は名利、利貪に憑りつかれた人間に満ち溢れている。「夢」「希望」と綺麗な言葉で言いかえているけれど大半は名利、利貪そのものではないかと思えて仕方がない。
人間には欲望がある。当然だ。食欲が無ければ生命は維持できない。性欲が無ければ人類という種は絶滅してしまう。会社が利益を追求するのも当然だ。製品やサービスが人々の生活の向上に益するためには利益を上げなければ事業を維持できない。また、人々に支持されなければ利益は得られない。だから利益を追求するのは当然だ。
問題は欲望を「適正」なものにすることだ。「適正」とは何か。坐禅して大宇宙の真実・真理と一体となれば自然と欲望は適正なものになる。頭で考えて食欲はこれくらい、性欲はこれくらい、会社の利益はこれくらいなんていうようにコントロールできるものではない。
適正な欲望にするためには、坐禅することによって自受用三昧、自分を受け取り自分を使いこなすことが自由自在になった身心でなければ不可能だ。
現代人は「考えればできる」と思い込んでいる。これは妄想だ。今の世の中見てご覧なさい。諍い、暴力、低劣な言動に満ち満ちているではないか。事件が起こる度に能書きがたくさん出てくるけど、同様の事件は後を絶たない。理屈をいくら言ったってそれは役に立っていないではないか。
平和平和と叫んだってロシアが戦争を仕掛け、殺戮と破壊を繰り広げるのを止められなかったじゃないか。北朝鮮の核武装を止められないじゃないか。各国は軍事力に強化に走っているではないか。結局過去の戦争から何も学んでないのではないか。結局は武力の恐怖の均衡でしか国は守れない。それが今も昔も人類の姿ではないか。
色んな思想、法律、国際機関などが生まれたのかもしれないけど、何かの役に立っているのか。何も変わらないではないか。人類は進歩していない。
何回も書く。
まず身心を大宇宙の真実・真理と一体としなければ何も始まらない。それは身心を本来の状態に戻すことであって神秘でも何でもない。ごく普通の状態になるだけのことだ。ただ、そのことが理解されていない。だから本質的なこと、根本的なことが解決されずに愚行が繰り返されている。
愚行を止めよう。そのためには坐禅するしかない。
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