第51話 辦道話その四十 本を読んでも真実・真理はわからない

 「ただまさにしるべし、七仏しちぶつ妙法みょうほうは、得道明心とくどうみょうしん宗匠そうしょうに、契心証会けいしんしょうえ学人がくにんあひしたがうて正伝すれば、的旨てきしあらはれて稟持ひんじせらるるなり。文字習学もんじしゅうがく法師ほっしのしりおよぶべきにあらず。しかあればすなはち、この疑迷をやめて、正師しょうしのをしへにより、坐禅辨道して諸仏自受用三昧しょぶつじじゅようざんまいを証得すべし。」

 第三問答の最後のところ。

 まず言葉についてだけど、七仏とは釈尊以前の仏が釈尊を含めて7人いたということから七仏とか過去七仏と言われている。大宇宙の真実・真理は無限の過去から存在している。釈尊が大宇宙の真実・真理を生み出したのではない。釈尊は大宇宙の真実・真理を人間が体得する方法をお示しになられたのであって、釈尊以前に大宇宙の真実・真理を体得された方々がいるのは当然のことだ。

 純粋に知らなければいけない。七仏が伝えてきて大宇宙の真実・真理を体得する方法=坐禅は仏道を体得し真実・真理を明らかなものとした指導者に、釈尊と同じ真実・真理を求める心を持ち、真実・真理を自らの身心で経験した仏道を学ぶ人が従って正しく伝えるならば、その根源が現れしっかり身に着くのである。このことは文字を読んで(経典を読んで)仏道を学ぼうという人間(法師)が知ることができないことである。そういうことであるから、文字を読めばわかるなどという怪しげな迷いを捨て正しい指導者の教えにより坐禅することで仏道を学び仏と言われた方々と同じく自由自在に自らを受け取り自らを使いこなす状態を実際に身心で経験し体得せよ。

 私は対人恐怖気味だし、今の世の中の人間には不信感しかない。だから寺や僧侶を訪ねたことは無い。本当にちゃんと仏教、仏道がわかっている坊さんがいるのだろうかという疑いしか持っていない。ほんとはいらっしゃるんでしょうけど。

 だから、道元禅師の教えに忠実ではないと言える。ただ、ひたすら正法眼蔵や道元禅師の著作を読み坐禅しているので、その点お目こぼしいただけるんではないかと願っている。

 ここで私が一番そのとおりだと考えるところは「文字習学もんじしゅうがく法師ほっしのしりおよぶべきにあらず」というところだ。

 今の世の中、本を読めばわかる、情報を集めればわかるという妄想に憑りつかれている人が溢れかえっている。

 しかし文字習学では真実・真理を知ることなど到底できないのだ。

 澤木興道氏は饅頭はどんなものかを百万言費やしてもわからないが一口食べれば即座にわかるとおっしゃっている。西嶋和夫氏も泳ぎ方をいくら本で読んでも泳げるようにはならない、水の中で手足を動かして初めて泳げるようになると書いておられる。

 大宇宙の真実・真理は、本来の自分の姿=真実・真理の状態は、どんなにたくさん本を読んでも、ネットで情報をかき集めても、絶対に体得できない。この身心で坐禅するほかに方法は無い。

 ここが今の世の中の人間が一番理解できない、理解しようとしないところだ。

 しかしそれでは永遠に人類は救われない。

 坐禅しましょう。

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