遺書私説暴論の正法眼蔵
Aba・June
第1章 私と正法眼蔵 私と宗教
第1話 なんで正法眼蔵を読むようにになったのか
私は今年還暦をひとつ越えた。正法眼蔵を読み始めたのは30年前だ。
その時会社でいじめられていた。村八分状態。何故そうなったのか。
私がプロジェクトは失敗すると言ったからだ。「この若造が!言われた通り黙ってやれ!ばーたれ!」という訳だ。
おかしいものをおかしいと言ったらこうなった。
正しいってなんだ?真理とか真実ってある筈なんじゃないのか?私は七転八倒した。
その中で正法眼蔵を手に取った。なんで正法眼蔵だったのか。わからん。偶然、本屋で手にしたのが正法眼蔵だった。
それ以来正法眼蔵にすがって生きてきた。
宗教なんて全く関心はなかった。
私は思う。宗教を必要とするのは死を意識したとき、生きていることに疑問を持ったときだ。普通に生きていられてるなら宗教なんてなくても一向に差し支えない。
私が正法眼蔵をどう読んできたのか。そのことを書いておきたい。
死ぬまでにできるだけ書き残したい。遺書みたいなもんだ。
しかつめらしいのは嫌いだし、もっともらしい顔をするのも嫌いだ。できるだけ面白く、できれば笑いがあるように書こうと思う。
ついでに書いておくと、結局そのプロジェクトは失敗して地方に飛ばされていた私は後始末のために呼び戻された。なんじゃこりゃ。
ま、いいや。これから折を見て書いていきます。
なお、私が読んだのは岩波文庫「正法眼蔵」水野弥穂子校注、澤木興道氏の提唱録等、内山興正氏の著作、西嶋和夫氏の提唱録等である。
解釈は独断だ。私の頭の程度でそう思っただけのことだ。私がそう思って生きてきたんだから他人からとやかく言われる筋合いはない。
仏教学や宗教団体のことは全く知らないので、その人たちから何か言われても「あーそうですか。私には関係ない」というだけのことだ。私は自分のことを書いているだけで、それを他人に押し付ける気はない。上にも書いたけど、遺書だ。遺書に文句つけると罰が当たるぞ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます