狼の森
倉谷みこと
第1話 道に迷った少女と人狼
とある村に、『狼の森』と呼ばれる森がありました。
その森は、昔から人狼が住んでいるので、そう呼ばれるようになりました。
村には、森にまつわるこんな言い伝えがあります。
――狼の森に入ってはならない。入れば、
大昔、村人と人狼との間に争いがあったようなのですが、詳しいことは誰も知りません。ですが、村人はみんな、言い伝えを守って森には近づきませんでした。
そんなある日のこと。
一人の少女が、狼の森をさまよっていました。
ミルクティー色のボブヘアが似合う、赤いギンガムチェックのワンピースを着たかわいらしい少女。彼女の名前はシャルロット。友達の家に遊びに行った帰り道、通りかかった猫のあとをついて行くうちに、森に迷い込んでしまったのです。
気がついた時には、猫はどこかに行ってしまったあとでした。
(どうしよう……。森には入っちゃいけないって言われてたのに……)
彼女の不安をあおるように、頭上からバサバサという音が聞こえてきました。
シャルロットは、小さな悲鳴をあげて肩を震わせます。
音はすぐに消えて、静寂が戻ってきました。
おそるおそる辺りをうかがいますが、木々の他にはなにも見えません。どうやら、鳥が飛び立っただけのようです。
少しだけホッとしたシャルロットは、もう一度周囲を見回しました。そこまで遅い時間ではないはずなのに、辺りは薄暗く数メートル先の木々を確認するのも難しい状況です。
急に心細くなった彼女は、早く帰ろうと歩きだしました。けれど、行けども行けども森の出口に近づく気配はありません。
(どうして? こっちであってるはずなのに)
謎の自信を持つシャルロット。ですが、彼女は今までに一度も森に入ったことがありません。おまけに方向音痴なので、迷わないはずがありませんでした。
「進む方向、あってるよね……?」
代わり映えしない光景に、シャルロットは不安を覚えて立ち止まりそうつぶやきます。しかし、答えてくれる人は誰もいません。虫の声さえしないのです。
痛いくらいの静けさに、シャルロットは怖くなりました。ふいに、涙があふれます。
早くここから出たい。早く家族に会いたい。
そんな思いと焦燥感に駆られた彼女は、乱暴に涙を拭うとまた歩きだしました。
涙を浮かべながらも懸命に歩いていると、視界が開けて一軒の家が見えました。丸太を組んだログハウスのような建物です。
ホッとしたシャルロットは駆けだしました。誰でもいいから、他人に会いたい。そんな気持ちだったのでしょう。
玄関前に着くと、呼吸を整えてから扉をノックしました。
しばらく待っていると、扉が開きました。
「あの、すいま――っ!?」
助けを求めようとして、彼女は驚いてしまいました。
扉から顔をのぞかせたのは、薄い青色のズボンをはいた紫色がかった黒い毛を持つ人狼だったのです。
「人間……? どうしてこんなとこに?」
人狼は、シャルロットを見てそうつぶやきました。透き通るような空色の瞳に、疑問の色が浮かんでいます。
彼のやや低い声に、シャルロットは怒られている気がしてうつむいてしまいました。
人狼は少し困った表情を浮かべると、
「どうした? 道にでも迷ったか?」
と、優しくシャルロットに話しかけました。
シャルロットは、うつむいたまま小さくうなずきます。
「そっか。ひとまず、中に入れ。疲れたろ?」
人狼はそう言って、シャルロットが入れるように扉を開けました。
しかし、彼女は動こうとしません。
「誰も取って食おうなんてしねえよ。安心しな」
彼が苦笑しながらそう言うと、シャルロットはおずおずと足を運びます。
「お……おじゃま、します」
「おう」
人狼はシャルロットをリビングに案内すると、適当に座っていてくれと言ってキッチンに行きました。
シャルロットがいすに座って大人しく待っていると、彼が戻ってきました。手にはマグカップを二つ持っています。
「ほらよ。それ飲んだら、少しは落ち着くだろ」
そう言って、マグカップをテーブルに置くと、人狼はシャルロットの向かい側に座りました。
シャルロットの前に置かれたマグカップからは、湯気が立ちのぼります。
「嫌いだったか? ホットミルク」
なかなか手をつけない彼女を不思議に思ったのか、人狼はそうたずねました。
シャルロットはふるふると首を横に振ると、小さくいただきますと言ってマグカップを手にしました。
それを口もとまで持ってくると、ミルク特有の甘い香りがします。ふうふうと少し冷ましてから一口飲むと、ミルクの風味と濃い甘味が口の中に広がりました。
「……美味しい」
そうつぶやくと、シャルロットの顔に笑顔が咲きました。
「多めに砂糖を入れたんだけど、口に合うようでなによりだ」
人狼はホッとしたようにそう言って、自身もマグカップに口をつけます。
二人がホットミルクを堪能していると、しばらくして人狼がたずねました。
「落ち着いたか?」
シャルロットは満面の笑みで、
「はい、ありがとうございました。えっと……」
「俺のことは好きに呼んでくれ。名前はないんだ」
「じゃあ、えっと……おおかみさん」
「おう。嬢ちゃんの名前は?」
そう言う人狼は、どこか照れくさそうです。
「あ! えと……あの、私、シャルロットって言います。助けてくれて、ありがとうございました」
「いいってことよ。それと、敬語じゃなくていいぜ。堅苦しいのは苦手なんだ。……それにしても、なんでこんなとこまで来ちまったんだ?」
人狼がたずねると、シャルロットは苦笑して猫を追いかけて森に迷いこんだことを話しました。
「まあここに限らず、森の中は慣れてねえと迷いやすいからな。引き返そうとはしたんだろ?」
「うん。もと来た道を戻ってたはずなんだけど、森から出られなくなっちゃって……」
「方向音痴か……」
つぶやいて、人狼はため息をつきました。
飲み終えたら帰れと言うつもりだったのでしょう。しかし、あてがはずれました。
「しかたねえ、家まで送ってやるよ」
「え!? でも……」
人狼の提案に、シャルロットは驚きました。遠慮してか、素直に受け取れず言いよどみます。
「一人じゃ、また迷子になるだろ?」
「それはそうだけど……」
「なら、素直に甘えりゃいいんだよ」
そう言うと、人狼はシャルロットの頭をなでました。
「それ飲んだら行くぞ」
人狼の言葉に、シャルロットはうなずいて、やや冷めてしまったミルクを一気に飲み干しました。
「ごちそうさまでし、た!?」
マグカップをテーブルに戻した瞬間、彼女は目の前の光景に驚きました。
目の前に座っていた人狼が、突然いなくなってしまったのです。それどころか、人狼が座っていた場所には、白のTシャツに黒のパーカーを着た人間の男性が座っていました。
「え……あれ? お兄さん、誰? おおかみさんは……?」
混乱しているのか、シャルロットは矢継ぎ早にたずねます。
「シャルロット、落ち着け。俺だ。おおかみさんだ」
彼女をなだめるように告げる青年。その声は、先ほどまで目の前にいた人狼の声と同じでした。
よく見ると、青年の髪色は人狼の体毛と同じ紫がかった黒色をしています。
「……本当に、おおかみさん?」
少し落ち着いてきたシャルロットは、まだ理解しきれていないのか疑問を口にしました。
「ああ、そうだ。おおかみさんだ。悪い、驚かせるつもりじゃなかったんだ。あのままだと、村には行けないから」
ごめんなと言って、青年は彼女の頭をなでました。
その手のぬくもりで、青年が人狼であると確信できたのでしょう、シャルロットは安心したように微笑みました。
「さて、行くか」
その言葉を合図に、二人は人狼の家を出発しました。
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