レイン日記

武藤勇城

2002年 5月16日

 2002/5/16(木)

 

 (前略)

 

 外は、今日も小降りの雨が降っている。

 その雨の中、どうも近くで仔猫の鳴き声がする。

 気のせいかな、と最初は思ったけど、耳を済ませてみるとやっぱり聞こえる。

 鳴き声につられて外に出てはみたものの、外は真っ暗でどこで鳴いているのか分からず、

 まぁ親猫もいるだろうし大丈夫だろう、と思って、家に戻って日記の続きを書き始めた。

 すると、一旦は鳴き止んだ声が、また聞こえてくる。

 

 「みー、みー・・・」

 

 か細く、明らかに助けを求めているような声に、

 再び外へ出て声のする近くまで行ってはみたが、声はすぐに聞こえなくなってしまった。

 人間を警戒しているのか、親猫を求める仔猫の泣き声のようだったけれど、

 その親猫も付近には見当たらない。

 幸い、雨に濡れそうもない、建物の下の方から聞こえてくるので、

 雨で体が冷えてしまう事もないだろう。

 親猫も時間が経てば帰ってくるだろうし、何しろ狭い隙間の方から聞こえる声に、

 人間では入り得ない場所で鳴いているとしか思えなかった。

 僕は仔猫の救出を諦め、また家に戻って、日記の続きを書き始めた。 

 

 日記を書く間、約30分、仔猫の助けを求める声は僕の耳に届き続けた。

 小雨の中、30分以上も鳴き続け、母親を求め続けていたようだ。

 しかし日記を書き終える頃になっても、未だ親猫は姿を現さないのだろうか、

 仔猫の鳴き声も心なしか、次第に弱々しくなってきたように感じられる。

 

 ―――これはいけない。

 

 何とかしてあげないと、この小さな命は燃え尽きてしまいそうだった。

 それはまるで、そよ風に揺らめくロウソクのような儚さで。

 まさに風前の灯だった、僕はそう感じた。

 

 昨日の日記を書き終え、アップしたのが12時過ぎ。

 それから、僕の必死の捜索が始まった。

 まずは先程と同じように、声のする近くまで行ってみる。

 ・・・間違いなくこの近くにいる。

 次に、もう少し近付こうと思い、その周囲の枯れ枝を取り払った。

 ・・・さっきより近くから声がする。

 一歩ずつ、救出に近付いているようだった。

 更に建物に近付いた時、僕はひとすじの希望を見出した。

 そこまで建物に近付いた所で、声はもうすぐ近くで聞こえる事に気が付いたのだ。

 この時、もし狭い建物の隙間、その奥深くに仔猫がいたら、

 僕1人の力では到底救出できなかったかも知れない。

 しかし、声はもうすぐ近く、そう、もう手の届く所から聞こえるではないか!

 

 僕は最後に、建物と僕の間にある最後の障害、植木の鉢を少しづつ除けていった。

 その時、僕は初めて気が付いた。

 猫の鳴き声は、この下から聞こえる!

 どうやら仔猫は、逆さまに積まれた植木鉢の隙間に入り込んでしまったようで、

 親猫もきっと、救いたくても助けられない場所に我が子が落ちて(?)しまったので、

 我が子の助けを求める声にも、救いの手を差し伸べる事ができなかったようなのだ。

 

 ・・・探しに来てみて良かった。

 

 僕は正直、そう思った。

 僕が救いに来なければ、間違いなくこの仔猫は、

 その短い生涯を寒空の下で終えたに違いないのだから。

 明かりの下で見てみれば、まだ目も開いていない、おそらく耳も聞こえていないだろう、

 その仔猫はそれどころか、未だ“へその緒”すら取れていないではないか。

 生まれてまだ、1日か2日目だろうか。

 雨の中で出会ったその仔猫を、僕は『レイン』と名付けることにした。

 

 『長い夜』だった。

 これはまだ、『長い夜』のホンの始まりでしかなかったのだ。

 

 僕はまず、その仔猫の体を拭いてあげることにした。

 安心したのか、先程までみーみーと鳴いていた仔猫が、

 今ではすっかり大人しくなって、僕の掌の中でうずくまっている。

 そう、片手の掌に収まってしまうほど、レインは小さかったのだ。

 一通りそれを終えると、今度はレインの寝床の作成だ。

 ある程度大きくなった猫であれば、一緒に布団の中に入れて眠る事も可能だが、

 レインはあまりにも小さすぎた。

 うっかり寝返りでも打とうものなら、レインを下敷きにしてしまいかねない。

 かといって、遠くで1人で寝かせるのも、すこぶる心配だ。

 そこで、小さめの箱 (20センチ四方ほどのもの)を探し、

 その床にティッシュペーパーを敷き詰めて、柔らかい寝床とした。

 

 真っ白の箱に、白と黒の斑模様のレインを入れ、真っ白のティッシュをかぶせる。

 顔の辺りの黒い模様だけがティッシュの隙間から覗き、

 まるで存在感のないレインが、その中に納まった。

 この時、一晩のうちに衰弱して死んでしまうのではないか、

 そう思えるほどに、レインは存在感もなく、すやすやと寝息をたてていた。

 仔猫の安らかな寝顔と裏腹に、僕は夜通し心配で眠れず、

 1時半に布団に入ったものの、4時半に起き、

 少し寝たと思っては6時に起き、7時に起き、7時半に起き。

 そうしている間も、レインの小さな息づかいと、時々何の夢を見ているのか、

 小さな声で寝言をいう姿を見ながら、感じながら、無事夜は明けた。

 

 朝になって、最初にした事は、レインの食事の準備だ。

 8時ではコンビニぐらいしかやっていないので、

 牛乳 (500ミリのパック)と、自分用の朝飯にパンを2つほど購入して。

 帰宅してからは、早速牛乳を与えてみた。

 まずは牛乳を、そのままでは濃すぎるので2倍ほどに薄めて。

 当然自力で飲む事はできないから、本当はスポイトがあれば良かったのだけれど、

 見付からないのでストローを使って飲ませてみる。

 ミルクの匂いを嗅がせても、レインは顔を背けてしまう。

 ・・・牛乳じゃダメなのかな?

 でも他に方法はない、とにかく無理やりにでも飲ませてあげないといけない。

 僕は嫌がるレインを押さえつけて、ミルクを一口二口、喉の奥へ送り込んだ。

 これ以上は無理か、仕方ないな。

 

 で、とにかくレインが生きている事に安心して、僕はそれからもう一度眠る事にした。

 昨晩は全くと言っていいほど眠れなかったから、今度は少し眠らせてもらおう。

 ぐっすり、といっても2時間ほどか、11時前に目を覚まして、

 またレインの面倒を見て、今日初めてPCを上げて、メルチェ。

 今日の午前中の仕事はほとんど出来なかったな、発送の準備をやったぐらいか。

 

 で、昼の発送の時にも、レインを寝床ごと車の中に入れて、一緒に行った。

 だって、心配でしょ、仔猫1匹置いてけぼりじゃさ。

 レインは、車の振動にはさすがにピクっと反応したけど、

 それから後は特に暴れるでもなく、大人しいもんだったし。

 無事発送も終了。

 

 (中略)

 

 この間にも、レインが鳴けば何だなんだって見に行ったり、

 (なかなか飲まないけど)ミルクを与えてみたり。

 一回、レインは服の上でお漏らしをした、服だけでなくジーンズもびちょびちょだ。

 とまぁ、これは余談になるかな。

 

 (中略)

 

 でその後、近くに住んでいる猫に詳しい親戚の所へ行って、

 ミルクを飲まないんだけど、どうしたらいいんだろうって相談に行った。

 ペットショップとかに行けば、仔猫用の哺乳瓶やミルクも売っているという話だけど、

 8時ではやっている所を知らないし。

 人間の赤ちゃん用でも代用が効くんじゃないかって話で、

 それなら24時間やっている薬局とかで購入できるんじゃないか、という情報を得た。

 早速、近所の薬局へ向かってみる。

 えーっと『入浴剤』、違う、『歯磨きコーナー』違うって・・・

 『幼児コーナー』これか、いや待てよ、もしかしたら『ペットコーナー』が・・・

 あった!『ペットコーナー』!

 犬用、猫用、成猫のエサは沢山あるけど、子猫用はさすがに少ないな。

 哺乳瓶も隅っこの方でやっと見付けて、しかも最後の1個。

 高ぇー、哺乳瓶1,500円もするよ、ミルクは1缶1,800円だし。

 やっぱ需要が少ないものだし、仕方ないのかな。

 取り敢えずゲット、早速家に戻って、説明書通りにミルクを作ってみる。

 という訳で、これでやっと、レインにまともなご飯を食べさせてあげる事が出来た。

 良かった良かった。

 

 そんなこんなで、今はもう11時半、暖かい寝床でレインはすやすやと眠っている。

 お腹も一杯になって、ぐっすり眠っているのかな。

 昨日の夜と同じように、時々何か寝言のようなものを言う。

 その度に何か変化はないかな、と心配して見てみるけど、ただ健やかに寝ているだけだ。

 いい夢でも見ているのかな、幸せそうな寝顔だ。

 今日買ってきた仔猫用のミルクで、僕自身もレインを育てていける自信が持てたし、

 このまま何事もなく、ただ健やかに育って欲しいな。

 ある程度大きくなったら、自由な外界に放してやってもいいし、

 レインが望むなら、安心できる家の中で一生を終えさせてやってもいい。

 兎に角、今はレインの成長を、ゆっくり見守っていこう。

 

 今日は長くなったけど、記念すべき日だ。

 この日記は生涯の記念として、大事に保存しておくことにしよう。


      2002年 5月 16日 23時55分

      自宅にて、新しい小さな家族とともに

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