十三. 思い出のあの場所へ

 デートは続いた。

 彼女は、相変わらず「痩せて」いたが、それでもあの「父親との一件」以来だろうか。不思議と食が太くなったように感じていた。


 というよりも、ようやく「人並み」に食べるようになった、が正しい。

 それでも、すぐに人並みになるわけではない。


 そのため、この猛暑の炎天下を歩かせることに、病弱な彼女の体力が耐えられるか、が心配だった。


 俺が次に選んだ場所は。

 「若者の街」、原宿だった。


 およそ「歴史」とは無縁の、現代の若者を象徴する街。

 だが、ここを選んだ理由は、もちろんあった。


 それは。

「すごい。甘くて美味しいわ」

 イタリア風の洒落たジェラート屋。


 実はこれも、妹が見つけてきたのだったが、何かのネット情報で見たのだろうか。若い女性がいっぱいいるその店は、原宿で有名なアイスクリーム屋だった。


 その混んでいる店先でアイスを買って、テイクアウトし、食べながら歩く。

 隣にいた彼女に、歩調を合わせてゆっくり歩く。


 真夏の炎天下の中、日傘を左手に持ち、コーンのアイスクリームを右手に持った、優里亜さんは、満面の笑みだった。

「優里亜さんって、こんなに笑うんだね」

 口に出した後、さすがにこれは失礼な言葉だと後悔したが、彼女は少しも嫌がる素振りを見せずに、


「女の子はね。スイーツの前では誰でも笑顔になるのよ」

 そう意味深なセリフを口にして、可愛らしい、小さな口でアイスを少しずつ食べていた。


 その後は、原宿を散策し、ついでに隣駅の渋谷まで歩き、ウィンドーショッピングを兼ねて、服を見た。


 さらに、炎天下に歩かせることを危惧し、映画に誘って、2人で見たのだった。

 その映画自体、若者向けというよりも、「おっさん向け」とも思える「時代劇」だったのだが、もちろんこれも彼女の「好み」に合わせたものだ。


 映画館の隣の席で、目を輝かせながら、巨大なスクリーンに見入る彼女の姿が、どこか「愛おしく」見えた。


 気がつけば、夏の長い陽射しが、西の空に沈もうとしていた。


 俺は、意を決する。

 最後に行く場所は、あらかじめ決めていた。


 これには、珍しく俺と妹の意見が一致していた。


 お台場だ。


 そのパレットタウンにある大観覧車は、この年の8月31日をもって、「営業終了」となる。


 その前に、彼女と一緒に行きたかった。


 そして、同時に、それは「最後の賭け」の舞台ともなる。

 前に葵と3人で行った時は、まさかこんな運命になるとは思いも寄らなかったのだが。


 土曜日ということで、観覧車は混んでおり、待ち行列が出来ていた。

 着いたのは、17時半頃だったが、だんだん陽射しが傾いてきており、俺は内心、「焦り」を覚えていた。


 何故なら、「夕方」という、ある意味で「ロマンチック」な時間を狙いたい、という意図があったからだ。


 女性はロマンチックなシチュエーションに弱い、というネット情報を、鵜呑みにしていた。というより、それに「すがり」たかったのかもしれない。


 ようやく18時半頃に観覧車に乗る番が来た時には、陽は大きく西に沈みかけていた。

 だが、夏の長い陽射しは、まだギリギリ光量を保っており、次第に上がるにつれて、西日が差し込む観覧車の車内は、眩しいほどだった。


 6人乗りの、比較的大きなゴンドラの車内で、2人きりになって、向かい合う。

 内心、心臓が今にも飛び出しそうなくらいに、ドキドキしていた。


 目の前の彼女は、西日に照らされて輝く、眼下の東京湾を見下ろしていた。


 時間はなかった。この観覧車が一周し、下に着くまでに済ませたい。


 いよいよ、最後の時が迫っていた。

 少し登り始めた段階で、俺は彼女をこちらに向かせるために声をかけた。

「優里亜さん」


「ん。何?」

 ようやくこっちを向いた彼女の顔が西日に照らされていた。薄暮の中でも、綺麗に見えるその表情。


 俺は、ゆっくりと口を開く。

「思えば、君とは『再会』したんだよね」

「そうだね。あなたはすっかり忘れていたけどね」


「でも、覚えてはいたよ。それに、今日の君の姿を見て、俺ははっきりと思い出した。あの頃からの自分の思いにね」

「えっ」


 そのスラっとした長い手足、黒髪ロングのストレート、細長い切れ長の目、そして長い睫毛まつげ

 最初は素っ気なくて、暗くて、痩せすぎていて、幽霊みたいで、時には頑固で、ダラしなくて、たまに何を考えているのか、わからないこともあった。

 でも、今はその全てが「愛おしかった」。


「好きだよ、優里亜さん。いや、正確にはきっと昔から好きだったんだと思う」

 運命の一言。

 彼女は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。


 だが、その瞬間に、彼女の瞳が「濡れて」いた。細い涙が頬を伝っていた。

「ゆ、優里亜さん?」

 女性を泣かせてしまったことに、おろおろとする俺に対し、彼女は、首を振って、


「ごめん……」

 とだけ言った。


 そうか。この恋は終わったか、と一瞬思って、俺は俯いていた。

 だが、

「違うの。これは『嬉し涙』だから」

 そう呟いた彼女の方を見た。

「じゃあ?」


「嬉しいの。あなたと再会した時、本当は私、とても嬉しかった。もう二度と会えないと思っていたから……」

 そんな「思い」を彼女が秘めていた、とは全く思っていなかった。何しろ、最初は「素っ気ない」人だと思っていたからだ。


「でも、再会して、仲良くなるうちに、あなたに助けられてばかりで、申し訳ない気持ちになったの」

「どうして?」


「だって、あなたはいつも私の心配ばかり。食事のことも、父とのことも、進路のことも」

「そうかな」


 嬉し涙を手で拭い、泣き笑いのような状態の彼女が、

「そうだよ。きっとあなたがいなかったら、私はまだ父とのことで悩んで、進路も決まらず、ますます食べずに不健康になっていた。全部、あなたのお陰よ」

 そう言って、潤んだ瞳を向けてきたのが、たまらなく可愛らしかった。


 陽がいよいよ西の空に沈みかけ、辺りは宵闇よいやみに包まれようとしていた。観覧車は頂上から、すでに下りに入っている。もう時間はあまりない。

 そう思っていると。


「大好きだよ、鳳条くん。ううん。圭介くん」

 泣き笑いのような、潤んだ瞳のまま、彼女は目を閉じた。


 観覧車のゴンドラの中は、すでに暗くなりかけていた。

 俺は、意を決して、彼女に近づき、そっと唇を合わせた。


 初めての「キス」の味は、ほとんど感じなかった。ただ、彼女の唇の異様なまでの柔らかさだけが頭に強烈に残った。


 そして、気恥ずかしさもあって、すぐに唇を離していた。


「あなたに会えてよかった」

 観覧車が下り、まもなく終着点に着くという時。


 たった一言、彼女が呟いたその一言が、俺には何よりも嬉しかった。

「人は人から必要とされると無上の喜びを感じる」

 と、何かの本かネットで見たことがあったことを思い出していた。


 最後に、俺は彼女に告げるのだった。


「優里亜さん。ちゃんと食事摂ってる? 今度、また何か作るよ」


「食べてるよ。でも、嬉しい。あなたが作ってくれる料理、とても美味しいから」


 この観覧車の「歴史」はまもなく終わるが、俺と彼女の物語は、「終わり」ではなくこれから「始まり」を告げる。

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