第34話 三日月刀 This Is His Sward

「どう?何か思い出した?それとも、今度は股間にお見舞いしようかしら?」

 女は小気味良さそうに笑みを浮かべて、じっと匠を見つめた。


「止めてくれ、ニムエ!」

 脳裏に蘇った女の名を、無意識のうちに叫んでいた。


「あらっ、私を覚えていたのね?うれしいわ!」 

 女はふざけるように弓を握った左手を胸に当てて見せた。おどけた口調だったが、その目つきは鋭く、怒りに燃えている。


「なんて、キュートなんだろう!」

 こんな状況だと言うのに、コケティッシュな仕草に匠は思わず魅了された。

 丈の短い黒っぽい上衣のウエストをベルトで締め、たすき掛けにした矢筒の負い紐が胸の谷間にかかり、ツンと上を向いた膨らみがくっきり浮き出している。

 狩猟用の服も、革のハーフブーツもあちこち薄汚れて、中世の生活の一端が垣間見えるようだ。けれども、その姿は過酷な自然界に生きる野生動物のように、精気に満ち満ちて輝いていた。


「死ぬほど怯えているくせに、何をじろじろ見てるの!本当にどうしようもない奴ね!」

 視線に気づいたニムエは、怒りをこめて吐き捨てるように言った。


「お前みたいな臆病者に、大陸最強の騎士だった兄上が倒されるなんて、今もまだ信じられない!」

「えっ?兄上を倒したって・・・何のことだ?」


 匠が思い出せたのは女の名前だけで、兄がいたことさえ知らないのに、身に覚えのない咎めを受けるのは解せない。


「とぼけても無駄よ!時間をかけて責め殺してやるから、覚悟するのね!」

「そんな・・・サディストみたいなことを言わないでくれ!本当に知らないんだ!」

 どうやら脅しではなさそうだ。匠はゾッとして懇願したのだが、不思議なことに、すらすらと古代イタリア語が口をついて出る。


「サディスト?何のことかわからない!」

 ニムエは眉をひそめて胡散臭うさんくさそうに言い返した。


 どうやら、サド侯爵はこの時代より後の人物らしい・・・

「残酷なことを言わないでくれって言ってるんだ!」

と、匠は言い直した。


「残酷?当然の報いよ!裁きを受けることもできたのに、黙って逃げ出したのは誰?どのみち死刑だったけれど、楽に死ねたはずよ!」

 ニムエは傲然と言い返した。

「それなのに、お前は逃げた!わたしは掟に従っているだけよ。仇討ちを認められた後継者はこのわたし!捕らえたら最後、お前をどうしようとわたしの勝手よ。絶対に楽には死なせてやらないからッ!」

 怒りをぶつけるように、激しく言いつのった。


「本当に何も知らないんだ!信じてくれ!君の名前しか思い出せない。兄上って誰だ?倒したなんて人違いだろう?」


 人違いという言葉にニムエが反応した。

「・・・そう言えば、村人はお前が記憶を失っていると言ってた。もし、人違いでお前を処刑したら、私の名誉は地に堕ちるし王位継承権も失うから・・・ ふん、いいわ!それなら、思い出させてやるまでよ!」

と言い捨てると、ニムエは弓を肩に掛け匠に向かって歩み寄った。


 二メートルほどの距離まで近づくと、ベルトに吊った短刀を引き抜く。刃渡りは三十センチを超えている。刃先は先端が広く刀身が三日月状に反り返っている。中東で作られたシャムシールだ。女は重みを確かめるかのように、おもむろに三日月刀を左右の手で交互に持ち替え始めた。

 最初はゆっくり、そして徐々にスピードをあげて小刻みに持ち替える。時おり片手で短刀の柄を支点に上下に回転させる。ドラマーがスティックを指でくるくる回す要領で、器用に軽々と扱っている。

 匠をじっと見詰めたまま短刀には目もくれない。わずかでも手元が狂ったら、鋭い刃が指の二、三本ぐらい簡単に飛ばしてしまいそうだ。左右交互にリズミカルに動く短剣の動きを、息を呑んで見つめているうちに、意識が吸いこまれるように、匠は催眠状態に陥った。デジャヴュのような感覚が蘇る。


「あの三日月刀、どこかで見た覚えがある・・・そうだ!オパル王家の狩猟小屋だ。サウロンがいた!逃げ出した娘も・・・そう、あの子の名はタリスだった!」

 唐突に蘇ったぼんやりとした記憶の断片に、匠は生唾をのんで目を見張った。

 嫌な予感がする・・・これ以上思い出さない方がいい!と強く感じて、短刀から慌てて目を背けた。

 注意深く観察していたニムエは、その変化を見逃さなかった。激しく詰め寄って叫んだ。

「やっぱり、見覚えがあるのね!お前がこの刀で兄上の喉を切り裂いたの!?」

「違う、喉じゃない、心臓だッ!」

 反射的に口をついて出た言葉に匠は愕然とした。

 そうだ!あの光景はあまりに生々しく、今まで忘れていたのが信じられない。ニムエの巧みな誘導尋問で、おぞましい光景が脳裏にフラッシュバックしたのである。

 仰向けに倒れた王の胸に深々と突き刺さった短刀と、間欠的に溢れ出す鮮血・・・その光景をまざまざと思い出したのが引き金となって、匠は一気に記憶の奔流に巻きこまれた。

 次々に鮮明に記憶が蘇った。匠は悲鳴のような叫び声を発した。

「うわッ!」

 

 ニムエはそれを狙っていたのだ。顔の間近に矢を射こんだのも、短刀をリズミカルに持ち替え催眠状態に誘導したのも、匠の記憶を蘇らせるためだった。戦乱の時代を生き抜いたこの中世の王女は、武術だけでなく人の心を操る奸智かんちにもけている。

 ニムエはオパル公国はアテナイア王家の生まれである。当時の匠はアトレイア公爵家の跡継ぎで、二人は同い年だった。幼い頃、一緒に遊んだ無邪気なニムエの姿も蘇った。

 はるか遠い日の幸せだった頃の自分たちの姿が・・・


 ニムエは深く息を吸って、不気味なほど静かな口調で尋ねた。

「記憶が戻ったようね。でもそのことを知ってるのは犯人か目撃者だけよ」


「殺したかどうかわからないんだよ。覚えてないんだ!」

 正直に話すしかないと腹をくくった。なぜか記憶が一部途切れている・・・誰がサウロンを殺害したのか思い出すことができないのだ。その後、この国の村人の家で目を覚ますまでの経緯いきさつも・・・

 

「記憶は戻ってるのに、殺したかどうか覚えてないって言うの!?ずいぶん都合のいい話ね!」 

 ニムエは短刀を右手で握りしめてキッと匠を睨みつけた。


「本当だ!サウロンと言い争ったのは覚えている・・・でも、その後のことはわからないんだ!気づいたら、サウロンはその短刀で刺されて倒れていた・・・」

 事実だったが、これでは言い逃れしか聞こえないだろう、と匠は絶望的な予感に怯えた。

 ニムエは奇妙なほど静かな声でこう尋ねた。

「お前はブラックロータスを持っていたわね!?」


「ブラックロータス?ああ、持っていたよ。薬草を仕入れる時に一緒に買っている。不眠症の人用に少量だけだ。でも、なぜそんなことを聞くんだ?」


 ブラックロータスには強い催眠作用があるが、アフリカ産の薬用植物で簡単には手に入らない代物である。


「兄上の顔や服に粉がついていたわ!」

 ブラックロータスの粉は記憶にない・・・匠が戸惑っているとニムエが鋭くたたみ掛けた。

「お前が兄上と戦って勝てるはずがないもの!国防軍にも入らずに、ヒーラーになったお前には、かすり傷ひとつ負わせられっこない!」

 

「じゃあ、僕がサウロンにブラックロータスを吸わせて殺したって言うのか?それなら僕も眠りこんでしまう・・・」

 驚いて言い返した匠は、途中で言葉を濁した。心に恐ろしい疑惑が浮かんだのだ。

 もしかしたら、ブラックロータスの副作用で記憶がないのかも知れない。僕がサウロンを手にかけたのか?


 まさかそんな・・・



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