第33話 謎の訪問者 Mysterious Girl

 小一時間走って家に着いた貴美は、指紋認証でドアを開けた瞬間、予感が的中したと悟った。

 食堂の隣の広々とした居間のソファーに匠が横たわっている。ぐっすり眠っているように見えるが、時々うめくように寝言をもらす。イタリア語のようだがよく聞き取れない。顔が汗ばんで、Tシャツにも汗が染み出していた。


 大変ッ!

 あわただしく居間へ入った貴美は、ビクッと身体を強張らせて立ち止まった。玄関を入った時、出がけにはなかった物が目に入ったのだが、気が急いていたため確認せずに居間に駆けこんでしまった。

 あれは、宅配ボックス?

 今朝、匠に買い物を頼んだのを思い出した。弟はいつも買い物を抱えて持ち帰るのに、今日に限って配達するよう頼んだの?

 不審に思い、振り向いて玄関の方をうかがった瞬間、貴美は全身に不気味な衝撃を受けた。

 うそっ、背後に回られた!そんなッ!誰の気配もなかったのに・・・まさか、テレポーター?それじゃ、第三世代・・・なぜ、味方でしょ?・・・

 脱力して倒れこむ身体を脇の下で支えられ、床に寝かされるのを感じたのを最後に貴美の意識はスーッと薄れた。


 侵入者はいったん横たえた貴美の身体を抱き上げて、居間を通り抜け貴美の部屋に入ってベッドに横たえた。

 均整のとれた身体つきだが、大柄な貴美を楽々と持ち上げる力がどこにあるのか不思議なほど小柄だ。黒いジーンズに黒い毛織りのフードコートを羽織り、フードですっぽり頭を覆っている。

 毛布を丁寧に肩まで掛けてから、額に手を当てると、不意にその手が柔らかな白い光を放ち始め、身体全体を覆うように広がった。そのまま身をかがめて、何か語りかけるように貴美の耳元に顔を寄せた。

 しばらくすると耳元から顔を離して、左手首を持ち上げ、貴美の右手を掴んで指をIDのパネルにかざしてログオンした。電話機能を呼び出して、ボイスメールに設定した侵入者は、滑るような足取りで部屋を出て居間に戻った。

 ソファに横たわったままうなされている匠の傍に、片膝をついてじっと様子を窺うと、フードの陰から色白のふっくらした頬がわずかに覗いた。匠のIDの電話モジュールも留守電に設定すると、流暢な日本語で話しかけた。


「また会えましたね、公爵様」

 その言葉は、しかし、匠には聞こえなかった。すでに意識は遥か遠い昔に同化しつつあった。中世イタリアで追手の女に追い詰められ、射込まれた二本の矢に首を挟まれ立ち往生していた。女は狩猟服のような出で立ちに、背中に矢が詰まった矢筒を背負い、片手に弓を持ったまま栗色の目を爛々と輝かせて匠を見詰めている。


「どう?何か思い出した?それとも、今度は股間にお見舞いしようかしら?」

 女は面白がってせせら笑った。匠にはその言葉がはっきり理解できた。

 もはやただの悪夢ではなかった。現実そのもののように鮮明で途切れなく続いて、両首筋の細い切り傷からは血が滲み出す。恐怖にうなされる匠の口から、異国の言葉が漏れた。


「止めてくれ、ニムエ!」


 異国の言葉を理解したらしく、侵入者は立ち上がり玄関に向かった。宅配ボックスの中を探り防水シートを取り出すと、匠の部屋に入りベッドの上にシートを広げ、裏側のパッドで四隅を固定した。居間に戻って匠の身体を持ち上げ、部屋に運び入れベッドに寝かせる。枕を頭の下にあてがったが、毛布は掛けなかった。

 次いで、コートの内側から奇妙な物を取り出す。手首と足首を傷つけないようクッションで覆われた手枷と足枷だった。付属の固定用の金具をベッドの四隅に嵌めこんで、匠の手足に取り付けた。作業が終わるとベッドの脇にきちんと正座して、居住まいを正して両手を膝に乗せて背筋を伸ばした。


 眠ったり気絶していた時間は再現されない、と少女は知っていた。タクは過去生でのほぼ五日間の出来事を、まる二日で再体験することになるわ。

「体力が持つかしら?」

 少女はひたすら案じていた。うまくことが運べば、その後ひと晩で匠は一気に覚醒する。けれども、心身が一気に進化するには、今回は自力で覚醒しなければならない・・・

 この時が来るのを見越して、少女は匠の成長を二十二年間密かに見守り、必要とあれば悟られぬよう介入して準備を整えてきたのである。この十日間がまさにそうだ。

 匠は夢も見ずに熟睡して体力を蓄えているし、いつもの腹八分目より多めに食べて二日間の絶食にも備えている。そうなるよう仕向けられたとは、本人はもとより貴美も感づいていない。フィールドトリップと脳心理研究所での出来事、貴美へのプレッシャーや匠の筋トレも、人類の脳では単なる偶然の積み重ねとしか捉えられない。

 全体像を把握する能力を備えるこの少女が、そのすべてに関わっていたと気づく者がいるとすれば、人工知能プライムしかいない。


 ただし、アイランドのナラニは、第三者の介入に感づいている。そして、ナラニは成り行きに任せると判断したはずだ。さもなければ、第二世代のリーダーは務まらない。


「サンクチュアリの第二世代は、リーダーを選ぶに当たって正しい選択をしたのね」

 少女はかすかな笑みを浮かべた。

 プライムを巻きこんだ私の選択は、果たして正しかったのだろうか?

 千年前のあの夜、匠に自らが語った言葉を思い起こし、少女は憂いがちな目を伏せたまま、祈るような気持ちで自問自答していた。

「良かれと思ってやったことが役立たないばかりか、逆効果になることさえあります」

 その答えが間もなく明らかになる。



 同じく自室のベッドに横たわる貴美にも異変が起きていた。全身を包む淡い光は次第に輝きを増して、七色の光沢が入り混じって煌めき始め、ついには虹色の光のまゆのように貴美の姿をすっぽり覆い隠した。

 同時にその光の繭の中に、ほとんど目に留まらないほど微細な光点が現れた。まるで点滅するイルミネーションのように、繭のあちらこちらでぼつんぼつんと輝きを放ってはすーッと流れて消えて行く。その一部は繭の外側へと浮遊して、わずかな空気の流れに乗って迷い出しては部屋の暗がりに消え去る。よく見るとどの光の粒子も微かな光線を断続的に発散していた。さらに、光の粒子とは別に、貴美の身体を覆う光の内外から、肉眼では捉えきれないほど細い光線が断続的に走っている。


 貴美の身体も脳もこれまで経験のない深い眠りに入っていたが、意識は目覚めたままだった。生まれて初めて本当の意味で目覚めていた。

 脳を含めて新陳代謝は極限まで抑えられ、思考は消え言葉は何ひとつ浮かんでこない。子宮の中にすっぽり収まった胎児のように、深いやすらぎに包まれて揺蕩たゆたっていた。


「わたしは生まれるんだわ」

 

 それは思考でも言葉でもなかった。純粋な意識に戻った本来の貴美が。そう感じていたのである。もはや、物質の身体に閉じ込められた孤独な(alone)存在ではなく、すべての源(all one)である高次元の光と繋がった深い充足感に浸っている。

 今、その意識はひとつの細胞の中に宿っている。やがて、細胞は分裂を繰り返して、進化の過程を再現して成長して行く。


 そのすべてを貴美は鑑賞者として観察しながら、同時に体験者として感じ取っていた。


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