第28話 ワンマン・アーミー One-Man Army

 数ブロック先で、大男は通りから左手の路地へと入って行った。ここはシティの最外縁にあたる。ドームを支える基礎台座が頑丈な壁となってそびえ立ち、壁の内側に沿って大型の換気装置用の建屋が並んでいた。

 人気のない建屋の駐車場まで来ると、路地に近いベンチに腰を降ろし、おもむろにアタッシュケースを開いた。見開きモニターの画面に、追い抜きざまサングラスのマイクロカメラで撮影した標的の写真が写っている。 顔認識ソフトが命令書の写真と照合して、すぐさま「一致」と結果が表示された。


「間違いない、ターゲットだ。しかもド素人だ・・・」

 男は独り言ちた。

 ひ弱には見えなかったが、せいぜいスポーツ好きの学生という程度だ。のほほんと通りを歩く姿は、いかにもすきだらけだ。

 だが、サポート役とは異なり、実行役は標的の名前も身分も知らされていない。それには訳があった。

 個人情報を知れば、訓練を受けた工作員と言えども無意識に心が揺らぐからだ。ガーディアン部隊には、異常性格者はおらず、皆が人並みの良心を持ち合わせている。反社会性人格障害者や冷酷非情な脳の持ち主は、真っ先にガーディアン候補からふるい落とされるからである。


「粗暴性格者はいずれどこかで暴走して、組織を危険に巻きこむからな・・・」

 頭の中で能書きを垂れるなんて、俺らしくもない!

 男は舌打ちした。無防備な民間人の若者がターゲットでは、つい余計な考えごとに耽って集中力を欠いてしまうのである。

 一般人の暗殺なら並みの工作員でこと足りる。よりによって俺が指名されたのはなぜだ?

 どうにも合点がいかなかった。

 そもそも俺は特殊部隊員であって、特務工作員ではない!第一、軍人が非戦闘員の民間人を攻撃するのは国際法に反する。だが、何の因果かガーディアン部隊に編入され、行きがかり上、止むなく任務を果たさざるを得ないとはな・・・

 戦場では感じた覚えのないもやもやした気分を持て余して、気持ちのおさまりがつかなかった。


 この男、マイケル大滝は、北米連邦機動歩兵部隊に所属するアメリカ陸軍大尉で、輝かしい戦歴の持ち主である。

 機動スーツの神経伝達ユニットは兵士の神経回路に接続され、持って生まれた神経伝達速度でスーツが発動する性能が決まる。(*) 百メートルより最初の五メートルで勝る者が優位に立てることから、典型的な機動歩兵は大滝より二回りほど小柄である。

 サッカーやアメリカン・フットボールのスーパー・スターの中に、しばしば小柄でがっしりした体型の選手が見受けられるが、彼らは脳から四肢までの神経が短い上に、伝達速度が先天的に速い。

 機動歩兵にはこのタイプが多いのである。


 大滝は先天的に神経伝達速度が極めて速い、言わば特異体質の持ち主だった。

 ボクサーに例えれば、ヘビー級のパワーとフライ級のスピードを兼ね備え、大柄な体格にもかかわらず、世界各国から選抜された機動歩兵の中でもトップレベルの反応速度を誇る。事実、北米連邦が現役特殊部隊員を対象に行う総合戦闘能力評価試験でも、堂々の歴代トップスコアを叩き出したほどだ。

 また、史上最強の機動歩兵であると同時に、群を抜いたリーダーシップをも発揮してきた。プライドの高いワンマン・アーミー揃いの機動歩兵たちでさえ、大滝には全幅ぜんぷくの信頼を寄せているほどだ。

 それもあって、新たに創設される予定の機動歩兵部隊の指揮官候補に抜擢され、研修のため現場を離れてからはや半年が経つ。

 ところが、予想だにしていなかった極東の島国の実験都市に、一介の工作員として派遣された大滝は、鬱屈うっくつした日々を送っていた。こうも情緒不安定では、今後の指揮官養成訓練にも支障を来たしかねない、と焦りすら覚える。


 その時、標的が路地に入って来るのが目に入った。

 一瞬で頭が切り替わった。そ知らぬ顔でモニターをいじり、換気装置の点検整備データを確認する作業員を装う。

 若者は大滝が座っているベンチを通り過ぎて立ち止まった。建物の前で辺りを見回している。待ち合わせの相手を探しているらしい。もっとも、標的をおびき寄せた手口も大滝は知らされていないため定かではなかった。

 アタッシュケースを閉じて膝の上に立て向きに置いて固定する。上面の小さなカバーをスライドさせ、画面の照準マークを標的の首の後ろ側、ちょうど髪の毛で 隠れた部分にロックオンすると、安全装置を解除しざま素早く発射ボタンを押した。


 あっけなかった。


 微かな発射音と共に、超小型の矢が糸を引くように標的の後ろ髪に吸いこまれた。若者は一瞬ぴくっと身体を震わせたが、振り向く間もなく身体から力が抜け、ほとんど垂直に両膝から地面に崩れ落ちて、路上に力なく突っ伏した。

 短針には即効性の麻酔薬が仕こまれている。ものの小一時間で成分は分解されて、検死で検出される恐れはなくなる。

 針も溶解して体内で分解され、矢じりは気化して空気中に拡散して消滅する。


 この標的は長髪だから好都合だ。これもガーディアン本部は計算済みか?

 小さな傷はよほど丹念に調べない限り目視では見つけられない。ロボティック検死なら発見されるだろうが、ガーディアンの上部組織がデータを改竄するため、麻酔薬の存在は完璧に隠蔽される。

 末端工作員組織などバカにしていたが、ガーディアン本部の計画は極めて緻密だ。工作員の規律や能力も想像していたより高い、と大滝は認めざるを得なかった。


 後は薬物を呑ませて自殺を偽装すれば一件落着だ。情緒不安定と判定した心理テストや診断書も、脳科学研究所とやらに手を回して偽造してあるらしい・・・

 アタッシェケースを受け取った時、サポート役の中村が珍しく口を滑らせたのだ。

 奴が口を滑らせたのは、標的と接触して暗殺計画に罪悪感を抱いたからに違いない・・・

 大滝は初めて中村にいくばくかの共感めいた感情を抱いたが、すぐさま雑念を振り払ってアタッシュケースをベンチに置き、倒れ伏した標的に近づいた。

 慎重に様子をうかがいながら間合いを詰め、ぐったりした身体を揺すって反応を確かめる。さらに瞼を押し上げ瞳孔の反応を確認した。若者は完全に気を失っていた。


 クソっ、民間人を手にかけるのは気がひける!

 大滝は顔をしかめた。

 こいつは大学生に違いない。もしやハッカーか?国家の脅威となる理由はいったい何だ?

 殺るか殺られるかの戦場であれば、こんな罪悪感を感じる暇も必要もないのだが、無防備な一般市民となると話は別である。

 まったく因果な仕事だ。いまいましい!さっさと片付けて忘れるのが一番だ!


 建物の陰に移動させようと標的の身体に手を掛けた瞬間、大滝はハッと目を見開いた。ビクっと標的の指が動いたのである。


 バカなッ、意識が戻りかけてるぞ!少なくとも一時間は人事不省のはずだ!

 咄嗟に懐に隠し持った軍用レーザー銃を掴んだ瞬間、背筋に悪寒が走り、後ろ髪が逆立つような感覚を覚えた。


 誰かいる!!


 頭の中で言葉になる前に、地面に身体を投げ出していた。敵の照準からはずれるよう斜め前方に回転しつつレーザー銃を抜いた。

 背後に人の気配を感じた瞬間、自動的に身体が反応して戦場の機動歩兵に戻ったのだ。後ろに回られるまでまったく気づかなかった。手強い相手と直観して、爆発的な反射神経が働いた。

 だが、人間離れした敏速な反応も虚しく、敵の姿を目にする前に背後から全身に不可解な衝撃を受けた。


 大滝はその場に昏倒して突っ伏した。



* 機動歩兵(Mobile Infantry)と言う名称は、一九五九年のアメリカ人SF作家の作品「Starship Troopers(邦訳「宇宙の戦士」)」に由来する 。装備一式の正式名称は「パワード・スーツ」。二十世紀の日本のアニメーション「機動戦士ガンダム」にちなんで「モビール・スーツ(Mobile Suit)」と呼ばれる事もある。

 ただし、モビール・スーツは機動歩兵の身体を覆う鎧のような形状で、操縦席のある大型のロボットとはまったく異なる。

 


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