第2話 月の輝く夜に Moonstruck

 海岸線に沿って少女の姿が遠ざかってからほどなく、上空に小型エアクラフトが姿を現わした。夜間なのに探照灯はおろか点滅灯さえ点けず、ゆるやかに夜空を旋回した後、いきなり翼を反転させて斜めに急降下を開始した。路面すれすれで鮮やかに機首を翻すなり急制動をかけて、砂煙を巻き上げながら一瞬ホバリングしてから、音もなくスムーズに着地した。

 周囲の景色に合わせて色彩が変わるカメレオン迷彩の機体には、国旗も所属も描かれていないが、パイロットのヘルメットとフライトジャケットには、ゴールデンイーグルを模したUSNFA紋章と中尉の階級票が付いていた。北米連邦の盟主、アメリカ合衆国海軍所属の小型軍用機である。この「MX25-R」は、三角翼の最新鋭戦闘機「MX25-F」と同型の偵察機で、有人機では世界最速である。翼の大部分を機体に格納すると最高速度はマッハ6を超える。


 実用性と費用の問題で停滞していた有人高速戦闘機の開発は、二十二世紀に一転して急速に進んだが、そのきっかけは、世界の紛争地域に持ちこまれた広域通信妨害テクノロジーだった。


 強力な通信妨害を受けると、偵察ドローンや無人爆撃機ばかりでなく、誘導ミサイルの遠隔操作までが不可能となる。その結果、二十一世紀以降、遠隔攻撃に力を注いできた軍事大国は深刻な問題に直面していた。通信や誘導電波が途絶え、赤外線捜索用の機体センサーも動作不良を起こす。機内の電子機器までが機能を停止すれば、有人機までも制御不能に陥る。

 膨大な軍事予算を抱える大国の政策が、投資家と癒着した政治家やロビイストに支配される現実は、未だに変わることなく続いていた。ドル箱の高性能リモート兵器の数々がガラクタと化した日には、軍需産業は大打撃を受ける。裾野の広い軍需産業に依存する経済にも暗雲が垂れこめる事態に、北米連邦はじめ連合各国は、その場しのぎの政策として、有人機の開発に多額の予算を振り分けた。

 こうして、妨害電磁波から乗員と電子機器を守る機体の開発と、目視でも空中戦や爆撃を遂行できるパイロットの養成が始まったのである。

 見直されたのは軍用機の開発計画だけではなかった。AI搭載の戦闘ロボットも、妨害電磁波の囲内では戦況データが得られず使い物にならない。地上戦においても、無人から有人への回帰は歴史の必然だった。中でも極めつけは、兵士一人一人がワンマンアーミーに等しい史上最強の機甲部隊「機動歩兵」の創設である。


 パイロットや兵士個人の身体能力と判断力に左右される戦闘が、世界各地で増え続けている。この高度科学技術時代に、複葉機時代さながらの有視界空中戦や、中世の甲冑かっちゅうを纏った騎士のような機甲部隊が出没する地上戦、という何とも時代錯誤な光景が各地で繰り広げられていた・・・



 内部与圧ピットを収納したパイロットは、ヘルメットを脱ぎコックピットの中で全面マスクと防護服を身に着けた。使い捨ての靴カバーと手袋も忘れない。準備を終えると粉塵遮断用エアバリアを張って風防ガラスを開いた。コックピットの縁を両手で掴むと、軽々と機体から跳び出して地上に降り立った。

 接地用バッファのみで離着陸用の車輪はないものの、コックピットの高さは地上二メートル以上ある。放射線と電磁波に対応した軍仕様の中装防護服の重量も、優に二十キロを超える。だが、パイロットは昇降用ラダーには見向きもしなかった。


 機体側面のカバーを開き、非常用スイッチを使って風防ガラスを閉じる。通信妨害波の範囲内で機外に出るとリモート操作は一切機能しない。

 防護服の荷重を微塵も感じさせない軽い足取りで、瓦礫と砂にまみれた草地を横切り、脱ぎ捨てられた防護服と靴が置かれたベンチに歩み寄った。少女が置き去りにした左足の靴を掴んで、中敷きをそっと剥がしていく。中敷きの下に隠れていた四つ折の紙片を取り出して広げると、月明かりにかざして浮き上がった文字に目を通した。


「そんな!嘘でしょ・・・」

 まじまじとメモを見ていた女性パイロットは英語でつぶやいた。信じられないと天を仰いでから、紙片を細かくちぎって無造作に空中に放り投げる 。白い花びらのように海風に舞って闇に消えて行くのを見送り、大きくため息をついた。全面マスクの口元が吐息で一瞬白っぽく曇った。

 少女の防護服と手袋と靴を抱えて偵察機に戻ると、三角翼の上に並べて防具服を丹念に触って確認しながら、独り言を漏らした。

「ふ~ん、日本のエンジニアはさすがね。これじゃ、見た目はまるっきり普通の防護服だわ!」


 妨害電波の範囲内にいるため、全面マスクのマイクやドローンに音声を拾われる心配はない。次いで、少女が残した電子機器を手に取り、全面マスクのライトを点けてためすがめつ眺めながらつぶやいた。

「これもすごいハイテク!超小型なのに強力。空母から探知できるわけね」

と、感心しながら、カバーをスライドしてタッチパネルを開いた。メモに書かれたコードを入力して、スイッチのロックを解除し装置の電源を切った。


 続いて、少女の防護服の放射能検知器を裏返すと、背面のボタンを押して時刻設定に切り替え、メモに書かれていた別のコードをインプット、隠しモードを呼び出して慎重に八桁の数字を打ちこんだ。入力が終わると手首の軍用IDと装置の通信リンクを張る。通信妨害を解除したためリモート機能が復活している。

 軍用IDには特殊ハードウェアをアセンブリとして追加できる。電子時計アセンブリのタイマーモードを呼び出して、少女の防護服の放射能検知器に入力したと同じ八桁の数字を打ちこんで、残り時間の表示を入念に確認した。検知器を測定モードに戻したパイロットは、緊張をほぐすようにふーっと息を吐き出した。


 機体側面にIDをかざして収納スペースを開くと、少女の持ち物を密閉バッグに入れ中に収める。次に防護服を脱いで同じようにバッグに入れて、収納スペースに収めた。放射性物質をコックピットに持ちこまないよう、細かいプロトコルが定められているのだ。通信妨害装置は小型の密閉バッグに入れ、フライトジャケットのポケットに押しこんだ。最後に全面マスクを収納すると、使い捨ての手袋と靴カバーを取り外して地面に置き、その上に両足を乗せて立つ。手首のIDにタッチすると風防ガラスが音もなく開いた。


 次の瞬間、パイロットは両膝を屈めるなり、一気に垂直にジャンプした。地面に跳ね返るゴムまりのように身体が弾んで、機体の縁を片手で掴んで軽々と跳び超えると一瞬でコックピットに収まった。恐ろしく身軽で人間離れした身体能力だ。

 操縦席に坐りエアバリアを止め、風防ガラスを戻してコックピットを閉じた。与圧式内部ピットも密閉する。シートベルトが自動的に身体を固定するのを待って、ヘルメットを被り、マイクをオンにして母艦へ報告を入れた。


「ブラックスワンよりUSSRR。通信妨害装置を回収。電波を解除した。084時・・・訂正する、2004時、任務完了。これより帰艦する」

「USSRRよりブラックスワン。了解」


 交信を終えると高空飛行に備えて酸素マスクを着け、内部ピットの気圧調整をオンにした。砂塵を巻き上げながら機体を五メートルほど浮上させ、緩やかに機首を海に向けた。

 酸素マスクとヘルメットで覆われた顔から集中力に溢れた精悍な両眼が覗いていた。冷ややかに澄んだ褐色の瞳には、真正面に浮かぶ満月がくっきり映っている。

 一気に加速して海上に出ると、そのまま急激に機首を上げた。上昇しながら翼を小さく畳んでさらに加速をかけると、強烈なGで身体がのけぞり操縦席にぴったり張りついた。機体が小刻みに振動し始めると、パイロットはマスクの下で不敵な笑みを浮かべた。

 コックピットを覆う風防グラスに煌々と輝く月光を反射させながら、音速を突破した衝撃音と共に、一筋の光の尾を曳いて急上昇する。月と戯れるかのように時おり機体を右に左にくるくると回転させながら、ほぼ垂直に虚空を切り裂いて駆け上がって行く・・・

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