クニオ記

モグラ研二

クニオ記

5歳のときに両親を不運な事故で亡くしたクニオは叔父に引き取られた。


叔父はとても優しい人で「クニオちゃん」と呼びかけて、クニオと親しい関係を築いていった。


クニオとその叔父は、夏になると近所の雑木林に行き、虫取りをした。

すでに虫かごにはカナブン、カブトムシ、クワガタ、カミキリムシなどが入っている。

「見て!すごくでっかいよ!」

「大きいね!クニオちゃんは将来凄腕のカブトムシ師になるね!」

夏の強い日差しの中、汗にまみれて、二人は虫取りをした。

「ポカリスエット飲みなさい」

叔父が、水筒を差し出す。クニオは受け取り、汗で濡れた喉を上下させてゴクゴクとポカリスエットを飲んだ。

「生き返るなあ」

「さ、そろそろお昼にしようか」

叔父の作るサンドイッチは絶品だった。手作りのソースをハムやレタスに絡めたシンプルなものだが、ソースの味わい、その深みは比類ないものであり、幼いクニオは時に涙をも流しそうになった。


さすがに中学校に通い出すと、クニオと叔父の関係も、それほど密着したものではなくなった。夏に虫取りをすることもなくなった。

「クニオちゃん、虫取り、行くの?」

叔父は柔和な笑みを浮かべながら尋ねる。

眉毛を整えだしたせいか酷く細い眉毛をしたクニオは首を横に振り、

「行かないよ。虫は卒業したんだ。友達とプールに行くし、帰りにカラオケによってラブソングを歌いまくるんだ」

と言った。

叔父は寂しそうな様子だった。

「そうかい……」

とだけ言って、一人、居間であぐらをかいてウイスキーのロックを何杯も飲んでいた。ラジカセからはコルトレーンの「ジャイアントステップ」が延々と流れていた。クニオを引き取ってから10年ほどが過ぎていた。叔父もだいぶ年をとってきていた。


ウイスキーのロックを、その日は少なくとも15杯は飲んでいただろうか。

叔父は自転車に乗り、ふらふらと田舎道を走っていた。上機嫌に鼻歌をうたっていた。そして、電信柱に正面から激突したのである。


死因は脳挫傷だった。


金はない。葬儀は開催しない。叔父の遺体は火葬された。簡素な壺に遺骨は入れられ、クニオに渡された。


クニオはしばらく火葬場の入り口に骨壷を持って佇んでいたが、ゆっくり歩き出し、叔父とよく虫取りをした雑木林を訪れ、そこに、叔父の遺骨、遺灰を撒き散らした。湿った雑木林の土の上に、白い骨の欠片や灰が降り注いだ。


クニオを引き取ったのは叔父の従姉だった。正直、良く知らない人だった。

叔父の従姉にはすでに8人の子供がいた。

たくさんいるんだから、一人ぐらい増えてもいいだろう、ということで、クニオが預けられたのだった。

だが、クニオはあまり歓迎されなかった。


「あの、これは?」

クニオは言った。

みんな食卓についている。それぞれに椅子がある。しかし、クニオの席はないのである。

叔父の従姉は太った腕でテーブルを叩く。

「あんたはここで食いなさい」

床を指さした。あまり掃除されていない、埃まみれの床。

そこに、子供の一人がシーチキンマヨネーズを撒いた。べたべたと、床に脂が飛び散る。子供は「ふひひ」と笑いながら、皿を流しに置きに行く。

「これを?」

クニオは青ざめて聞いた。

「そうだよ。あんたの餌だよ。これは。感謝しな」

叔父の従姉は眉間に皺を寄せ、怒りを露わにした表情で言った。

「これを食わないなら、あんたには出て行ってもらう。次に引き取られるとしたら多分あたしの義理の父になるけど、あんた、毎晩ケツを掘られながら鞭で打たれ、話す言葉は『ぶひー』のみって感じになるけど、それでもいいの?」

「それは嫌です……」

「だったら選択肢ないでしょ」

「はい……」

クニオは這いつくばり、床に撒かれたシーチキンをくっ付いている埃ごと食う。泣きそうだったが我慢した。「叔父さん……」とだけ呟いた。

食卓についている叔父の従姉とその家族は「ふひひ」と笑いながら、愉快そうに這いつくばってシーチキンを貪るクニオを見ていた。


夜になり、クニオが藁を敷き詰めただけの寝床にいると子供たちがゾロゾロとやって来た。みんな全裸だった。

「あんたそこに仰向けに寝なさい」

一番年上の少女が言った。目つきの鋭いキツネ顔の少女である。少女の股間にはうっすらと毛が生えていた。

逆らうことは許されない。

クニオは横たわる。

「口を開けなさい」

「はい……」

クニオは大きく、口を開けた。

「ミツヒデ、やっちゃいな」

少女が、弟の一人に命じた。小太りの少年が「ウス」と言って、腹の肉に半ば埋もれそうになっているチンポコを摘まみ位置を調整、クニオの口めがけて小便をした。

短小のポークビッツ型チンポコから勢いよく黄色く濁った臭い小便が放出。

クニオの大きく開いた口は小便で満たされた。

「あんた、そのまま飲みなさい」

逆らうことは許されない。

苦しみの表情を浮かべながら、クニオは小便を飲み干した。

口のなかがアンモニア臭であふれている。

「ねえ、終わったと思うの?なんでみんなで来たのか、わかるわよね?」

いじわるそうな笑みを少女は浮かべていた。そうして自身のうっすらと毛の生えた股間を撫でた。

「次は私のを飲むのよ、いいわね……」


朝、藁の寝床から起きて、顔を洗うためにクニオは洗面所へ行く。

叔父の従姉の旦那、つまりここの主人が先に来ていた。

この人物は、昨晩の食事のときのことを知らない。

仕事でいなかったのである。

ここの主人、身長190センチ以上、柔道家のような体型で毛深く、熊のような見た目であるが、目元は優し気である。

「きみが、クニオくん?」

優しい低い声である。木管楽器、ファゴットを思わせる声質。

「はい。お世話になります……」

主人は目を細めて、クニオの足先から頭までを眺める。

「うん。いいんだよ。クニオくん。困ったこととか、なんでも相談してね。力になるからね……」

クニオは涙が出そうだった。一人くらいは優しい人がいないとやっていけない。そう思っていたからである。この人は完全に優しい人なのだ。

「はい。ありがとうございます」

「うん。ところで……」

主人は太い腕を伸ばした。クニオの肩を掴んだ。物凄い力だった。クニオを自分の方へ引き寄せて頬に、額に、口にキスをした。口のなかに舌を入れようとしてきた。クニオは嫌だ、嫌だ、やめろよ、と強めの口調で言った。

「おい……」

それまで優しい声であったのが、低く威圧的な声に変わっていた。

主人の表情は眉間に皺を寄せ、目を吊り上げた状態。

「てめえ、ふざけてんのか?」

「いや、あの……」

逆らうことは許されない。

主人はパジャマを脱いだ。全裸になる。すべてが毛深い。毛むくじゃらの股間の中心からニュッと、長さ20センチを超えた完全に勃起した状態のチンポコが突き出していた。

「舐めろや」

主人が言った。

「歯を立てたら殺すからな……」

逆らうことは許されない。

クニオは一生懸命に主人の赤黒い硬くなったチンポコをしゃぶった。

ジュポジュポ……朝の爽やかな空気のなか、音が良く響く。

「良いぞ、ああ、イクぞ、ああ、イクイク、おい、全部飲めよ……いいな」

クニオはしゃぶりながら頷いた。

「アイグ!!」

叫ぶとクニオの口内で主人は大量の精液を発射した。

クニオの口を、主人は大きな手で押さえた。

「吐くな!飲め!絶対に飲め!!美味い!美味い!と連呼せよ!」


そんな生活が、2週間以上過ぎた時に、クニオは「もう無理だ」と思い、叔父の従姉の家を出て行ったのだ。


「叔父さん……叔父さん……」呟きながら、クニオがたどり着いたのは「あの雑木林」だった。


クニオは野生児と化した。なんとか苦労して粗末ではあるが小屋を、雑木林の奥に作った。クニオは野生の小鳥、野良猫、野良犬、タヌキなどを捕獲して捌いて食べた。水は綺麗ではないが、湧水があり、それを飲んでいた。野菜は、その辺の雑草をモリモリ食べた。トイレなどない。その辺でウンチした。ウンチに群がるハエも捕獲して食べた。なんでも食べた。


野生児がいる、ということがネット界隈で話題になり、遠方から写真を撮りに来る人も多かった。そういう人から、わずかではあるがお金や日用品・食料などをもらうこともできた。


遠くから来た人の期待に応えるべく、クニオはほぼ全裸で泥だらけでほとんどターザンのような恰好をしていた。


「インスタにアップするなら、これくらいはしないとダメですよね?」


訪問者に対して、クニオは確認していた。時には「アーアアー!」とターザンのように吠えることもあった。特に意味はなかった。しかし、クニオのユーモアあふれる態度が、訪問者には受けたようだった。


小屋生活初めての冬。

訪問者から貰った灯油を上手く使って暖をとった。

小屋の中で、近所のゴミ捨て場で拾った毛布に包まりながらクニオは震えていた。

「寒いよ……叔父さん……」

小屋の薄い壁板が激しい風によって揺れる。今にも剥がれそうな勢いだ。

クニオは動かない。じっとしている。目を瞑って、時間が過ぎていくのを待つだけだ……。


「役所の者です。ここのゴミ小屋、ゴミ、すべて撤去してください」

10人ほどのスーツを着た男たちが、クニオを訪問した。

「あなたのしていることは不法行為であり、我々としては見過ごすことはできない。すぐにこのゴミ小屋、ゴミを撤去してください。そして、あなたは家に帰りなさい!」

冷たい、無表情な顔をしていた。男たちは心底の軽蔑を露わにしていた。

クニオの唇は細かく震えた。

「ゴミなんて一つとしてありません!ここは自宅です!そして俺の家族は俺だけです!血縁は生きているが誰一人家族なんていない!」

スーツの男の一人が手作りの椅子を蹴った。

「意味不明だ!あなたは狂っているのか!帰らないならば措置入院を要請するしかない!」

スーツの男の一人が壁に貼ってある幼い手法で描かれた「カブトムシの絵」を剥がして踏みつけた。

「狂っているのはお前たちだ!この犬野郎!」

クニオは男たちに飛び掛かり、パンチ、キック、噛みつきを喰らわせる。

「こいつ、本当に狂ってるぞ!」

男たちのうち二人が、頸動脈を噛みちぎられてその場に倒れ、出血多量で死んだ。

「さ、殺人だ!」

「許せん!」

スーツの男たちは懐からメリケンサックを取り出して拳に装着し、構えた。

「こ、この野郎……」

クニオの目は充血していた。「俺は逃げないぞ……俺は逃げない……」延々と呟き、灯油の入れてあるプラスチックのケースを持った。「俺は逃げない……」灯油を辺りに撒き散らし、マッチで火を点けた。火は、瞬く間に小屋全体を焼こうとしていた。スーツの男たちは悲鳴をあげて走り出した。激しく燃え上がる小屋。その中から、「俺は勝利したぞ!勝ったんだ!俺は逃げない!逃げないぞ!アハハハハハハハ!」クニオの凄まじいまでの哄笑が聞こえてきた。

スーツの役人たちは青ざめた顔をして路肩に停めていたワゴン車に乗り込んで逃げた。


雑木林はほとんどが焼けてしまった。もちろん、小屋は全焼し、潰れたのだった。

当時の担当役人たちがその後の半年間で全員、事故死・病死・自殺・他殺などで死亡したため、《クニオの乱》ともいうべきこの事件を記憶している人間は皆無となった。


……しばらく降っていた雨が上がった。

炭と化した木材を、幼い男の子が動かしていた。木材の下には小さなムカデ、ダンゴムシ、ナメクジなどがいる。湿ったにおいがした。

「まーくん、ダメだよ、危ないよ」

柔和な男性の声が背後でしているのも構わず、幼い男の子は木材を更に動かしていく。小さな丸っこい手はすでに泥だらけである。

「まーくん、早く帰ろう。今日は大好きなすき焼きだよ」

「あった」

男の子は瓦礫に埋まっている汚れた頭蓋骨を拾い上げると、大切そうに抱きかかえ、しばらくその場にうずくまっていた。


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