深夜の捜索

 雨音と寒さで目が覚めた。壁にかかっている無機質な時計を見ると、午前二時を過ぎたばかりだった。覚醒するにはいささか早いだろう。

 なので、二度目を決め込もうと目を閉じ――強烈な違和感に気が付いた。正月の時と同じ違和感を。そこにいるべき人物――すなわち美咲がいないという違和感に。


「美咲、いるか?」


 返事はない。トイレに行っているのだろうか。ただ正月の時もそう思って、結果として全く別の結果だったので今回も外れているかもしれない。

 ベッドから降りて電気を点ける。やはり美咲はいなかった。彼女がいないだけで随分と不安になってしまう。俺はこんなに寂しがりな人間だったっけ、と思うほどに。

 机の上に出しっぱなしになっている日記帳が置かれていることに気が付いた。だが、それはおかしい。だって美咲は確かに日記帳を鞄にしまっていた。だから本来ここに置かれていることはありえない。誰かが机に置かない限りは。

 日記帳に目を落とす。新品の状態と比較してややくたびれたクリーム色のページに、拙いが丁寧な文字が書かれていた。そこに書かれている、俺宛のメッセージに目を通す。所々平仮名で読みづらい。


 慎二さんへ

 この日記ちょうを読んでいる、という事はきっと朝になっているんだと思います。そして、あなたはわたしがいなくなって、動揺している。いえ、これはわたしのがんぼうです。慎二さんと出会ってから今日まで、一か月ぐらいの間すごく楽しかったです。まずはそのことにお礼を、ありがとうございます。その優しさに救われました。美咲、という名前をもらったこと、いろんなことを教えてくれたこと、かぞくだって言ってくれたこと、助けに来てくれたこと。すべてうれしかった。

 でも、だからこそわたしはあなたのそばにいる事が出来ないんです。わたしがそばにいたら、きっとまた慎二さんをきずつけてしまう。それにわたしの存在はあなたをしばるだけ、めいわくをかけ続けるだけでしかない。だからさようならです。直接お礼を言えなくてごめんなさい。わたしの事は忘れて、元の生活に戻ってください。

 桐山美咲


「……あのバカ」

 迷惑だなんて思ったことはないし、人は誰かと接して生きていく以上少なからず他者を傷つけて生きている。だから、そんな事を気にする必要はない。

 そしてバカは俺も同じだ。美咲がそこまで追い込まれていることに気が付けなかった。漠然とした不安を抱えていながらも、それを重要視せずにずっと一緒に居られると能天気に考えていた俺が嫌になって、歯の奥を噛み締めていた。

 日記帳の横には、ネックレスが丁寧に置かれていた。雪の結晶をイメージして造られたそれは、俺たちのつながりを示すもの。美咲はそれを置いていくことで、俺との繋がりを断とうとしたのだろう。自分の心を押し殺して。

 ネックレスをポケットに入れる。今彼女はどうしているのだろうか。寒い夜、孤独の中で怯えているのだろうか。

 その光景を想像した瞬間、たまらず部屋を飛び出した。眠りについてから数時間が経過しているが、この雨と美咲の体力を考えるのであればそう遠くには行っていないと思う。

 玄関、靴を履く時間すら惜しい。乱暴に足を突っ込んで、玄関に備え付けられている懐中電灯だけ手に取って別荘を出る。とたん、土砂降りの雨が俺を濡らし、体温を急激に奪い始める。美咲の体力ではどこまで持つか。

 懐中電灯を点けて地面を探すと、足跡があった。はだしの足跡は小さく、そこまで深くないことから軽い体重のもの。そしてこのサイズは美咲の足と一致する。

 早く追いつかないと。焦りが俺を支配する。その感情のままぬかるんだ地面を蹴って、足跡を追跡し始める。

 ──濡れる、体温が奪われる。そんな事関係ない。だって今こうしている間にも美咲は、もっと辛い環境に置かれているんだから。

 足跡は道を外れている。最初っから道路を歩いていない分、追跡するのは楽だった。雨で消えかかっているものの、足跡は土に残っている。一度でもアスファルトの道路を経由してしまったらそこで足跡は途切れてしまい、結果として続きとなる足跡を探す手間が発生する。それで見つけられないという最悪な結末さえあり得る。


「美咲、どこだ! 返事をしろ!」


 足跡を追いながら声を上げる。その声は夜の闇に吸い込まれていき、美咲には届かなかったらしい。返事がない。

 息が切れそうだ。泥だけで構成された地面は俺の体力を奪い、雨は気力を削いでいく。

 足が何かに取られる。おそらく木の根。泥になって柔らかくなった土は、しかしその衝撃で俺の顎を打ち付けた。それは当然痛い。口の中に泥が入って不味いし、正直美咲のためでなければ今すぐ帰っていると思う。

 それでも、美咲が独りになってしまわないように――違う。本当は美咲が独りぼっちになるのが嫌なんじゃなくて、俺が美咲に居て欲しいだけなんだ。彼女と一緒に笑っていたい。

 必死になって走っていると、川の音が聞こえた。音からしておそらくそれなりの荒れようだろう。そして足跡はよりはっきりと残るようになっていった。それは通ってからの今に至るまでの時間経過がそこまで経っていない事を刺している。美咲は走っているのではなく、歩いているのだろう。ならもうすぐ追いつける。


「美咲! 美咲!」


 近くで消えそうな声が聞こえた気がした。その方角は足跡の方角と一致していた。走る速度を上げる。その結果足が千切れても構わない。美咲を見つけることが出来るのなら――。

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