拒絶する心
「――さて、話をしようか」
声のトーンをガラリと変える。意識して、冷徹な声を演出する。
「単調直入に言えば、お前たちが美咲や俺に金輪際関わらない事を要求する」
「要求を呑む理由なんてないわ。ここから出さなければいいだけの話」
「そうだな、確かに一理ある。じゃあ前提条件を一つ付けよう。俺や美咲が東堂組と関係を持っているとしたら」
「東堂組? は、たかがヤクザモドキ程度に何ができるっていうの」
この女は理解していない。東堂組はヤクザモドキじゃない。正真正銘の極道だ。もちろん普通に生活していれば彼らは危害を加えてこない。
が、通常どの町においても少なからず発生する若い麻薬密売人が全く発生しなかったり、今では絶滅危惧種かも知れないが、暴走族が昔っから一切存在しなかったことが彼らの力の強さを証明している。
「東堂組は排除すると決定した人間は徹底的に追い込んで街から排除する。彼らは街全体を管理し平穏を維持するために居る。堅気の店からみかじめ料を取ることもないし、彼らを商売の相手にすることもない。極道には見えないかもしれないけどな、その分平穏を乱す者は徹底的に排除するぞ」
「で、でたらめよ! 大体、お前が東堂組と繋がっている証拠がないわ!」
「いや、証拠ならあるよ」
と、興味なさげにテレビを見ていた礼二が話に割って入る。
「どうやって脱出したのか、それが疑問だったが――なるほど、あの白いのは発信器だったわけか。技適マークがないからてっきりボイスレコーダーあたりだと思っていたのだが、してやられた」
「あ、あなた……」
助け船というよりは美津江を責めるような言い方だ。
「肉体関係と金銭的なモノだけの、家族とも言えない家族だが……それでも情は沸いているのだろう。万が一があるといけないからアイツの事は放っておけと忠告したはずだが、まさか高校時代の伝手で人を集め、ピッキングさせて拉致するとは。そうなった以上、私の生活のためにも桐山慎二という人間には死んでもらう必要があったわけだ。あの倉庫街は今はほとんど使われていないから、見つかることはほぼあり得ない。だから先程──電気をつけた時からなぜ生きているのかが疑問だった。しかしそういう理由なら納得がいく。発信器に技適マークがついていなかったのは、発信器であることを悟られないように消したのだろうね。美津江、彼が自宅に戻る前、どこかに寄っていたかい?」
「確か……大きな屋敷に寄っていたけど」
「決まりだね。彼は東堂組の関係者だ。美津江、この街には大きな屋敷が二件ある。うち一件は個人の邸宅で彼の自宅だ。そしてもう一軒は東堂組の本家だ。そして東堂組は正真正銘のヤクザだ」
「嘘……そんな……」
美津江の顔が面白いほどに青ざめていく。ざまあみろ、と思う。だって、今の今まで美咲に暴行して調子に乗っていたのが、一瞬にして転落するなんてそれこそ昔のコメディ映画みたいじゃないか。
「しかし参ったね。君が東堂組と繋がりを持っているとなると話は変わってくる」
礼二がこちらに近づいてくる。腕を伸ばし、美津江の首を掴むと、壁に押し付けた。美津江の口から酸素が漏れ、苦しげな声が零れる。
「君はとんでもない間違いを犯した。この街で生きていくのであれば東堂組の関係者には手を出してはいけない。この街に住む誰もが理解していることだ」
殺意はなく、行動に対する興奮もない。ただそうしたいから首を絞める。淡々としていてどこか機械的な行動は、それだけで狂気的だ。
「離して……」
酸素が補給できない状況下での言葉は耳に残らない。それはただの音でしかなく、いくら助かりたいという感情が乗った言葉でも、それは俺の耳を素通りした。
足が大きく揺れ動く。爪が礼二の腕に食い込むが、しかし彼は力を弱めるそぶりを見せなかった。
ゆっくりと美咲の手を引いて動き出す。ノロマな亀にも匹敵する遅さで、少しずつ違和感の無いように出口まで移動する。
「やはり私の世界に他者を入れるべきではなかったか。今ここで君を排除し、身を隠すことにする」
彼のつぶやきで、すべて理解した。彼は、ただ単に孤独な子供だという事に。
「……あんた、ずっと独りだったんだな」
無意識に、そう呟いていた。
「独り、とはまた面白い言い分だね。聞かせてもらおうか」
礼二が手を放す。美津江は喉に手を当てながら咳き込んで、その音が耳障りだった。
「幼いころより天才だった宮本礼二という男は、他人に興味を抱けないんじゃなく、他人を拒絶していたんだ。自身より劣る他者に対して、見下していたともいえる」
「面白い考察だ。根拠としては」と彼は一瞬だけ逡巡し、「つい先ほどの言葉か。確かにそうとも言えるだろう。しかし独りとの評価をされたのは初めてだよ。そして君の評価は概ね正しいとも言える」
と彼は続きを促すジェスチャーをする。その表情は興味深げだ。その先なんて考えてもいないのに。だけど、それは同時に好都合でもあった。
考えろ。ハッタリでも何でもいいから、奴らの意識を俺達の位置から逸らせ。出口に向かっていると悟らせるな。
「自分より劣る人間ばかりだったあんたは、ソレを見下すという反応を自然としていたんだ。そうするうちに他者を拒絶するようになった。拒絶、とはつまりあんたが朝言っていた事で、ほかの人の普通を認めないという事だった。それがあんたが独りだという証拠で、同時に子供でもあるという証明だ。そうだな、具体的にいえば他者とより密接に関わりだす小学生ぐらいの精神年齢から先に進めていない」
聞きかじっただけの知識で、デタラメを言ってみる。
「それで、精神年齢が小学生であるという根拠は?」
「例外もあるけど、子供は他者を受け入れにくい。その価値観に触れ、自分の世界が壊れるのが怖いからだ。故に他者を拒絶する。宮本礼二という人間の場合、自身より劣る存在を受け入れることで自分自身が劣化することを恐れていたんじゃないか」
「なるほど。しかし私は社会に溶け込んで生活している。それは他者を受け入れなければ出来ない事ではないか」
「擬態すればいいだけの話だ。他者に心を開いているように見せかける。それなら誰だって実行可能だ。その気になればな。けどそれではいずれ行き詰る。人間というのはコミュニティに属し、その中で協力することで生存してきた。だけど協力し助け合うためには心を開き、他の価値観を受け入れないといけない」
「けど、それを出来ない私は子供だと言いたいわけだ」
その断言に頷く。あと少し。大丈夫、奴は話に食いついている。うまくやれているはずだ。しかし、この話を引っ張るのには限界がある。
どうすればいい。どうすればいい──。
「──そっちの女は別の意味で子供のままだ。その言動は年相応とは言い難い。何でも自分の思い通りに動かさないと気が済まない人間だろ?」
言葉が紡がれる。言葉に出してから、それが失策だったと気が付いた。
「どういう意味よ」
「気にするな。ただ、お前があまりに子供すぎるってだけの話だ」
「自由にって……私に自由なんてないのに!」
美津江が叫んだ。今までのように威圧する叫びではなく、本心からの悲痛な叫びだ。
「ソイツを妊娠したせいで、私の人生は滅茶苦茶になった! 楽しかった人生が壊された! 地元の仲間は皆私の下から去っていった! 礼二はあんなで、しかも首を絞められたりしたの! 貴方にはわからないかもしれないけど、すごく辛い人生だったの! 礼二は自己保身ばっかで、もうどうすればいいのかわかんなくなって……」
身勝手な言い分だ。だからって自分の子供を虐待していい理由には絶対にならない。
「それで?」
凍りついたままの心で返事をする。
「それで? 可哀そう、とかそれなら仕方ない、とか思わないわけ?」
「思わない。それはただの責任転嫁だ。子を成すことによる不自由が嫌なら初めから子を成さなければいいだけの話だし、警察なりなんなりに助けを求めれば保護してもらえた――ああ、そうすると自分のやってきたことも暴かれるから出来ないのか」
あと三歩。
「自業自得だな。礼二を反面教師にするのではなく、同じこと――それ以上の事を自分の娘にしたと知られたら、それこそ破滅だもんな」
あと二歩。美咲を出口に誘導し、俺を挟んで宮本夫妻と分断する。
礼二が口を挟んだ。
「そうだね。しかしそれはどちらも同じことでは? 君がやった事はれっきとした犯罪だ。だから君も警察には行けない」
一歩、美津江が包丁を手に持った。その身に纏うは明確な殺意。彼女がその殺気を向けているのは俺か美咲か礼二か。
その刃が俺たちのほうに向けられた。切っ先は俺の身体を僅かにズレ、美咲に向けられている。
「その通りだ――美咲、走れ!」
美咲が走り出したのと、美津江が走り出したのは同時だった。玄関から複数の足音が聞こえてくる。東堂組の人たちだと推測される。
足音に挟まれ、思考が加速する。足音がゆっくりになった――というよりも、俺の体感時間が一気に伸びたのだろう。危機的状況に対処できるように人間の脳が働く、という過程からなる結果だ。だから考える。
どうすればいい。美咲の走る速度は美津江より劣っている。玄関から接近する足音と接触するよりも先に、美咲に刃が刺さるだろう。
ドクン、と心臓が跳ねた。冷静に考える理性も、他の対処法を考える思考も遠くに行ってしまった。ただ、感情だけが体を動かした。美咲を隠すように自身の肉体を動かした結果、俺の腹部にその刃がめり込んだ。
「えっ……」
美咲の呆気にとられた声が聞こえた。
「誰も、誰も私を理解してくれない。昔の仲間は金だけの関係で、あなた達も私を否定した。だから死んでよ……皆死んでよ!」
腹部から刃が引き抜かれ、俺の顔に振り下ろされる。本能から身を引き、刃が俺の頬を切り裂いた。粘度のある液体が頬をつたうのが感じられた。
こんな状況においても、思考はクリアだった。やっぱり、この女はとっくの昔に壊れていたんだ。彼女の過去を知らないから俺には何にも言えないけれど、それでもそれだけはハッキリと言える。この女――ひいてはこの家庭そのものは尋常じゃなく壊れている。
痛みは無かった。冷静に物事を考える余裕すらある。黒いスーツを着た東堂組の屈強な男たちが宮本夫妻を取り押さえるのも、冷静に見ていた。
怒りはあった。けれどそれは俺が刺された怒りではなく、美咲を刺そうとした事に対する怒りだったし、それも取り押さえられたことで幾分かマシになった。
背中から床に倒れこむ。不思議と刺された痛みより、背中を打ち付けた衝撃のほうが痛く感じた。
息が苦しい。全身が熱く、とりわけ刺された腹部が高熱を発しているように思う。
「慎二さん!」
「美咲……刺されてないな? なら結構」
倒れ込んだまま足を使い、壁まで移動してもたれかかる。こちらのほうがほんの僅かだけ楽だった。
「宮本礼二、お前に聞きたいことがある」
「何かな?」
取り押さえられてなお冷静な礼二に問いかける。
「なぜ子を成した?」
「倉庫でも述べたことだが、私はただ正常に戻りたかっただけなのだよ。その当時は自分の普通を受け入れられていなかったからね」
「そうか。お前は――」
ただ、どこかでボタンを掛け違えて、それを掛け直せなかっただけだったんだ、という言葉を紡ぐ前に咳き込んだ。口から鮮血が吐き出され、遅れて血液の独特な鉄の味が味覚を支配する。
「もう喋らないほうがいい」
礼二の口からそんな言葉が、俺の身を案じるような言葉が聞けるとは思わなかった。
「そうだな。最後に聞かせろ。殺されるかもしれないが、死ぬのは怖くないのか」
「自分でも驚いている。どうやら私は自分自身の生に執着がなかったらしい。いまこうしている現在でも、恐怖心は全くないね」
もう、言葉を発することすら億劫になってきている。それに気が付いているのか否かは定かではないが、彼は言葉を続けた。
「初めてだったよ。私に食って掛かってきた人間は。そうだな、惜しまれるといえばそれが惜しまれる。君との出会い方がもう少し違っていれば、よき友に成れたかも知れないのに」
「それは……無理な話だよ……」
最後まで発音できたのかは判らない。けど、彼はその真意を読み解いてくれたのだろう。
俺たちは互いを拒絶した。それは、どんな出会いをしても変わらないだろう。
「そうだね。もしもの話に意味など無い。さよならだ、君との会話は存外に楽しかったよ」
その言葉を聞いたのを最後に、俺の意識は闇に消えていった。
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