第29話
清水寺……京都観光に於いては確実に名前が挙がるであろうほど有名な観光地である。『清水の舞台から飛び降りるつもりで』と言われる有名な舞台のある寺だ。
現在俺は、その清水の舞台に立ち、下の景色を眺めている。
「うわ~……結構高いな~」
高所恐怖症ではないが、やはり高いと感じるぐらいには高さがある。
「さあ樹様。そのまま思い切って飛び降りてみましょう」
俺より一歩分ほど後ろに立っているアリサさんが唐突に言う。
「何で!? 飛び降りないよ!!」
「いえ、身を乗り出して食い入るように下を見つめていましたので……ついに決心なさったのかと」
「ついに!? 今まで一度もそんなこと考えたことないよ!?」
「え……一度も……ですか?」
驚愕に目を見開き、よろめく様に半歩後退さるアリサさん。
「なんでそんなに驚いてるのさ!?」
「幼少より仲間はずれにされ独りぼっちだった樹様なら……一度ぐらいはあるものかと」
「ないよ!! てか酷い云われようだ!?」
意外そうな顔しないで!?
「さすが樹様。心がお強い」
「……それ褒められてるの?」
半目でアリサさんを睨む。
絶対馬鹿にされてると思う。
「ところで樹様。清水の舞台から飛び降りるつもりで、と良く言われますが、実際飛び降りた人の生存率は八五%以上に達します。さらに十代、二十代に限定するとなんと……九〇%を超えて」
「ちょっと待って! ……その情報を聞いて俺はどうすればいいの?」
「ですから、ここから飛び降りても樹様の目的である人生の終焉は訪れないというご忠告を」
「だからそんなつもりは無いってば! 俺、そんな目的持ってないからね!?」
「ふぅ……そういうことにしておきます」
「なんで呆れてんの!?」
と、そこまで言って気付く。俺はアリサさんにからかわれている内に段々と大声になってしまっていたらしい。周りに居る人達がひそひそ話しながら遠巻きに俺達の様子を眺めていた。
時折、「ねえねえお母さん。なんであの人、様って呼ばれてるの?」という子どもの声や「あんな美人の彼女に様付けで呼ばせてるだと……死ねばいいのに」といった物騒な呟きが聞こえてくる。
しまった! メイド服は変わっても呼び方がこれじゃ意味ないよ!
あ、死ねばいいのにって言ってた人、俺の事睨んでるけど隣の彼女っぽい人が凄い形相であなたを見つめていますよ。
「あの……アリサさん」
「なんでしょうか、ご主人様?」
なっ――このタイミングでご主人様だと!? しかも今、ニヤッてしなかったか……?
周りの視線も冷たいものへと変化する。
「くっ……」
このままここにいるのはマズイ。精神的に。
「ちょっと来て」
「…………あっ」
俺はアリサさんの手をとって逃げるようにこの場を後にした。
アリサさんが戸惑った声を出した気がしたが、この時の俺はそれに気付けないぐらい焦っていた。
清水寺から少し歩いたところにある甘味処に俺達はいた。
人目につかないように店の奥のほうの席を選んだ。
「なぜにあんな暴挙にでたのか詳しく説明してください!」
俺は向かいに座るアリサさんに詰め寄った。
公衆の面前で『ご主人様』呼び。普段はそんな風に呼ばないくせに。あれは確実に面白がってたに違いない。だってニヤッってしたもん。
「なんとなくですね」
「なんとなく!? なんとなくで俺はあんな辱めに!?」
「ですが、あそこはそういう空気だったので」
「えぇっ!? むしろ逆の空気だったよ!」
なんだよ、空気って。
「落ち着いてください。目立ってますよ」
「え……あっ」
いつの間にか立ち上がっていた俺は周りから注目を集めてしまっていた。
「…………ん、こほん」
座りなおして咳払いをする。
「まぁ、結果オーライということで」
「なにが!? 何一つオーライじゃないよっ!!」
机を叩いて立ち上がる。
「樹様、そんなに怒鳴ると他のお客様に迷惑ですよ」
「誰のせ――」
言いかけて止まる。
俺は肩を捕まれていた。……結構な力加減で。
恐る恐る振り返る。
「…………」
そこにはとんでもなく良い笑顔を浮かべた店員さん。俺と目が合うとスッと親指を立て……『出てけ』とでも言いたげに店の外に向かってそれを倒した。
「あ、あはは……ごめんなさいっ!」
俺は金を払って急いで店を出た。
「とりあえず呼び方を変えよう!」
店から結構離れた所で話を切り出す。
「呼び方……ですか?」
「うん。こんな街中で様付けとか……恥ずかしすぎて耐えられません」
今まで気にしたことはなかったけど……なんでだろう? 家の近所は俺とアリサさんの関係を知ってるからかな?
「ですが、私はメイドですので」
「良いの! 俺が良いって言ってるんだから!」
「では、なんとお呼びしましょう?」
「え、う~ん……そうだな……」
言っては見たものの何も考えてなかった。
そうだよな。様付けを変えるなら別の呼び方を考えなきゃいけないんだよな。
「ていうか普通に呼び捨てで良くない?」
アリサさんのほうが年上なんだし。
「そんなに馴れ馴れしいのはいかがなものかと。メイドとして」
こだわるなぁ……。
「じゃあ君付け?」
「樹君ですか?」
何か変な感じだ……背中がむずむずするような、そんな感覚。
「あまりにも他人行儀じゃないですか?」
「え、そう? 様より全然良いと思うんだけど……」
呼び捨てより良いんじゃないか、メイドとしても。それより君付けって他人行儀か? 普通に結構親しいと思うんだけどさ。
「んじゃ、何か他に良い案ある?」
他人行儀過ぎず、呼び捨てよりも柔らかい感じで。
……中々ないんじゃないかな、そんな呼び方。
「では『いっくん』で」
「呼び捨てより遥かに馴れ馴れしい!? っていうかどんだけ親しい間柄なのですか!? 貴方は俺の恋人ですか!?」
ツッコんでから思ったけど恥ずかしいよ、このツッコミ! 自分で言っててなんだけど。
「いえ、恋人ではなくメイドです」
「うん……知ってる」
そんな真顔で言われると余計恥ずかしくなるよ……。
「それなら『いっきゅん』でどうですか?」
「より親しくなっちゃった!!」
そんな呼び方ってバカップルっぽくない?
「喜んでいただけてなによりです」
「喜んでないよ!? そんな風に呼ばれたら俺の心が耐えられない!」
「それは嬉しくてでしょうか?」
「恥ずかしくてだよ!」
「ではなんとお呼びしたらいいのでしょう?」
「もういいよ、なんでも……」
この一連のやり取りはなんだかどっと疲れた。
「あ、いっきゅん以外にしてください」
それだけは本当にお願いします。そう呼ばれるぐらいならいっくんの方が遥かにマシです。
「気を取り直して……まだまだ夜までは時間があるし、これからのことを考えよう」
呼び方談義が終わったところでそう切り出す。
夕飯までに旅館に戻らなくてはいけないが、まだ夕方にもなってないし、最低あと一~二箇所は行っておきたい。
「やっぱり、この時期だと紅葉とか?」
「そうですね。見頃だと思います」
「じゃあ山の方を目指すか」
駅で入手したパンフレットを広げる。一応旅行に来る前にネットで調べてはあるんだけどね。観光名所とか。
「……なんだか張り切ってるように見えますが」
「旅行なんて滅多にこれないしね。それに京都って観光名所一杯あるでしょ?」
「ええ、ありますが……大抵は行ったことあるのではないですか? 修学旅行とかで」
アリサさんの何気ないその言葉で俺のテンションは一気に下がった。
なぜかって……そんなの嫌な思い出が蘇ってくるからに決まってる。
確かに京都には来たことあったさ……アリサさんの言うように修学旅行で小学生の時に。
でもさ、俺ってその頃からアレがいないんだよ。アレが。
「すみません……友達のいない寂しい修学旅行を思い出させてしまいましたね」
ハッキリ言われた! 心の中でさえその名称は出さないようにしてたのに。
「その通りだけどなんかムカつく……とりあえずその可哀想なものを見る目をやめてもらえませんか?」
「ごめんなさい。あまりに哀れだったので表情を隠せませんでした」
絶対嘘だ!
常時無表情のアリサさんがその程度で内心を表に出すはずがない。
つまり、わざとってことだ。
「きっと班決めに関われず一人寂しく観光なさったのですね」
「一人じゃないよ! 先生と一緒だったもんね!」
「…………より淋しいですよ。というか悲しいですよ」
「ぐ……た、確かに……」
担任と二人で周る修学旅行……言葉にしたら果てしなく悲しい。それに一緒にいた先生ともほとんど会話しなかったしな。
「それで、楽しめなかった分を今楽しもうというわけですね?」
「いや、まあそうだけど……」
今回は友達とかじゃないけど……アリサさんもいるし。
来る前には色々心配してたけど、実際来てみると楽しんでる自分がいる。清水の舞台から景色を眺めた時もそうだけど、今のアリサさんとのやり取りでさえ少しだけど楽しいと感じてる自分がいる。
「……そういうことですか」
アリサさんは俺を見て……何故か優しく微笑んだ。それはいつものように作った笑みとかではなくて、純粋に綺麗だと思った。
「樹様」
「な、なに?」
アリサさんに見惚れていたところに声をかけられたもんだからついついキョドってしまった。
「っていうかその呼び方は――」
やめてくれって言ったのに、とまでは口に出せなかった。それより早くアリサさんが話し出したからだ。
「樹様は仰いましたよね。メイドの仕事を忘れて楽しんできたら、と」
う~んと……ああ、確かにそんなようなこと言ったな。チケットをどうするか揉めてたときだよな。
「その言葉に従おうと思います」
「へ?」
どういうことなんだろうか……アリサさんは何が言いたいのだろう。
「今からメイドの仕事は忘れます」
「えっと……どういうこと?」
「今から旅行が終わるまで私は樹様のメイドではありません」
それって……もしかして一緒に観光とかしたくなくなったってこと? えっ? なんで?
「じゃあ何!? 俺は今から独りで観光しろってこと!?」
「……違いますよ」
なんだか呆れたような顔で俺を見る。
「え、じゃあどういう……」
「これから旅行が終わるまでメイドではなく樹様のお友達として一緒にいます」
メイドじゃなく友達として?
アリサさんは家のメイドで……俺の友達ではなくて……でも旅行中は友達でって……
「つまり、それってどういうこと?」
「私がそうしたいと思いました。ですので」
アリサさんはそこで言葉を止めた。
そのまま俺に近づいてくる。
何故か胸がバクバク高鳴っている。
そして目の前までやって来たアリサさんは俺の手をとった。
「え……あぅ……」
そしてそのまま俺の右手を両手で包み込むように握った。
「それでも……いいですか?」
と、俺の目をジッと見つめて言った。
「あ、え……はい。……あの、いいです」
しどろもどろになりながらも俺は答えた。
「ふふ。ありがとうございます」
そう言ってアリサさんは再び微笑んだのだった。
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