第一章 悲しみのない村

第一話  自責と出会い


地獄の3年と2ヶ月だった。裁判長の口が開いた瞬間は長く、全てが無に帰ったように感じられた。家族との面会は面と向かって話すこともできず、毎晩罪の意識と今までの交友関係者に冷ややかな目で見られる夢を見てろくに眠れなかった。人を殺した。彼はもうこの世にはいないのだ。その事実がこの後もずっと付き纏うということは22の若造の俺にはあまりにも重過ぎた。その日は高卒で入った会社のトラックで納品が終わった後だった。スピードも普通で酒も勿論飲んでなかった。突如、降ってきたのだ。人が。誰に言っても取り入って貰えなかった。本当に降ってきたのだ。山道でも無い、普通の国道でだ。そのまま判決が出て出所後の生活に怯える日々である。


 当日、日が経るごとに望まなくなった出所の日、お世話になった人にお礼をし、建物全体が見える場所で深々とお辞儀をした。実家に着いた時、なんで言えばいいのか分からなかった。ただいま?ごめん?考えは纏まらない。やけに静かなリビングにはやけに静かな母の姿があった。耐えられなかった。救急車を呼んだ。泣いた。吐いた。叫んだ。母が運ばれていくのを叫びながら見ていた。罪と死と愛情の嫌な匂いがリビングには充満していた。母は剃刀で首を切って死んだ。傷の反対側には家族の、俺との写真が置いてあった。


 もうダメだった。生きる意味がないとはこういう事なのか、無理だ。過去の自分を何度殺しても、何度傷つけても現実が消えない。俺は――


「目が覚めたかな?佐原 アカリくん?」

「ん?あ、はい」


目の前にはフォーマルなのかカジュアルなのかコスプレなのか分からないがネクタイにスーツっぽい赤が印象的な服を着ている黒髪ロングの女の人がいた。


「私は片岡 成 、ナルとでも呼んでくれ。傷心中のところ誠に申し訳ないのだが、一応確認をさせてくれ。君は死んだ佐原 橙で間違いないな?」


手元の紙をペラペラとめくる片岡。


「死んだ、ああ死んだんですね。実感わかないっすけど。こんな感じなんだ地獄って。意外と居心地良さそうだな」


「君は死んだ。それは間違いない。だが君は選ばれた。二度目の人生を生きる権利を。それを私は伝えにここにいる」


何を言ってる?


「嘘だ、からかわないでくれよ」

生きる意味もないんだよ。

「嘘なんてついていない。生きろ。奪われた分まで」


俺の人生は終わった。人を轢いて母が死んで俺、佐原 アカリの人生は枯渇したまま終わっていったのだ。それがなんだ二度目って――そんなのあんまりじゃないか――


「君の人生は終わってない。ここから君の人生を、他人への贖罪ではなく君の、君自身の人生を歩んでくれ」


淡々と発せられる言葉は内側から鎖を解いていくような温かみがある。込み上げて溜まる。

「やめてくれ」

これを受け入れてはいけない。受け入れたら彼に――俺が殺した彼にどんな顔で合えばいいんだ。

すると、片岡はその変わらない顔を少し曇らせて躊躇ったあと口を零した。


「君は利用された。全てが狂った元凶に」


予期せぬ言葉に動揺した。この話の流れで発される言葉ではないと思っていたのだ。


「利用?なんのことですか」


すると片岡は一枚の写真を取り出した。


「この写真を見てくれ、身に覚えはないかい?」

それは少年の写真だった。黒い髪に赤い目の笑顔で写っている少年の写真であった。記憶のどこを探しても、いや一人だけ、所々似ている人物を俺は見たことがある。


「この子は、俺が」


沈黙が二人の間に流れた。片岡は躊躇っていた。顔には出ないが確かにこれから言うことを頑張って出そうとしていた。


「そう、この子は。いや、こいつは自分の意思で君を利用し、死んだ。ある目的を持って」


自殺?何故?どうやって?


「目的?」


「そう、その前に一つ説明しなくてはならないことがある。君たちのいた世界からこちらに来るには死ぬということが必要となる。それを何者かに教えられ死ぬことを選んだ彼はただそこにいたというだけの君を死ぬために利用した。君がその後どんな苦痛と罪の意識を抱えて生きるなかなんて事を一切の考慮に入れずにだ。狂ってんだあいつらは」


最後にぼそっと呟いた言葉には怒りと憎しみが混じっていた。


「奴らはこの世界でたくさんの人を殺し、自然の摂理を狂わせた。超えてはいけないラインを超えたのだ。奴らは彼を利用し、この世界を我がものとしようとしている。お願いだ、あいつらを止めてくれ。分かっている、酷な事をさせようとしているのは、だけどそれしか無いんだ。君しか」


立ち上がり、頭を下げた片岡は必死だった。怒りかは分からなかったが手が震えていた。頭が混乱している。目の前の状況は本当にあるのか、頬をつねるがやはり痛い。二度目の人生を告げられ、彼は別の世界を掌握するために俺を利用した。そしてそれを止めるために俺がここにいる?分からない、理解ができない。なんだったんだ?あの3年2ヶ月と母親の死は。何故、何故、なぜそんなことのためにあれ程の苦痛を俺は受けなくてはならなかったんだ?

嫌だった、現実に向き合うのが嫌だった。あの時の葛藤と絶望はどこに?あの時の後悔は誰に?分からない分からない分からない分からない。


「彼とその裏にこちらへの誘致をし、自殺の幇助をした奴がいる。君に轢かれなくても死ねるように何かしらの力で上から落とした奴が」


ひとしきり叫んだ。頭を掻きむしり、荒くなった呼吸を抑え、深呼吸をする。分からない、分からないけど。


「分かりました。俺はそいつらを」


片岡が頷く。

「ごめん。ありがとう」

目を抑えて下を向きながら感謝を述べられた。


「片岡さん、俺、生きますよ。二度目の人生を」


今できる最大の笑みを浮かべた。汚かっただろうな。片岡は表情こそ変わってはいなかったが鼻頭を赤くしていた。


「ナルって呼んでくれよ。アカリくん」


綺麗な笑顔だった。光とも思えるほど綺麗な。

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