やっと打ち抜けた彼でした

「あちぃ〜……」

 彼…………高波君が唸るように、そう申している。


 太陽は照り、地を焼くほどの暑さ。毎年夏は猛暑だの、過去最高だの言われるが、そろそろ更新するのをやめてもいいんじゃなかろうか。

 エアコンの冷房ボタンを押してから二十分。利き始めたその風は、オアシスかと思うほど癒される。窓を開けば熱風が襲い、外に出れば灼熱地獄。

 近所のはずのコンビニは数ヶ月前より遠く感じ、踏み出した一歩の重みは昨日より増している。そんな試練を乗り越え、涼しいコンビニで買うは冷えたアイス。もちろん二人分だ。溶かすまいと走って帰り、今に至ると言うわけだ。

 蝉が煩く鳴く中、先程冷凍庫に入れたアイスを出してきた彼。溶けた部分も少しは固まっているだろうと祈りながら、しかし暑さに耐えきれず蓋を外し、スプーンで掬い、口いっぱいに頬張る。



 タオルで拭いた汗が、また吹き出してきたことすら気にせず、あまりの美味しさと冷たさに悶絶の声をあげる。彼もそれは同じようで、このことから外の地獄さが窺えるだろう。

 この猛暑の中、アイスとはどれ程までに重要なものか理解していただけただろう。なくてはならない、必須級のアイテムだ。食べている間は極楽そのもの。家に置くだけでも心に余裕ができる。




「ーーして、いつから始める?」


 高波君は私にそう問いかけた。

 何を始めるか、というのは勉強のことである。そも、今日は勉強会をしに、私の部屋へ招いたのだ。決してアイスを食べるようなことをしたわけでも、汗をかくが為に走ったわけでもない。


「そろそろ始めよっか?」


 そう言って互いに鞄からノートと問題集を引っ張り出すのだった。



 高波君ーー彼は成績が悪い。

 とはいえ赤点というわけではないが、決まって中の下、若しくは赤点スレスレなのである。狙っているかのように、そこ以外取らないものだから、自身の頭脳を隠しているアニメ主人公なのだと認識している。


「あの、戸部さん。ここ……」


 彼が指差して見せてきたのは数学の問題だった。あー、と意図したわけでもなくメジャーのように伸びる声の間に計算する。

 私は教えることはあまり得意ではない。普段から学校でも一人で生活する私にとって、話すことも珍しい。故に……。


「あの、戸部さん。ーーわかんないっす」


 申し訳ないけど、と置いてからそうほざく彼。説明下手って言ったよね?なんて言えるわけもなく。

 色々言い換えてみては失敗を繰り返し、何度も試してようやく解ってくれたようだ。

 教えるこちらが体力を使っているような気がする……。





 そんなこんなで早一時間。何かに集中している時ほど、時間が経つのは早いものだ。



 で。

「なんでチラチラ見てくるのかな?高波君」


 キッとした鋭い視線を彼に送る。確かに今日は暑いから少し薄着だけど、それにしても見過ぎじゃない?


「や、だって……なんか汗が……」


 焦ったようにモゴモゴ何か言っている。今更多少見てきたからって咎めるような間柄でもないのに……。


「どこ見てたの?」


 なんて追い討ちをかけたら彼は顔を背けてしまった。


 にしてもちょっと……。


「ーーーーあつ……」


 服をパタパタとさせて涼もうとする。彼は未だ背けたままだ。むしろ更に向こうを向いてしまった気がする。

 エアコン壊れたのかな、なんて思いながらリモコンを取ろうと立ち上がる。

 しかし何の罰か、若しくはこの暑さにやられてか。私は机に足を引っ掛けてしまったようだ。




「あっ」



 二人の声が重なる。

 彼女は彼を押し倒し、二人して倒れ込んでしまった。


 暑さのせいか、お互いの息は上がっていた。

 両親は仕事。エアコンはお掃除モードに入っていて部屋は徐々に暑くなる。

 汗が滴り、下敷きの彼にその雫が落ちる。


 何分経っただろう?蝉の声が響く中、汗の滴る音だけが耳に残る。どちらも声をかけることなく、時間だけが過ぎた。

 彼の息がかかるくらい。彼女の息がかかるくらい。なんかもう、勉強なんてどうでも良くなって……。


「よくないから、どいてね」


 彼の声が、この空間を切り裂く。


「あと、わざとこけるのやめてね。危ないから」

「うーん。上手くいくと思ったんだけどなぁ」

「上手くいかない。受け止めなかったら危ないだろ?」

 

 はぁい、なんて気の抜けた返事をしながら、折角の薄着で誘惑する機会を狙っているのだ。

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ワタシノモノガタリ Racq @Racq_6640

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