第9話 強さ

 侍従長がエーリカの元へ駆けつけると、そこには腹部に血を流しながら倒れていた女性、ステラがいた。

 すでに顔は熱が無くなったかのように青白く、そこから言葉を発する様子も見れない。


「……なきゃ……今すぐ回復させなきゃ……」


 エーリカは必死の形相でステラに両手を近づける。

 その手は哀しみのあまり、プルプルと震えていた。


「もう……無理よ」


 しかし、侍従長の嗚咽を交えた冷たい声が、エーリカの心に深く突き刺さる。


「無理なんかじゃ……!」

「それとも……死霊術で生き返らせる?」

「……っ!!」

 

 分かっていた。

 分かっていたのだが、認めたくなかったのだ。

 しかし、侍従長の言葉に、エーリカは目の前の全てを自覚する。


「あなたの使う死霊術は、そんなものじゃなかったはずよ」


 エーリカの考える死霊術は、道半ばで散っていった人たちにもう一度生きるチャンスを与え、安らかな気持ちで万物の神の下に送ってあげるという術だ。

 考えもなしにただ自分の私利私欲のためだけで死霊術を行使するのは、エーリカの意義に反してしまう。


「約束……したのに……」


 エーリカは涙を流す。もう二度と、大切な人を失いたくなかったのに。また一人、自分の目の前で命を落としてしまった。


「私のせいで……」

「エーリカ……」


 自責の念に駆られるエーリカに、侍従長も涙腺が緩みエーリカの名を漏らす。

 自分が、ステラの元にやってきてしまったから。


「私が止められなかったせいで……」


 自分があの騎士たちを止められるほど、強くなかったから。


「私が……私が弱いせいで……」


「いえ、あなたのせいではありません。エーリカ王女」

「……っ!」


 嗚咽を交えながら自責を繰り返すエーリカの元に、アッシュブロンドの髪をなびかせた少女がやってくる。

 そしてその後ろには、所々の傷を負ったレイズの姿も見受けられた。


「あなたは、ヴィカトリアさん……どうしてここに……」

「ちょっと用事があったものですから……エーリカ王女」

「はい……?」


 ヴィカトリアは凛然とした眼目でエーリカに言葉を綴る。


「ステラ様を殺したのはアヴァロニカの騎士です」

「それでも、私が止められなかった……」

「そして、私の商会はアヴァロニカ帝国にも大量に武器を貿易しています。ですので、今回の責任の一端も、私に有ります」

「え……?」


 違う、ヴィカトリアのせいなどではない。

 エーリカははっきりとそう言い放つヴィカトリアに対し思いを巡らせる。


 カルテット商会は、死霊術信仰の偏見により他国との交易が少ないレディニア王国にとって、ハインゲア王国以外の唯一の貿易相手だった。

 そのため、商談などで頻繁に王城へ訪れたヴィカトリアを、エーリカは幼いころから知っていた。

 齢十二歳にして世界をまたぐ一流商会の長となったヴィカトリア。

 そんなヴィカトリアを、エーリカは心から敬愛していたのだ。

 だからこそ、エーリカはヴィカトリアの野望を分かっていた。自分が一番の理解者だとも自負するほどに。

 なぜ、他国からひどく忌み嫌われているレディニア王国とも、ヴィカトリアは良好な交易関係を継続していたのか──


「……そんな!ヴィカトリアさんは世界に商会を広めようとしてるだけで責任なんて!」

「だから、そんな私が言うのも烏滸がましいですが……これだけは言わせてください──あなたは弱くなんかありません」

「え?」


 ヴィカトリアの思わぬ発言に、エーリカは目を丸くする。

 ステラの亡骸をひとり見守っていた侍従長も、思わずヴィカトリアの言葉に耳を傾けた。

 

「その涙が、あなたの強さです」

「涙……?」


 ヴィカトリアも知っていた。

 自分がカルテット商会の長に就任した時から、商談のために度々訪れていたレディニア王国。 

 その王族との会議中に物陰から自分を見つめていた、ひ弱な少女の姿を。

 茶色の髪の華奢な少女は、よく会議中の自分をキラキラとした表情で見つめていたのだ。

 その翠色の瞳は、遠目から見つめても美しかった。

 しかし、自分がその少女にはっきりと目を合わせると、少女は恥ずかしがって物陰に姿を潜めてしまう。

 のちに国王から話を聞くと、その少女はレディニア王国の第二王女なのだという。

 それからレディニア王国を訪れると度々その少女の姿を見かけたが、少女はいつも人に謝ったり沈鬱な表情をしていることばかり。

 自分が話しかけようとしても、すぐに物腰に隠れてしまう。

 そのくせ国王の目の前になると、年頃の少女らしい笑顔を見せる。

 誇り高き王族にも関わらず、自己肯定感が低く人見知りな少女の姿。

 そんな少女に、幼いながら世界を駆ける商会の長という重責をかけられたヴィカトリアは、一時の重荷を下ろされたような解放感を味わえた。


 ある時、王城の庭園でヴィカトリアは少女の姿を見かける。

 ヴィカトリアは今日こそはと話しかけようとするが、直前で足を止めた。

 少女は泣いていたのだ──目の前に血を流して倒れている、小さな鳥を見つめながら。

 よく見ると少女の服や手に血がこびりついているではないか。

 大方、小さな鳥を助けようとしたのだろう。ヴィカトリアは身を潜めながらそう考える。

 すると、少女の小さな呟く声が聞こえた。


 助けられなかった……私のせいで……


 その瞬間、ヴィカトリアは感じたのだ。少女の中にある、厚くて淡い何かを。

 ヴィカトリアは少女に近づき、少女の肩にそっと手を寄せた。


 ──あなたは……

 ──優しいんだね、君は……友達になろう


「あなたは誰かの不幸を悲しむことができる。そうやって、涙を流すことができる。すなわち誰かを想い、感情を表に出すことができる。それは間違いなくあなたの強みなのです」

「……っ!!」

「もし今後、自分のせいだと感じた時には、また悲しんでください。そしてそれを糧にしてください。そうすればあなたは、今よりもずっと強くなります」


 エーリカはヴィカトリアの言葉に感涙を流す。

 ずっと惨めだった自分を初めて強いと言ってくれたのだ。

 それも、自分がずっと尊敬している相手に。


「安心しろ!エーリカは俺が泣かせない。次にお前が感情を表に出すときは、お前が笑ってる時だ」


 ヴィカトリアの後ろで、レイズがニヒッと笑い断言する。

 もう、レイズさんったら。そうため息を漏らしながら、エーリカは涙をぬぐう。

 

「そうしていつか、理不尽で誰も泣かなくていい、平和な国を創ってください」


 ヴィカトリアは、ゆっくりと息を吸いこみ、優しい声音でエーリカに言葉を伝えた。

 その目には、光が灯されていた。


「な、何で私が国を作るってことを……!?」

「あなたが考えることくらい分かりますよ。伊達に何年、あなたの友人をやっているのですか」

「えぇ……」


 ヴィカトリアの言葉にため息を漏らしつつ、エーリカは友人と呼ばれたことにほくそ笑む。


「冗談です。ステラ様にレディニア王国を再興させるってこと話してたんですよね。私ちょっとが広いだけですよ」

「そ、それは……」


 昨日、エーリカとレイズが夕食を終えた後、食器を運びに給仕室にやってきたエーリカは、偶然にもそこでステラと居合わせた。

 その後ステラに誘われて数舜の雑談に花を咲かせたエーリカは、心の中に留めていた疑問をステラに投げかけた。


「あの、ステラ様はどうして私なんかを匿ってくれたのですか?」

「今更なんだい。そんな質問」

「ご、ごめんなさい!」


 ステラに質問を一蹴され、エーリカは恥ずかしがって思わず頬を赤く染める。


「いいよ。実のことを言うとね、最初はあんたたちが来た時、驚いたんだよ」

「え?」

「王都が燃えつくされたって聞いた時、思いたくもなかったんだが、正直王族はみな殺しにされたと思っていたよ。相手がアヴァロニカじゃあね。それなのに、あんただけが生き延びて私らの元に現れたんだ。そして働かせて欲しいと言われた時、一瞬断ろうとも思った。もしあんたを匿ったことがアヴァロニカにバレたら、レマバーグの町がタダではすまないとね」

「……」


 三日前、イシュタリア家を訪れた時に笑顔いっぱいで自分とレイズのことを歓迎し、その後仕事まで紹介してくれたステラにもそんなことを考えさせてしまったのか。

 エーリカは自責の念に駆られ顔を俯く。


「でもね。あんたの目を見て、私は匿うことを決めたんだ」

「……っ!」

「自分の国が滅び、親さえも殺されたんだ。それなのに、あんたの目は輝いてた」

「え?」

「あんたには私の元で働いてまでやるべきことがあるんだろう?」


 ステラの疑問を真摯に受け止め、エーリカは翠色の瞳を真っ直ぐとステラに向かせて話をはじめる。


「──私はこの国をまた再興させたいんです。それが、お父様……国王陛下から仰せつかった使命なので。だから、そのために旅がしたい」


 ステラもエーリカの胸中を分かっているかのように、辛辣な言葉を並べる。


「滅びた国を再び復活させるのは難しいことだよ。ましてや、アヴァロニカ帝国の存在と死霊術師への偏見意識がある今の情勢では、レディニア王国の再興など他国が許さないだろうね」

「はい分かってます」

「何やら自信あり気な顔をしてるね」

「なんでかは分かりません。ですが、レイズさんと旅をする限りはできる気がするんです」

「ふふっ、あの少年をよっぽど頼っているようだね」

「た、頼ってるだなんて!」


 エーリカはステラに揶揄われ再び赤面する。


「なら、期待していいんだね」

「はい、約束します」


 エーリカの瞳は、決意を秘めているかのように、翠色に輝いていた。


「結局、その約束をステラ様と果たすことはできませんでしたけど」

「ですが、あなたの夢は諦めていないのでしょう?」

「はい、天国でステラ様が私を見ていてくれる限りは、私は諦めません」

「言いましたね。ではそのことで少し、お話ししたいことがあります」

「話……?」


 ヴィカトリアの言葉に、エーリカは首を傾げる。


「手伝いますよ、あなたの夢」


そう言ってヴィカトリアは、エーリカに手を差し伸べた。




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