A-3

 マットレスに鮮紅を広げ横たわる零花の前で、その紅したたる槍を膝に乗せ、うなだれる。

「また、助けられなかったのか」

「ここはあんたの持つ世界観。今回刺すことを決めたのは他ならぬあんた自身だ」

 後ろから肩に寄りかかってきた焔を押し倒しその首にやりを突き立てた。

「違う、俺がこの子を刺す理由なんかない、お前が刺した!初めもそうだった!」

 焔は動じない。槍を気にも留めず、淡青の瞳でこちらをを捕らえて話さない。

「今この瞬間にあるこの槍は、間違いなくあんたの意志で私に向けられているようだがね。同じことさ」

 人差し指で刃をなぞる。そうして混ざった零花と自分の血液を、焔は自分の舌で舐めとった。

「あんたは私を力で以ってねじ伏せられると思ってる。まあ私に限りゃ実際そうさ、生きた年すら数えるのをやめた老いぼれの狐なんざ、その細い腕でもイチコロだろうよ」

 説得でも、死ぬまでの時間稼ぎでもない。こんな状況で、会話のペースを乗っ取っている。

「……何が言いたい」

「この子に対してはどうだ? やっぱり自分が強いと思い込んでる。でなきゃ『離れるなよ』なんて言わんだろう」

 向いた刃を侮りながら、にやけた口で言葉を紡ぐ。その様子から、その言葉によほどの自信があるのだろうとは思っていたが、その言葉の意味は未だ掴めず、その動揺で刃先が揺らいでいた。

「吸血鬼ともあろう飛驒零花のことを、未熟で弱い女児おんなごの如しと信じて疑わん。自分自身が彼女を傷つけかねんとすら思っている。それが表出しただけのことだ」

「傷つけかねない?ああ、お前が刺したとき、俺が柄を握ってた。それであの子は一度死んだ。吸血鬼だろうが殺してしまえる、そうは思ったさ」

「どうしてそこに疑問を持たん?吸血鬼が槍一本で死んだことに?あのときの飛驒零花はあんたの記憶が作り出したもんだ」

 だから何だ。わからない。

「あんたの思い込みが世界を作る。あの世界で飛驒零花を私が刺した後彼女が死んだのは、その時彼女は死ぬと、あんたが思い込んだからだろうに。」

「……あの世界の。……あの零花は、俺が勝手に作り出した、偶像」

「そうさ。あんたは前にも同じ勘違いをしていたようだが。ドリームボンド、だっさい名前だが、あの時も、自分の記憶が形成した飛驒零花を、本人だと勘違いしていた」

 あの事件を知っている。それどころか俺のことまで。

「なんで、それを」

「どうしてあんたの過去の行動を知っているのかはまあ後で話す。また、あんたが勝手に作った人形としての飛驒零花に会わせてやろう。彼女に何をしても、本人には影響せん。何をしてもな」



「どしたの、早く行こ」

 振り出しに戻った。門をくぐる前に。

 俺が勝手に作った、人形としての、飛驒零花。いつもの調子で小憎たらしい態度を徹底した、今目の前で、後部座席から身を乗り出して問いかける少女が、人形だと。……オリジナルはどこに?

 槍。こんなもの持ってきていないし、家にもない。しかしあの狐は「あんたのだろう」と確かに言った。

「……零花。ごめん」

「!?!?」

 その槍で、零花の頭を思い切り殴りつけた。

 彼女に何をしても、本人には影響しない。何をしても。

 バンの座席で丸くなり、刃で陥没した右のこめかみを両手で押さえている。

「……な、……、」

「大丈夫。傷見せてくれ」

 へこんだ頭蓋は既に元通りになっていた。視力を取り戻した右目で、突然牙を向いた親を見つめている。

 死ぬと思えば死ぬ。そんなくだらないタネを明かされた今なら、「死なないと思えば死なない」ということを、思っている。

「ごめん、ただ――」

 説明したところで何になる? この子はオリジナルじゃない。自分の記憶でしかない。何をどれだけ説明しようと、意味がない。

「な、んで、なんで、久」

 後部座席へ乗り移る。混乱する中で彼女はとりあえず拒絶を選択した。

「や、来ないで!」

 構わず上から被さるようにして抱きついた。顔の右半面を真っ赤に染めた零花の息が詰まる。

「俺、まだ零花のこと、自分より弱いと思ってんだな」

「……なんのこと」

「やめろ。そんな目で見るな」

 首を横から貫くように槍を刺した。椎骨の前面を削り脈をかっさらう。抜くことはせず、胸郭がきしむほど強く、両の腕で抱き締める。

 何も言ってほしくないし、何も伝えてこないでほしかった。いくら記憶の人形といえど、かなぐり捨てた信頼について責め立てるようなことをされては、正気でいられる気がしなかった。

 強張った彼女の身体から伝わる力は恐ろしい早さで抜けていく。

「血ィ抜いたら死ぬのか、まだ俺が強さを認識してないのか。これじゃわからんな」

 そうしてまた、世界は幕を閉じる。



 家の地下。

「あっはははは!私の言ったことを確かべるべく、わざわざ自分の娘をまた殺しに行ったのか!」

 返す言葉もない。ないうちに、今度は無気力に横たわっているところに人間の姿で押し入り、乗っかった。

「で、簡単に殺せたと。実際あれで吸血鬼は死なん。

「!!」

 まったく、その通りだった。

「その槍は槍として使うべきじゃあない。人間なら、別の使い道だって見出だせるだろう?槍ってのは、じゃない。だ」

「いちいち回りくどいんだよ、さっきから何が言いたいんだ」

「はっ、回りくどいだって?こうも明瞭に、伝えているじゃないか。あとは実感するだけだ。百聞ひゃくぶんは、というだろう。どうだ、また人形遊びに戻るか?」

 煽る。ばかでのろまな人間を、聡明ぶった狐が笑う。

 間をおいて、息を横に吐き捨てる。

「はあ……そもそも槍ってなんなんだ、俺のだって言うが俺は槍なんか持ってない」

「槍を槍として見なくたっていい。ここじゃ概念が形を持つ。飛驒零花がくっつけた夢の中で散々見たろ、遊んでほしい犬、彼女の怒りから成長した蔦、ばくとして現れる獏、んで、シロサイ。性質を考えろ。槍の持つ性質は?……あんたの頭から生まれた槍なら、あんたが槍に持つ印象や偏見でもいい」

 現実世界のように、五感を通して、第三者が形作った世界を見るわけではない。自分と焔がいるこの世界では、どこまで行っても、自分と焔の脳ミソが、歪んだ認知も偏見もなにもかもそのままに、思い描いた概念にそれ相応の見た目を着せて、二人の意識に投影する。歪んだ認知や偏見が、そのまま、現れるのだ。

 だから、吸血鬼も死ぬと思えば死ぬし、逆もしかり。山が割れると思えば割れる。しかし死ねと思っても死ぬとは限らない。死ねと思えば死ぬ、と思い込んでさえいれば、死ぬ。

「飛驒零花は以前、自分を散々な目に合わせた男、正確には自身が持つ記憶から形成されたその男に自分を傷つけさせることで彼を倒し、自らトラウマに打ち勝ったようだが、言ってしまえばあれだって、倒せるとさえ確信していれば、そのための手段などどうでもよかったんだよ。……余談だが、彼がもう存在しないことを再認識するという目的に対しては、自分の手で彼を殺すというのは最善の手立てだったな」

 映画を二度見た後の余韻を楽しむように、また他人と考察の答え合わせをするように、そう言った。

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