3
その“同志”が首を括って死ぬ、数ヶ月前。
「どうして、施設内に入らせていただけないのですか?」
若葉はそう訊いた。
「家族の家だからね」
そう返ってきた。
“リッター”は部外者だから、という事なのだろう。
近頃目に見えて顔色の悪いその男は、職員も既に全て解雇していた。
今、その息子が目の前にいる。
「……若葉、頼む。トイレと風呂だけは一人にしてくれ」
「嫌です」
と、何度か言ったが流石に譲ってはくれなかった。
だからイツキがトイレや風呂の時は、扉の前で待ち、ニ分おき程度にノックした。
――花見には遅く、山開には早い新緑の季節だった。
イツキはペレストロイカに行き、三菅にギャンブルゲームを申請した。
一億を賭け金とした。
同志リストで改めて確認したとき、三菅の勝敗は0勝0敗であった。ギャンブルゲームの経験が無い。
登録してそう間が空いていないのだろう、同志ナンバーも167と、イツキと近かった。
(ペレストロイカから孤児院の情報をもらって、その代償として同志の登録をしたんだろうな……)
イツキの推測は、概ね当たっていた。
翌日、午後三時過ぎ。
「イツキ様。あなたにギャンブルゲームの申請がされました」
ロビーのイツキに若葉が言った。
若葉は相変わらず髪を結わい、燕尾服を着ている。日を跨いでも着替えた様子がない。
この日も外は雨であったが、それでも服装は変わらなかった。
洗っていないのか、同じ服が何着かあるのか訊こうかともイツキは思ったが、さして興味も無く、やめた。
「……ゲーム申請? 三菅が?」
「いいえ。水沢斉七朗という神父です」
イツキはペレストロイカでの経験が浅く、年齢も若い。それ故、組みし易しとイツキにゲームを申請する人間がいる事自体は理解しやすい。
しかし、あまり使われる事のないペレストロイカに於いて連戦。偶然にも思えるが、必然ならば嵌められているかもしれない。
規約では、ギャンブルゲームは権力者側(ゲームを申請された側)が用意する事になっている。
三菅との勝負への対策を立てながらも、自身も新しいギャンブルを考えなけらばならなくなった。
「賭け金は?」
「土地です。金銭ではありません」
若葉が言うには、神父が都心に持つ三百平米の土地とこの孤児院の地価価値が同じらしく、それを賭け物とするという。
イツキが賭けるのは神父の土地と同価値のものならばなんでも良いが、
「……くれてやるものか……」
金では足りない。
「……は?」
若葉は言葉の真意を汲み損ねた。
かといってイツキも、言い直したりはしない。
「“物”など用意しなくても、勝てば問題ないんだろう?」
「まぁ、そうですが」
イツキは取り敢えず、勝負の日付の決定を保留した。三菅との勝負の日付が分からなければ決められない。
窓の外を見た。
子供達が朝、傘を持たずに学校に行った事を思い出していた。
特に唯花は、置き傘も他の子供に貸したきりだった筈。
“The dog is turned to his own vomit again, and the sow that was washed to her wallowing in the mire.”
“犬は自らの嘔吐物に戻り、雌豚は洗われてもまた泥に戻る”
――新約聖書 「ペトロの手紙二」第2章22節
「杉野イツキ」
孤児院の外。雨傘を持って外へ出たイツキは呼び止められ、振り返った。
イツキは自分で差している傘とは別に、ピンクのビニール傘を手に持っている。唯花を迎えに行くつもりだった。
「……あんたは……」
そこには三菅の付き添いであった、イタリアンスーツの男が立っていた。
(確か……“蓮谷”とか呼ばれてたな)
高級ブランド品であろう作りのいい傘を差している。
「今度のギャンブルゲーム、負けてくれないか」
突然蓮谷という男はそう提言したが、イツキには受け入れられない。
「……それは出来ない。賭けている」
イツキは立ち去ろうと背を向けたが、
「神父とゲームをするんだろう?」
言われて、立ち止まった。
「ゲーム中は施設は無防備になるな。分かるだろう?」
「……!」
イツキが、神父・水沢斉七朗からギャンブルゲーム申請をされている事を、蓮谷が知っている。
思えば使用が不定期のペレストロイカでのゲームにも観客がいるのだから、ゲームがいつ行われるかは知ろうと思えば知れるのかもしれない。
「お前のいない間にも、悪意ある人間は孤児院に来れるんだぞ?」
蓮谷はイツキにそう忠告した。
それは、三菅の「拉致ちまってもいい」の言葉を現実化するという脅しであった。
とすれば蓮谷は水沢と接触し、何らかの取引をしたのだろう。この脅しの為に。
「なぁ杉野イツキ。俺達は何だって出来る。どれだけ汚い事でも出来る。だが穏便に済ませた方が互いの傷は浅く終わる。いいだろう? 今だってその気になればお前を殺して」
イツキは。
「……」
振り返っていた。
蓮谷に向けたその左眼は、虹彩の輝度に乏しい。
二人の間には雨と雨音が絶え間なく注ぐが、盾にも壁にもなりそうにない。
「……わかった、負けるよ」
イツキは少し俯いてから、嘘で返した。口約束でこの場をやり過ごそうとしていた。
「そうか、いいだろう……言っとくが、約束を違えたらガキどもの身の保障はしないからな?」
「……保障など誰がしてくれるものか」
「…………あ?」
「たとえば俺が、今ここで“その気”になって」
イツキは、差していた傘を降ろした。
「あんたを、殺すなら……誰があんたの身の保障をしてくれる?」
子供達を、この手で守ると決めていた。たとえ誰かを殺してでも。その一線をいつかは超える事をイツキは予感している。それは、今でもよかった。
蓮谷が子供達に危害を加えるというのなら、その前に殺してしまえばいい。
「……お前も“ガキ”か。やれるのかよ」
蓮谷は上着の内ポケットに手を入れ、イツキは一歩、二歩、傘を持つ手に力を入れて近づいていた。
――凶器を、寄越せ。
蓮谷は“今だってその気になればお前を殺して”――そう言っていた。つまり殺す為の何らかの凶器を持っている。
イツキはそれが欲しい。
おそらくはナイフだろう。銃ならなお良い。
肢体の一部を捨てれば、きっと奪える――不確定ながらもそう考えていた。
(そうだ、それが欲しい。俺は今それが――)
人を、殺せる力が。
「イツキ様!」
蓮谷の背後から不意に叫び声。孤児院を飛び出た若葉が、傘も差さずに向かってきている。
蓮谷は取り出しかけていたナイフをポケットに戻した。若葉の護身術(柔術か合気道術に見えた)を見ている蓮谷は、分が悪いと感じた。あれは訓練されている動き。
イツキがそんな若葉を見て足を止めたのを見て、蓮谷も息を一つ吐いた。
「……忠告はした。負けてくれ、杉野イツキ」
そう言って、蓮谷はナイフの代わりに丸めた書類を取り出し、イツキに投げ渡した。
広げて見てみれば、それは次のゲームのルール書面であった。
雨に濡れ続けるイツキを、若葉は傘の下に入れた。
「イツキ様、外出の際はお声がけ下さい。貴方を護りきれなくなります。送迎が必要なら私が……」
「俺よりも」
「……はい?」
「子供達を、護ってくれないか……」
「……」
若葉は予感した。
この少年は、目を離したら死ぬ。彼の父親と同じように。
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