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しばらく無言だった。半年くらい無言だった気がする長い長い無言だった。その間に俺も多少は落ち着いて、明星の運転するオデッセイが案外古いことや同じアーティストの楽曲が流れていることにちゃんと気付き始めた。視線だけを下ろす。握られたままの手は握っているというか掴まれている。すがるように。理由はわからないが明星は溺れかけているのかもしれない。
「何か食べようか、大河さん」
明星は視線を嫌がるように手を離してサービスエリアに入った。車の姿はけっこうある。夜の中にサービスエリアは浮かんでいた。その眩しさに目を慣らす暇もなくさっさと車を降りた明星を慌てて追い掛けた。食券を買うタイプのフードコートはそれなりに繁盛していて、でも空いていた隅の二人席に向かい合ったところで急に心許なくなった。明星は饒舌な方だった。黙ったまま箸を割りラーメンを食べ始める明星陽平は明らかに様子がおかしかった。ピックアップされて連れてこられたのは俺の筈なのに拾って保護した気になってきた。野良猫。朝陽の言葉を思い出す。
「そんなに遠くには行かねえって」
見つめすぎて話し掛けられフードコートのざわめきがぬるりと戻ってくる。明星はメンマをもぐもぐ噛み、目だけを俺に向けてくる。
「オレが行かなくて拗ねてた?」
「……拗ねてたというかキレ気味だった」
ふはは、と悪役のように笑われる。当然俺はカチンと来る。
「あのなあ明星。来なくなるのはともかくそれならもう行かないとか別れようみたいな連絡はしろよ、お前がだらしないのは知ってるけどその辺りをちゃんとしないから前の彼女に追い回されたりするんだろ。取っ替え引っ替えすんのも、俺は良くないと思うけどお前の話だから首は突っ込まないけども」
「もうかなり深いところに突っ込んでるよ」
それはそうだけどでも。
「それはそうだけどでも、今はなんていうかお前と一緒にいるわけなんだから、突っ込むことに関しては仕方なくないか?」
「その判断はオレがするもんじゃねえよ。大河さんとしか一緒にいなかったわけでもないし、オレはただ鍵開けてー部屋泊まらせてーってお願いしてただけだからいつでも決定権はあんたにあったんだ。勝手にズブズブになってるのは大河さんのほう」
「そっ、れは、そうだろうけど」
ぐうの音も出ない。頭が回らず箸をつけていなかったうどんを食べてやり過ごす。明星も黙ってまたラーメンを啜った。遠いテーブルで笑い声が聞こえる。作業着らしい服装の男性が三人、明星と同じラーメンを食べながら楽しそうに話し続けている。今何時だ。スマホは二十時前を指している。うどんは少し伸びていてあまり美味しくないしわかめじゃなくてきつねにすれば良かった。明星が席を立つ。椅子を引く音は思いのほか大きくてトレイを返しに行く背中はそのままいなくなりそうで慌てて立ち上がったが、明星はなんでもないような顔で俺のところに戻ってきて前までと同じ様子で口元だけに笑みを浮かべた。食い終わるまで待ってるよ。明星は向かいにまた腰を下ろして俺が美味くないうどんを完食するまで本当に待っていた。
助手席に乗り込むとただちに発進されてそろそろ何処に行くかは言えよとサービスエリアを出てから五分後くらいに聞いた。答えないだろうなと思っていたが明星は素直に口を開いた。
「次の次で降りる」
次の次、と声に出す前に目の端に看板が過ぎって行く。県を跨いだ。だからといって景色が激変するわけでもない。俺の心を読んだように明星はまず笑う。
「トンネルでもあれば県境って感じするのになあ、実際はこんなもんだよね」
「山が多いわけでもないし、地元なら別だけど」
「トンネルを抜けるとそこは雪国でした、ってな具合だと跨ぎがいがあるけどさ」
車がじわじわ減速していく。次の次はもう来たらしい。明星はランプを降りて減速のためのぐるりと回ったカーブを進み、普通の道路に出てから小さな欠伸を落とす。隣県まで来て何をするのか俺はまったくわからないが地図も表示しないから走りなれているのだとはわかる。海が近いんだったか。まさか海を見ようとか言い出したりしないよな? 訝ってみるけど普通に杞憂で、明星は街燈の少ない方向を選ぶように走り続けてそこそこ閑静な住宅街までやってきた。いよいよなんだよと思うが答えはもう目の前にあった。縦よりも横に広い建物にいくつもの窓が規則的に並んでいる。
「団地?」
「市営のね」
明星は駐車場に迷いなく入って車を停める。迷いのなさはそこかしこにある。真っ直ぐに玄関に向かう姿にどうしようかと不穏さを感じながらついていく。まさか他の女のところに連れてこられたのか? わりと本気で不審に思うが俺の不審も迷いなく看破する。明星は夜の暗闇の中で笑いつつポストの群れのひとつを指差し、暗いながらも読み取れた文字は間違いなく「明星」と書かれている。
「お前、住むとこあったの?」
「そりゃあるよ。家でシャワー浴びてきたって、オレ言うじゃない」
別のご自宅だと思っていた、主にビッチが住んでいる感じの。って言ってしまうとそのまま大きなブーメランになって刺さるから無言で頷き、中に入っていく明星をどぎまぎしつつ更に追う。部屋は三階だ。近付いてみれば、そして中に飲みこまれてみれば、かなり古い市営住宅だとわかった。明星は古くて重そうな扉を気だるそうに開け、誰もいないからとまず言った。
「誰もって、ここも人を連れ込んでるのか?」
「いや? 母親と住んでるから実家みたいなもんだよ」
ばたんと扉が閉まる。真っ暗闇の中にぼうっと浮かぶ眩しい男を振り返り見つめながらそれはおかしいと俺は思う、が、おかしくない道筋にも出来ると思い直して問い掛けるのは止める。でも明星は自分で話す。手探りでぱちりと電気をつけ、露になった雑多な部屋の中で俺を真っ直ぐ見つめている。
「オレが中学に上がる前に親は離婚して、それからは色々流れたけどここにおさまった。オレはずっと母親と暮らしてるしこれからも多分そうする、なんて話を、ただのセフレの先輩に聞かせても仕方ないんだけどまあとりあえずセックスでもしよっか」
台詞の最後があまりに急展開で固まっている間に明星はずんずん近付いてきて俺の腕を遠慮なく引っ張った。人の気配は確かにないが母親と同居しているところでセフレと致そうとするなよと詰るけど無意味な抵抗というもので、暗いままの部屋に連れ込まれベッドに倒されると案の定溺れた。明星は気だるそうにシャツを脱いで俺を脱がせて大河さんとすんのいつぶりだっけとうわ言みたいに呟いて、顔に触れようとした俺の手に無精髭の残る顎を擦り付けた。そして無邪気としかいいようのない声で笑った。とてもとても眩しかった。縋りつくように腕を回して目の前の後輩を貪った。途中で口をふさがれ壁は分厚くないと囁かれたところで余計に燃えて、俺は或いは明星も、満足するまでベッドを揺らした。
でも明星が俺の部屋に来なくなってからの一ヶ月の長さはここからが本番だったし事に及んでいる最中はほぼ猿だったので、気付けるわけないだろ馬鹿って後々嘆いた。
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