第25話

暑い。

さっきまでの寒さが嘘みたいに、とにかく暑い。

蜃気楼が遠くの方でゆらゆらと揺れて、遠く先がずっとあるような気がする。

さっきコルも言ったけれど、砂漠地帯は隠れる場所がない。

羽織ってきた軽めのコートで日差しと顔を隠しながら、二人は音を立てずに少年の足跡を追う。

距離にして約100mくらいだろうか。

視界を遮るものがないため、随分と近くにいるように感じる。


「あいつ…全然、俺らに気づかねーな。いつもならピリピリしてるくせに」


「足取りに力がないから、多分力もないと思う。私らのことなんて気づかないぐらい弱ってるのかも。それに、さっき街に戻ったって言うのに、飲み物も食べ物も買わずに行っちゃったし…」


「確かに。マジで生きてんの?亡霊とかじゃねーよな」


「足が2本生えてるんだから、それはないでしょ」


冗談で言ったつもりが本気で返されると思っていなかった。

コルはノリが悪いな、と苦笑いを浮かべる。


「あんまり砂漠地帯に来たことがないから分からないんだけど、ここって何系の魔物が多いの?」


「色々いるぜ。砂の中に隠れてるやつもいるし、空から狙うやつもいる。俺らが隠れられないってことは、連中も姿を隠れるところがないだろ。だから、森なんかと違って、身を潜めることが多いな。例えば、ほら…右を見てみ。地面から花っぽい何かが出てるだろ?」


「うん…花っていうか、綿毛?みたいなやつなら」


「あれが触手。風の流れ、人の気配、音とかを敏感に察知して、近くにきたらばっくり行くらしいぜ」


「へー………」


「知識ないのによく行こうと思ったな。死ぬぜ?」


「むぅ。うっさいわね!勉強するわよ!すればいいんでしょ?!」


あまりいじりすぎるのも良くないらしい。

リブは小馬鹿にされたことが悔しくて、砂を空に向かって蹴り上げた。

蹴り上げたと同時に、ふわりと甘ったるい香りが漂う。


「なにこれ?」


「は?」


「この匂い。わかんない?」


コルはなにを言っているんだ?と首を傾げた。どうやらリブしか感じ取れないらしい。


「甘い匂いがするの。高い香水を身体中吹きつけたくらいの!砂糖よりも甘い匂い。もう臭いくらい」


「胃もたれしそう?」


「する!匂いだけで、喉がイガイガする」


「なるほど。けど、ありえないよな。この辺に…砂漠地帯で…?」


「どうしたし。何か心当たりがあるの?」


「うん、まあ…でも…いや、まさかなー…」


「何よ。はっきりいなさいよ」


「いや〜」


なにを聞いても「うーん」と頭を悩ますコルに苛立ちを隠せないリブ。


「ほんとなんなの!言葉にしないとわかんないでしょ…!」


「しっ…!!」


リブがコルに抗議を送るところで、コルはリブの口を手で塞ぎ、彼女のことをサボテンの裏に引っ張った。


「もごもご!」


完全に口を塞がれて、リブは文句一つも言えなくなった。


「静かにしろって。ほら、見てみろ」


なにを?と思いながら、リブはコルの指差す先を見る。

すると、そこにはガサツそうな冒険者二人に対峙する少年の姿があった。

少年は二人の足元を見つめながら、言葉を失っているようだ。ショックの色が隠せていない。


「あ…」


少年が悲しげな声をあげる。

せっかく買ってきた鉢は少年の手からするりと抜け落ち、砂漠の砂の上に刺さった。

男たちは気にする様子もなく、雑草のような物を引っこ抜き、大きな声で笑っていた。


「いやー!奇跡ですね!!こんな砂漠のど真ん中にマンドラゴラが生えているなんて!」


「こいつの根っこは貴重だから、えらい金になるって話だぜ。早くギルドに持っていこうぜ!」


男たちがつまみ上げたもの…植物の魔物・マンドラゴラだった。

人を襲うことは滅多にない。攻撃能力を持たぬレアな魔物で、その身を守るために甘い匂いを周囲に放つ。その匂いは人間の女性と魔物にしか感じられないとされており、魔物はこの匂いが大の苦手で寄り付くことはない。

マンドラゴラの唯一の防衛だ。

そうして何者にも見つからないよう隠れて暮らしている植物なだけに、人前に現れることが滅多になく、魔物の中ではレア中のレア。

男たちが狙っている根っこは非常に貴重で、その日の疲れを一気に吹き飛ばす精力剤として使われる。


「やっぱりそうだ…マンドラゴラだ」


「マンドラゴラって、あの?!めっちゃレアな魔物じゃん」


「こんな砂漠地帯に生えてるなんて初耳だぜ…」


植物系の魔物に関しての知識は人一倍身につけたコルでも知らない情報だった。

マンドラゴラは神出鬼没の魔物だ。

文献を漁っても出てこない情報も多々あることだろう。


「や、やめろよ!!彼女を傷つけるな!!」


「あ?何言ってんだよ。俺らが先に見つけたんだぜ?」


「横取りしようってのならぶっ殺すぞ!さっさとどけ!!」


遠くの方で少年と男たちがなにやら揉めているようだ。

少年は男たちが引っこ抜いたマンドラゴラを返せと服を引っ張る。

しかし、体格差が大きい。

男たちは少年を「どけ!」と突き飛ばした。


「いやだ」


突き飛ばされて尻もちをついた少年は、地面の砂をぎゅっと握る。

初めてかもしれない。

少年の感情がここまで荒ぶる様子を見るのは………


「あ?なに魔物の肩持ってんだ、お前」


「彼女は…無害だ」


「はー?馬鹿言ってんじゃねーぞ。魔物は全部害虫だぜ?いたら狩るのが常識だっつーの」


「ましてやマンドラゴラだぜ?狩らないで放置する方がおかしいだろ」


「違う。彼女は違う…」


あの時と同じだ。

トレントを前にしたあの時と…


「な、なんだ!?」


雲行きがどんどん怪しくなってくる。

降るはずもない砂漠の大地の上に雨雲が一斉に集まり、太陽は隠れ、夜のようにあたりが真っ暗になる。

雲の間から一瞬雷光が見えたと思うと、空は低い唸り声をあげた。

風が砂をぶわりと持ち上げ、冬のように冷たい風が頬をさす。


「あれ、この状況やばくね?」


「呑気なこと言ってないでよ!止めるわよ!!あれはヤバい。絶対ヤバい。トレントの時と同じ…嫌な感じがする…」


「偶然じゃなかったってことかよ」


「わかんない。けど、ナナシを絶対止めないと!」


立派に生えたサボテンは風にあおられ、嫌なきしめき音をさせる。


「ちょっと、あんたたち!やめなさいよ!!」


「あ?!誰だ、お前ら!!」


「こいつの知り合い!赤の他人!だけど、あんたらの行き過ぎた行動を見逃すわけにはいかないから、間に入ってきたわけ」


「赤の他人なら放っておけや。俺とこいつの問題だぜ」


「放っておくわけないじゃん!ギルドの規則を知らないの?人に危害を加えることのない魔物は無闇に攻撃しないって。ましてや採取が複雑で貴重なマンドラゴラなら、手出しはしちゃいけない!共存のための決まりよ!」


「そうだ、そうだ!!お、お前らの一部始終は見させてもらったからな!ギルド長に報告させてもらう。今月中にはこの街にお前らの居場所なんて、な、ないと思えよ!」


「ふざけんなよ!!」


「ひっ…!!」


逆上した二人はコルに殴りかかろうとする。

わぁ!と目を閉じるコルだが、瞬間、大きな影がコルとリブを覆った。

少年の蛇だ。

珍しく二人のことを守ったのだ。


「へ、蛇だ!!お前、マジかよ!!お前が噂の蛇使いかよ!!」


「こんな奴の相手してられっか!!ほら、返す…この草、お前に返すよ!!じゃあな!!」


男たちは少年のことを認知していなかったようだ。

蛇に恐れ慄いた男たちはすぐに引っこ抜いたマンドラゴラを少年の前に投げつけ、スタコラさっさと逃げていった。


「………」


生きているはずがなかった。

元々強くない魔物だ。地面から無理やり抜かれれば、生命維持をすることが難しい。


「ナナシ…」


力なく地面に横たわるマンドラゴラを無言で見つめる少年。

リブはなんと声をかけていいのか分からなかった。

だが、その小さな背中を放っておくことはできなかった。


「ナナシ…その…まだ間に合うかもしれない…ほら、鉢に入れよ?」


リブは希望を捨てるなと少年の前に落ちていた鉢を拾い上げ、砂を鉢の中で満たす。


「………いいよ…何もしなくって。ずっと一緒にいなかった僕のせいだ…全部…」


「ナナシ!でも!!あんた、ずっとここにいたんでしょ?飲まず食わずで…。あんたがそこを離れなかったら、あんたは死んじゃうじゃん!」


「………いいから。いいんだよ…僕なんて…」


泣いているのだろうか。

真っ暗な空から、ぽつり、ぽつりと小粒の雨が降り注ぐ。

砂漠の大地に降ることのない雨が、砂を濡らした。


「…一人にして…」


少年は立ち上がり、ふらふらと歩いていく。


「…ナナシ…」


あの状態の少年なら止めることはできた。

力ずくに街に連れ返すこともできた。

だが、今のリブもコルも…少年を見つめることしかできなかった。


雨足は一層強くなり、少年の足跡を消していった。

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