未来と記憶
春ノ夜
第1話
「加藤凛音です。よろしくお願いします」
中学1年の6月。中学校にも慣れてきたかなくらいのところで、季節外れの転校生が来た。
担任いわく、彼女は転勤族で、小学校の時から転校を繰り返していたらしい。
先生がみんな仲良くするようにと言うと加藤はそれを遮って
「仲良くしてもらう必要はないです。どうせすぐに転校することになると思うので」
クラスが凍った。僕はその中で隠れて笑ってしまった。どこの小説の登場人物だよと思っていると、先生は慌てて加藤を連れて教室の外に出ていった。クラスが少しざわめいていると、2人とも戻ってきて、加藤が棒読みを隠さずに
「仲良くしてくれたら嬉しいです」
と言うと、先生は諦めたように加藤に席を教えて着席を促した。加藤は周りを見ることなく、席に座る。
まだ名簿順の席のため、加藤は1番後ろの席だ。
加藤の紹介が終わると、朝のHRが終わって5分休憩に入る。クラスのいわゆる陽キャなる人達が勇敢に加藤に話しかけようとするが、加藤は最初に「話しかけないで」と言って、その後何を話しかけても無視されるばかりだ。
結局何も話すことが出来ずに授業が始まった。
その中でわかったことは、加藤はかなり頭がいい部類だと言うことと、結構可愛い声してるなってことだ。挨拶の時から思っていたが、加藤はかなり可愛い声をしている。まぁそれがなんだという話ではあるが。
給食の時間。僕の学校は6人ぐらいの班で給食を食べるが、加藤は机を班のみんなから離していた。
給食を食べるスピードが早く、食べ終わるとすぐに小説を読み始めた。読書好きな俺としては加藤が何を読んでいるか気にはなるが、話しかけることなんて出来るはずもなかった。
昼休みに入って、ほとんどの人は体育館に向かった。というか、俺のクラスは体育会がほとんどだから教室には誰も残らない。
だが、今日は違った。図書室から借りていた本を返さなくてはいけなかったことを思い出し、本を取りに教室に戻ると、加藤がいた。
他に誰もいない教室で1人読書をしていた加藤は、気配を感じたのかこちらを一瞥したが、すぐに本に目を戻した。
なんというか、絵になるなと思った。
絶世の美女というわけではない加藤が読書をしているだけなのになぜそう見えるのだろうか。
いつまでも見ていたい気持ちに駆られるが、さすがに失礼かと思って本を取って図書室に向かおうとすると、加藤に話しかけられた。
「図書室に行くの?」
「は、はい」
話しかけられた衝撃で少し驚いたが、なんとか返事をすることに成功するが、思わず敬語で答えてしまう。
「なら、案内してくれない?」
「え?わ、わかりました」
「なんで敬語なの?タメ口でいいよ」
「う、うん。わかった」
図書室に向かう廊下で、教室に残っている他のクラスの奴等の視線を感じる。気まずいが逃げ出すわけにもいかず、少し早歩きにして図書館に向かう。
道中特に話すこともなく、図書室に着いた。
「翔君、ありがとう」
「いや、ついでだし別にいいよ。てか名前覚えてくれてたんだ」
「もちろん」
加藤は勝手に僕に着いてくることもできたのに、案内を頼むあたり、真面目なようだ。それに、名前を覚えてくれていたことが嬉しかった。
加藤は図書室に入り色々見て回っているが、僕は返却だけなので手続きをし、借りた本を元の場所に戻して体育館に向かった。
そこから1年がたった。
加藤は転校するする詐欺じゃないかと思うくらい、転校するから、転校するからと繰り返していたが、
結局1年間転校することはなかった。
その間加藤は転校するする詐欺をしていたため、友達ができることはなかった。いや、僕は友達にはなれたんじゃないかと思う。
この後も帰りのHRの後、一緒に図書館に行く約束をしている。
「え?友達だったの?ただの読書仲間じゃないの?」
まぁ、わかっていた。加藤と行くところといえば図書館や本屋ぐらいしかない。
「そもそも、友達の定義ってなんだろうね」
それは俺も考えたことがある。友達だと思っているけど、相手にそう思われてなかったら嫌だな、と思って口に出すことはほとんどない。
ここでやはり気になるのは友達の定義だ。これをしたら友達や、これを満たしたら友達みたいなものが存在しない。
「そんなこと俺も知らないよ。けど、赤の他人というわけでもないし、特別仲がいいわけでもないから、友達が妥当なんじゃない?」
「まぁ、それなら確かに友達になるかもね」
「なんか煮え切らない返事だな」
「なんか納得しきれないんだよねー」
その言葉を最後に、加藤が考え込んでしまった。こうなると加藤は結論が出るか、余程のことがない限り考えるのをやめない。
少し待っていたが、これは長くなりそうだと思い、小説を見て回ることにした。
図書館に来る機会はこの1年で増えた。これもきっと加藤のおかげだろう。その前は1人だとなんとなくいたらかったからあんまり通っていなかったが、加藤と一緒に来ることになってからは、そんなことを気にせず来れるようになった。
週4くらいで来ているからか好きなジャンルの本はほとんど読み終わってしまった。
違うジャンルの本にも手を出すときが来たかなと思ったけれど、やっぱり今まで読んだ本を読み返そうと思い、いつもの棚の前に立つ。
なんでもだけど新しいものには手を出せない。衝動買いとかする方だけどなんでだろうか。
本棚の前でつい考え込んでしまっていると、加藤が隣に来ていた。
結論はでないと思っていたから、こんなに早く終えるとは思ってもいなかった。加藤がどんな結論を出したのだろう。
「早かったね。それで結論はどうなったの?」
「んーーー。無いかなー」
「え?」
思わず聞き返してしまう。無いというのが結論とはいったいどういうことだろうか。
「無いんだよねー」
「転勤族の君なら今までの学校で友達だと思える人の共通点を出せばいいんじゃない?」
一瞬で加藤の顔が曇った。
「そうなんだけどさ。なんか今までの学校の記憶があんまりないんだよね」
「そんなことあるの?」
「いや、学校の記憶はあるんだよ。正しくは人の記憶がないんだよね」
「薄情なやつだね」
「そうなのかなー。まぁ、忘れるってことは大した人たちじゃなかったってことだね」
「それはそれで酷いな」
「酷くないですー。私の記憶に残らない方が悪いんだよ」
「君は神様か何かか」
「私の世界の神様です」
「なんだそれ」
たわいない話をして、笑う。これが出来るだけでも友達と言ってもいいんじゃないだろうか。
加藤が友達の定義を決めきれないなら、いつかそんなもの関係なく友達だと言わせられるように頑張ろうと心に決めた。
「そろそろ帰ろうか」
「今何時?」
「もう6時半だよ」
「そっかー。やっぱ図書館にいると時間の流れが早く感じちゃうな」
「気のせいでしょ」
「わかってますー」
確かに楽しいことをしている時は時間の流れが早く、辛いことや、嫌なことをしている時は遅く流れる…ように感じることがある。もちろん、そんなわけないのだが。
僕が楽しいことをしている間、誰か別の人は辛いことをしているかもしれない。その場合僕だけ先の時間に行くことになってしまう。時間はすべてに平等だろう。
テスト週間に入り、不要な外出は禁止となった。しかし加藤曰く「図書館の静かな空間で勉強したいという名目なら、図書館に行けるんじゃないか」
ということで、先生に話すと「別に構わないが勉強しろよー」言われた。
きっと加藤と俺の成績なら遊び呆けるわけではないと思われたんじゃないだろうか。僕は学年200人中30位くらいだし、加藤に至っては常に一桁に入るくらいに頭がいい。
「テスト週間はいいねぇー。なんてったって部活がないんだから」
「幽霊部員の君がそれをいうの」
「幽霊部員でも、部活休むたびに心を痛めているんだよ。だから部活が休みっていうのは心を痛めなくていいから気が楽なんだよね」
「白々しいな。君はそんなことで心を痛めるような人じゃないでしょ」
僕らの中学では、部活に所属することが義務付けられている。そのせいか、幽霊部員も一定数存在する。彼女はそのうちの1人だ。僕もほとんど幽霊部員に近いが一応出来るだけ顔は出している。まぁ、顔を出すだけで活動はしていないのだが。
図書館に来ても彼女はやはり勉強せずに本を選んで持ってきた。
「やっぱり図書館の匂いはいいね」
「そう?」
「わかんないかなー?この独特の匂いと空気」
「わかる気もするけど、やっぱわかんないかな」
「もっと図書館に来ればいずれわかるよ」
加藤に比べれば僕は全然通ってない方になるかもしれないが、世間一般で見れば僕は結構通っている方だと思う。それでもまだわからないなんて一体どれだけ通えばいいのかわからないが、それでもいつか分かる日が来るといいなと思う。
加藤の読書の邪魔をしないようにしつつ、僕は何をしようか考える。テスト週間なのだから勉強すべきなのか、加藤のように読書すべきなのかと思う。
迷った末に、勉強をすることにした。加藤が本を読んでいる間にわからないところをピックアップしておけば、加藤が読み終わったりしたらわからなかったところを聞けるからだ。
加藤がテスト内容を全て理解していることが前提となるが、加藤なら大丈夫だと思う。今までもほとんど勉強せずに一桁を取ってきているから、きっと授業だけで内容をしっかりと覚えれる天才型なんだろう。
加藤頼りになってしまうが、頭いい人は頭悪い人に教える義務がある、と思うからしょうがない。
そこから一時間ほど勉強したが、特にわからないところもなく順調に解き進めていった。加藤の様子を伺うと自分の世界を作っていた。周りの干渉を一切受け付けない加藤の世界。何度見ても美しいと思う。
本を読んでいるとき以外は元気いっぱいの少女だが、本を読んでいるときだけはミステリアスな雰囲気を纏っている。いや、転校してきたときはいつもミステリアスな雰囲気を纏っていたが、それは周りを寄せ付けないようにするためだったと本人が言っていた。
見惚れてしまっていると、視線が気になったのか、加藤が珍しく本から目を離した。
「どうしたの?」
「どうしたのって、なにが?」
「いや、なんか視線を感じたからさ」
「んー、気のせいじゃない?」
「そうかなー?」
堂々と見惚れてましたというわけにもいかず、誤魔化すことにしたが、加藤はそんな簡単に誤魔化されてくれるようなやつじゃない。しかし今日は本の続きが気になるのかそこまで深く追求してくることはなかった。
無言の時間が流れる。加藤は読書、僕はテスト勉強と集中して取り組んでいたため、たいして気にならなかった。
これが加藤以外の友達なら、テスト勉強しながらでも話題を振らなきゃと思うが、加藤ならその心配はいらない。
閉館時間十分前のアナウンスが流れた。僕は勉強道具をしまい終えた後、加藤を見る。加藤はアナウンスに気付いていないようで、黙々と読書をしていた。
「帰るよ」
「ん?あーもうそんな時間?」
「そんな時間なの」
本を読んでいると時間の感覚が分からなくなることがある。加藤も同じなのだろう。
「ちょっと待って」
加藤は読んでいた本をリュックにしまった。
「借りたの?」
「昨日ね」
「ならなんで今日図書館に来たんだよ。来る必要なかったじゃないか」
純粋な疑問をぶつけるが、返される答えはもう想像できていた。
『図書館が好きだから』
僕はわざと加藤の声に重ねるようにして言った。
加藤は驚いた顔をしていたが、すぐににんまりと笑って
「よくわかってんじゃん!」
僕の背中を叩きながら、図書館で出すには少し大きな声で言った。
僕は思わず周りを見回したが、この時間になるとほとんど客はいなかったため、ほっと一息ついた。
「とりあえずでようか」
「そうだね」
図書館から出て加藤と一緒に帰った。
「今回のテスト自信ある?」
「まぁ復習した感じは、そこそこ自信あるよ」
いつもは、テストの話はしない加藤にしては珍しく、自分からテストの話を振ってきた。
「ならさ、勝負しない?」
「勝負?テストで?」
「うん。どっちが点数高いか」
今までのテストなら絶対に拒否していた提案だったが、今回は本当に自信があったので勝負を受けることにした。
「いいよ」
加藤は少し驚いた顔をしていた。
「なんで自分からふっかけておいて自分で驚いてるんだよ」
「いや、まさか受けるとは思ってなかったから」
自分のことながら驚くのもしょうがないと思う。いつもなら絶対に受けない自信がある。
「じゃあ負けた方は勝った方の言うことをきくってことで」
「は?初耳なんだけど」
「今決めたからね」
約束をした後に後付けをするのはせこいと思うが、今回はそれを許せるほど、自信があった。
「いいね。そうしようか」
「じゃあ、よろしく」
「了解」
残りのテスト週間は加藤と図書館にいかず、自宅で真剣にテスト勉強に取り組んだ。
テストが終わった。結論から言うと僕の勝ちだった。僅差だったが、嬉しかった。
加藤の悔しがっている顔を見て、少し優越感に浸った自分を自覚し、性格悪いなと思った。
僅差だろうと勝ちは勝ちだ。しかし言うことをきいてもらうと言っても、僕は何も考えてはいなかった。それほどテスト勉強に必死だった。
だから、次に一緒に図書館に行くまでに決めておこうと思っていた。
そして加藤と図書館に行く日が来た。
「どんなことを私に聞かせようって言うの」
加藤は何故か強気に出てきたが、その肩は少し震えていたし、目にはくまができていた。
言うことをきくと言ったはいいが、自分が負けることは考えていなかったのだろう。僕は変なお願いをするような奴じゃないと、信用されてないのか。
「そんな心配すんなよ。エロいお願いなんてしないからさ」
「べ、べつに心配なんてしてないし。それで、一体どんな言うことを私にきかせるつもりなの」
悩んだ。この数日、この事ばかり考えていた。でも、加藤とやりたいことを考えたら意外とすんなりと出てきた。それに気づくまでの時間は長かったが。
「夏休み、僕と一緒に遊ぼう」
「え?」
ずっと胸の中に引っかかっていた、加藤の「ただの読書仲間」と言う言葉。この言葉を覆す為に、僕が加藤に求めること。
「友達になろう」と言うのは簡単だ。でもそれは本当に友達なのだろうか。言葉じゃなく、行動、あり方で友達になりたい。
「だから、夏休み一緒に遊ぼう」
「そ、そんなことでいいの?」
「もちろん」
「変更不可だからね」
「それは承諾と捉えてもいいのかな」
元々加藤に拒否権はないけど、一応確認しておく。
「…うん」
無事に承認を得ることができた。
「それじゃあ、今日はとりあえず本を探そうか」
夏休みの楽しみができたが、今日もせっかく図書館に来ているのだから、時間が勿体ない。加藤も読書がしたいだろうと気を利かせたつもりだったが、加藤は本を開いても、集中できていないように見える。
十分くらい様子をみたが、集中できていないようなので、声をかけた。
「どうしたの?」
「え?どうしたってなにが?」
急に話しかけられて驚いた様子だったが、それを感じさせずいつものように受け答えしてきた。
「なんか、集中できてないみたいだけど」
「そ、そんなことないよ」
「いやあるでしょ」
「なにを根拠に」
根拠と言われると難しい。感覚的なものだから説明の出来るものじゃない。しかし、加藤の反応で根拠ができた。
「根拠は反応したことかな」
「え?いや、話しかけられたら反応するでしょ」
「普通はそうかもしれないけど、いつもの君なら反応してくれないんだよね」
「うっそだー」
「残念ながら事実です」
普段の加藤なら絶対に反応しないはずの声がけで反応した。これは本に集中出来ていないことに他ならない。
「で、どうしたの?」
「どうもしてません」
「照れてんの?」
「照れてない」
頑なに否定する加藤に、これ以上聞けないなと判断する。
そこから帰るまでほとんど無言だった。
話しかけようとはしたが、無言の圧力に負けた。
時は流れ、夏休み最終日を迎えた。
遊ぼう遊ぼうとは言いつつ、結局最終日までもつれ込んでしまった。
しかし、最終日は夏祭りがある。夏休みの宿題は終わり、最高に楽しめる条件は整った。
約束の時間までまだまだ時間はある。楽しみすぎて時間が流れるのが遅く感じる。
一眠りして、時間を待つことにした。
目が覚めると約束の30分前だった。約束の場所まで20分くらいかかるから、後10分以内に出なくてはいけない。顔を洗ったり、準備しなきゃいけないため、焦っていると寝る前の逆で時間が流れるのが早く感じる。
それでもどうにか準備を終わらせ、家を出た。
待ち合わせ場所に行くとすでに加藤がいた。
「はやいね。待った?」
「んーん。そんなに待ってないよ」
「そんなに楽しみにしてくれてたんだ。嬉しいよ」
「そんなことないよ」
はっきりと否定されるときついものがある。それでも心を強く持って、楽しく遊ぶことにした。
「それじゃあ、行こうか」
夏祭りなんて久々に来たから、気分が浮ついている。それとも加藤と来られたからだろうか。
そんなことを考えている僕を置いて、加藤は人混みの中を歩いていく。まるで人がいないかのように、普段と変わらない速さで歩いていく。
考えることをやめ、何も考えずに楽しむことを決める。とりあえず加藤に追いついて、その場その場で何も考えずに楽しもう。きっとそれで、加藤も楽しんでくれるだろう。僕は少し距離が離れた加藤を後ろから見てそう思った。
そこからの時間はあっという間だった。焼きそばとか、たこ焼きとか、チョコバナナとか買って、座って食べる場所ないから立ちながら食べて、花火を見た。
花火の時、チラッと見た加藤の横顔。少し薄暗い中白い肌が際立っていつもより綺麗に見えた。
花火も終わって、解散することになった。
送って行くよと言ったが、1人で帰りたい気分だからと言われて、引き下がった。
「じゃあ、明日の学校でね」
加藤は少し俯き、ワンテンポ遅れて、「またね」と言った。
それが加藤との最後の会話だった。
2学期の始業式が終わり、午前学習のため早く帰れる。きっと今日も加藤と図書館だな、と思っていたが、加藤が誘いに来なかった。
休みかと思い加藤のクラスを覗きに行くと、加藤の机は無かった。
なんか変だなと思いつつ、加藤を探す。すると加藤のクラスの担任の先生に声をかけられた。
「あ、翔。加藤から手紙預かってるぞ」
「え?なんで手紙なんですか?直接話せばいいのに」
「は?まさかお前知らないのか?加藤は転校したぞ」
「は?」
思わず先生に向かって素で返してしまった。転校した?加藤が?そんなこと何も聞かされていない。
先生から手紙を受け取ってから、家に帰って来た所までの記憶がない。僕はまだ現実を認識出来ていなかった。
加藤が転校した。
転校するなら昨日言ってくれればよかったのに。
加藤に連絡しようとして、携帯の連絡先を見る。
<メンバーがいません>
加藤の名前がなかった。これで僕は、加藤との連絡手段を失った。
1人、部屋で泣いた。
泣き止んでそこそこ時間が経った後、手紙を先生から渡されたことを思い出した。
目元の涙を拭いながら手紙を見る。
翔君へ。
転校のこと黙っていてごめんなさい。
それは、転校のこと知った翔君の顔見れる気がしなかった、翔君の顔を見るのが怖かったからです。
夏祭りはとても楽しかったです。転校前の最後、翔君と遊べて良かった。
いつかの話を覚えていますか。私が前の学校の人の事を覚えていないと言ったことです。
転校が多かった私は、昔虐められていたらしいのです。
らしいと言うのは、私は覚えていないからです。
虐められたショックで、記憶が無くなってしまったらしいのです。
それから、転校するたび、転校前の学校の記憶は無くなってしまうことを知りました。
だから、学校でも、友達は作らないようにしようと思っていました。でも、翔君と友達になってしまいました。
そこから一緒に図書館に行って、本の話をしたりすることはとても楽しかった。けど、そのたび忘れてしまうのが怖かった。
1年転校が無くて、もしかしたらこのままずっと一緒に居られると思っていました。でも、ダメでした。
手紙を残したのはこの事を伝えるためでした。もしかしたら翔君のことを覚えていられるかもしれません。覚えていたら連絡するので、連絡先がなかったらそう言うことだと思ってください。
1年とちょっとの短い期間だったけど、本当に楽しかった。ありがとう。
加藤の手紙には、信じられないことが沢山書いてあった。
嘘だと思うが、加藤に連絡する手段がない以上、信じるしかない。
彼女の記憶に僕はいない。その事実が受け止められなかった。いつかは忘れてしまうことはある。
僕が覚えているのに、相手が覚えたいないことがこんなに辛いことだとは思わなかった。
僕はまた泣いた。もう一生分泣いたと思うくらい泣いた。
加藤と話さなければ良かった。そんなことが頭によぎった。加藤と話さなければ、思い出を作らなければこんな思いをせずに済んだのに。
こんな考えが浮かんでは消えてを繰り返す。
それでも、楽しかった。加藤といた時間は何よりも楽しかった。それだけは間違いない。
自分の弱さに嫌気がさす。仲良くなるのに正解も間違いも無いと言うのに、そんなことは僕にはもう分からなかった。
数ヶ月後。
「転校生を紹介します」
「穂村楓です。よろしくお願いします」
「席は、あそこの空いてるとこね。翔君。面倒見てあげてね」
穂村が席に座るため、こちらに歩いてくる。
「翔君って言うんだ。穂村楓です。よろしく。」
僕は彼女と仲良くなる事が正解なのだろうか。
こちらに微笑みかける穂村を見てそう思った。
未来と記憶 春ノ夜 @tokinoyo
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