第九話

 皇帝正妃ラクテア・クリスタータ・キトルス・キトルス。その四つ目の名が示す通り大貴族キトルス家の当主であり、そして僕の母イリス・レティクラタの異母妹にもあたる人物である。だから僕から見ても血の繋がった叔母にあたるわけだが、彼女個人とは親戚付き合い、というものがなぜかほとんどなかった。その事情については、何やら昔随分と色々あったらしい、ということしか知らない。


「……そう。どうやら、あなたたちにもこの話を聞かせるべきときが来たようね」


 夕食の席で、祖母がそう言った。ちなみに一番上座に皇太子であるミハイルが座っている。ミネオラは着席していて、リョウカは僕の後ろに侍っている。奴隷の食事は家の人間の食事が済んだ後で用意されるものなので。


「最初に、端的な事実から述べましょう。今から三十年ほど昔。クリスタータ殿下の母であるミリーをこの手で殺害したのは、この私、ユリア・グランディフロラです」

「なんですって」


 僕は衝撃を受けた。ただ優しいだけのおばあちゃんではない、というくらいのことは弁えていたが、それにしても殺人というのは度が外れている。


「……その儀、我にも聞かせてしまって本当に大丈夫なのか?」


 ミカが尋ねた。


「私はもう隠居の身ですから。それにそもそもの前提として、もちろん皇帝陛下はご存知のことですし」


 祖母の口から長い打ち明け話が始まった。


「かつて私とミリーは深い信頼関係で結ばれた主従でした。具体的に言うと、私はミリーから『女奴隷のお説教』を受けたことが三回あります」

「うへぁ」


 リョウカが変な声を出した。女奴隷のお説教という文化は確かに存在するが、同じ人間が三回、それも同じ奴隷からそれをやられるというのは尋常な数ではない。世界に類を見ないかもしれない。


「そんなミリーが私の夫ガイウスといつから、どういうきっかけで関係を持つようになったのか、それは私も知りません。二人とも既に故人ですので、今後知り得ることもないでしょう」


 うーむ。


「いずれにせよ私は。自分を裏切ったミリーを許すことができませんでした。ラクテアを出産した直後、私に笑いかけたミリーの首を、私はこの手で絞めた」


 うむむむむ。


「その直後、生まれたばかりのクリスタータ様に、私の夫ガイウスはユーフォルビアという名の領地を与え、彼女を貴族の身分に引き立てました。それで、私は彼女に対しては一切の手出しができなくなった」

「彼女に対しては、と仰いますが……相手が自分の奴隷でも、それが故なき殺人で、それが発覚すればいかな史局局長といえども立場が危ういのでは?」


 ミネオラからの問い。事件の当時、祖母は史局局長の地位にあったはずである。それは僕も知っていた。


「そうです。だから事件は、夫ガイウスの手によって揉み消されました。公的な記録では、ミリーの死は今でも産褥による病死ということになっています」


 なるほど。


「しかし。それから十五年後のことです。その隠蔽工作が覆されるかもしれない、大事件が起こりました。ガイウスが急死し、そしてイリスの相続放棄によってクリスタータがキトルス家の当主となったのです。キトルスの当主の力があれば、事実を暴き、当時まだ史局局長の地位にあった私を失脚させることも可能でした」


 ふむむ。


「そこで私は先手を打ちました。自ら局長の地位を降り、そしてイリスに後継の座を委ねたのです。そうしたところでほとんどクリスタータに失脚させられたも同然ではありますが、それにしても司直に身を委ねることになるよりはその方がマシでしたから」


 そこから先の話は分かる。母の奴隷だったルービィ叔母様が皇帝と関係を持っていたことと、そして母がルービィ叔母様を後見する立場になっていたことが発覚して、姉妹の関係は絶縁に至ったのだった。『或る女奴隷の忠誠』の元ネタになった事件が起こったのもその頃だろう。


「それで。我々シルヴェストリス家とキトルス家の関係というのはそのようなものであるわけですが。アリエル、本当にクリスタータ殿下にものを頼みに行くおつもりですか?」

「はい。その話を聞いてしまった以上、僕は行かなければならない。かえってその決意を固めました」

「そう。ならば、この婆もお供するといたしましょう。幸い、甜橙の収穫期は終わっていて、しばらくは農閑期ですし」

「ありがとう、おばあちゃん」

「いえいえ」


 で、その夜。僕の部屋にはリョウカがいた。彼女のためのベッドもある。


「くぅーっ! なんと悲劇的! なんと悲しき血族骨肉の争いなのでしょうか! リョウカは! リョウカは本当にどうしたらいいのか!」

「君は護衛なのだから、護衛らしきことをして。まあ、護衛が役に立つような事態にならないことを祈っているけれども」

「そうでございますね。ところでチユキ様。あたし小腹が空いてきたのですが。台所に忍び込んで、何かくすねてきてもよろしいでしょうか」

「やめなよみっともない。僕がなんとかするから」


 まだそんな深夜というほどの時間ではないので、廊下に出て適当な使用人に声をかけて事情を告げたら、リンゴが三つばかり届けられた。僕も一つ食べる。


「しゃくしゃく。おいしいおいしい」

「そりゃよかった。しゃくしゃく」

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