第二十九話

「なんだ平民か。貴族の男捕まえてデキ婚キメる野望は潰えたわけだな、ルー」


 名前が二つなら平民、というのはこの国の常識の一つである。平民とは何かといえば自由市民と解放奴隷を合わせて言う場合の総称で、例えばフェリクスも二つ目の名前を持っている。実際にはクロノの名前が二つなのはかれが平民だからではないが、それは今重要なことではない。


「よいではありませんの。おめでたいことには変わりないわ」

「で、どんな男よ。何歳? イケてる? あっちの方はどう? わっちに聞かせてくりゃれ?」

「えー、えーとえーと」


 今度はルービィが自分の頭をフル回転させる番だった。主人の立場から奴隷に対して出せる助け舟には限度というものがある。


「クロノ様は……」


 ルービィが話し始める。


「とても純粋で、誠実で……そして残酷なくらい優しいひと」

「ほうほう」

「どれくらい誠実かっていうと、半年以上も三人で一つ屋根の下に暮らしたのに、そこにいるあたしの御主人様の方にはとうとう最後まで手を出しませんでした」


 それは全面的に事実だがしかし言葉に若干の棘を感じる。


「そりゃすげえ」


 アンフィスの視線がわたしの身体に注がれる。ラクテアの視線まで感じる。


「でも、その女奴隷にはちょっかいかけて孕ませたわけだろ?」

「あたしが誘ったの」

「さすがルー。やっぱり変わってない」


 説明が続く。二人の間に何があったのか。クロノの鉄壁のような自制心を、ルービィの愛と包容力はいかにして柔らかく融かしていったか。咄嗟に組み立てた作り話とは思えないくらいのディティールがあった。……というか、それ本当に作り話なのよね? 本当よね?


「とまあ、あたしの話はこれくらいにして。アンの方はいまいい人いないの?」

「ん。いるよ」

「おー」


 今度はアンフィスの話が始まった。もっともそれはわたしにとって重要な話ではないので聞き流す。それより、話の流れとしてこのタイミングなら不自然にならないので、わたしはラクテアに向かって切り込んだ。


「ラクテアの方もどうなの? 実はもうおめでたい話があったりとかしない?」


 そんなものがあったらこれも正真正銘の国家機密事項である。聞き出せるとしたら今しかない。


「あらやだ、ねえさまったら。婚儀はまだ来月ですのよ」

「え?」


 またまたとぼけちゃって。婚約者同士だぞ? そして相手はああいう男だぞ? 


「あ、本当でございますよ。うちのクリス様はまだ殿方を知らんのです」


 ……マジで?


「そういうねえさまはいかがでいらっしゃいますか?」


 三人の女の視線がわたしに集まる。話をこれ以上ややこしくしたくないので、クロノを誘惑したときの話はいくらなんでも出せない。となると。


「職場の同僚に誘われて、一緒に食事に行ったことがあったわね」

「えっ、レティ様それは本当ですか」


 もちろん本当だ。しかし問題があった。アンフィスがわたしに問いを発する。


「それ、いつ頃のことでいらっしゃいます?」

「……七年前……」

 

 三人の視線が一斉に哀れみを帯びたそれに変わった。

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