secret code ー警察庁刑事局異能班ー

匿名希望

一章 警察庁刑事局異能班

Chapter1 死者の呼び声

「……ごほっ、ごほっ…」

深夜の電車の中、吊り革に右手首を掛けながらもう片方の手で白いハンカチを口に当て、弱々しい咳を繰り返しているのは一際目立つ長身で喪服を着た男…髪の毛は明らかに手入れされた様子が無いボサボサで艶のない黒髪、やけに大きく見える薄灰色の目の下には不健康そうな隈が何重にも浮いていた。周りに座っている客からの迷惑そうな、あるいは一種の恐怖を帯びたような視線に気付いたのか彼が困ったように微笑を浮かべながら「あ、申し訳ございません…生まれつき体が弱いもので。別に風邪ではごさいませんので、どうかご安心を…。」といささか丁寧すぎるほどに弁明すると、客は途端に彼から興味を無くして携帯を眺めたりする。その後も彼は電車に揺られながら何度か咳を繰り返しつつ目的地に到着するとふらつく足ですっかり乗客のいなくなった電車を降り、夜の闇に溶ける、背を小さく丸めたどことなく不気味さの漂う歩き方でゆったりと歩を進め、古びた建物の前で足を止めるとどうやら先客がいたらしく、色素の薄い茶髪を団子にまとめて小動物のような顔立ちをした、同じように喪服…ではなく、喪服そっくりの黒いパンツスーツを着て立ち止まっていた小柄な女性がくるりと振り向く。

「あっ、先輩!もー、遅いですよ!何分待たされたと思ってるんですか!」

わざとらしく頬を膨らませながら詰め寄る彼女を手の平で軽く制し、

「…で、対象は…どこですか?私、何も教えられてないんですけどねぇ。」先程までの丁寧さは微塵も伺えない、どこか間延びした面倒くさげな声で問うとまたハンカチで口を押さえながら咳き込む。問われた女性の方は「あ、あれ?私先輩に報告してませんでしたっけ!?」と慌てた様子で肩に掛けていた大きなショルダーバッグがら折り畳まれたノートパソコンを取り出すと膝を机代わりにして開き、キーボードを叩きながら「えーっと…対象は中崎小春、23歳。生前の職業はモデル。この建物に誘拐されて暴行を受け、ここの5階で亡くなったみたいです。」質問に答えてパソコンを閉じ、スリープする。「…はあ…それはいかにも、ですね。…あと、喪服はどうしたんですか?それ、略喪服でもないですよねぇ?」「あはは、やっぱりバレましたか…実は洗濯中でして…。」女性は困ったように眉を下げ、苦笑いを浮かべる。「なるほど…あなた、忘れ物多そうですもんね。」彼は気怠げに髪を掻きながら緊張感のない様子で建物の中に侵入し、女性も後を追うように慌てた様子で着いていく。

**

動くのかも心配になるほど錆びたエレベーターに乗り、喪服とパンツスーツの二人は目的の階に到着する。落書きだらけの荒れ果てたその階には乱れた長い黒髪を腰まで伸ばし、青白い肌には無数の痣や傷痕が刻まれた小柄な女性が首を不安定に揺らしながらぼそぼそと地を這うような低い声で聞き取れない言葉を呟いており、子供の悪戯だろうか…ひどく散乱したガラスの破片が月の光を反射するためか不気味な美しさを纏った床に両手を付いて座り込んでいた。どう見てもガラスの破片が膝や手の平に刺さっているのに、女性は痛みを全く感じていないようだった。女性の方はその異常な光景に暫し言葉を失っていたが、すぐに例のショルダーバッグから警察手帳にも似た手の平サイズの小振りな手帳を取り出すと揺れている女性にガラスを踏まないように気を付けながら近付き、「あの…私、再葬さいそう課の者ですが。あなたの再葬処置をさせていただきに…。」緊張気味の生真面目な顔写真の下に「警察庁刑事局異能班再葬課 葬儀人 須崎綾乃すざきあやの」と銀糸で刺繍された手帳を目の前に提示するとそれまでぐらぐらと不安定に揺れていた女性の動きがビデオデッキの停止ボタンを押されたようにぴたりと止まり、据わらない首がほぼ一回転して須崎の方を見つめ、壊れた人形のように傾く。その瞳は底の見えない暗闇のように虚ろだ。須崎が怯えたように若干後退るのを見ていた彼はハンカチを口に当て、顔を背けて何度か咳き込む。はっと気付いたように須崎は頬を勢い良く張って表情を引き締め、

「中崎、小春さん。貴女は、もうお亡くなりになられているんです。」

真っ直ぐに女性を見つめて言った。その瞬間、それまで不明瞭にしか聞こえなかった女性の低い声がぼそぼそと呟いていた言葉が弱々しい呼吸音と共に、目の前の須崎へと向けられる。「…ゆるさない…ゆるさない…。」瞳は須崎に向いているが、意識はどこか別の所…大方、自分を殺害した犯人だろうが…に向けられているのか、怨念を吐き出すようにして繰り返し繰り返し呟いている。須崎は怯えながらも手帳を閉じてショルダーバッグに戻すと「…再葬を拒否される、ということになりますと…私達は中崎様を実力行使で再葬することになります。よろしいですね?」若干上擦った声ではあったがきっぱりと言い放つと、スーツの生地を突き破るようにして粘度の高いスライムのような質感を持った青い、女性のものにも見える細い腕がずるりと生える。変貌した須崎の姿に女性は少し唇を震わせ、声にならない声を上げて手を伸ばすが須崎の「腕」がそれより素早く、ほぼ条件反射と言ってもいい速度で女性の頭を掴むと怪力で軽々と持ち上げた。彼は須崎に腕が生えたことに驚く様子もなく、爪先で床を蹴って退屈そうに欠伸をひとつ。

「先輩、ここからどうするんでしたっけ…!」女性を持ち上げたままの須崎が困っているのか笑っているのか判別しづらい表情で彼の方を振り向く。彼は呆れたように咳き込みながら「…もしかして、研修サボられてたんですか?」嫌味ったらしく言いつつハンカチを口から外すと須崎の方に目線を向けてから暴れる女性をちらりとだけ見やり、「…そのまま「再葬」すればいいじゃないですか。あ、棺桶置いときますねぇ。」と興味なさげに呟いた後、一体どこから取り出したのか蓋部分に装飾された木製の棺桶を壁に立て掛ける。

「なっ、サボってませんよ!ちょっと忘れてただけですってば!」須崎は焦ったように笑いながら掴んだままだった女性を反対側から生えた腕で掴み、先程彼が置いた彼女の軽く2倍ほどは背の高い不気味な棺桶の方に投げる。その棺桶は勝手に口を開き、放り投げられた女性が中に入ると蓋が閉じ、彼は蓋の閉じた棺桶を軽々と担いでまた猫背気味に踵を返すと一仕事終えた雰囲気を醸し出す須崎に一瞬目線を向けてすたすたと歩き始める。

「あっ、待ってくださいよー!」須崎は腕から腕を生やしたまま、急いで彼の後を追うように走り出した。建物を出た二人は建物の前に横付けされた黒のワンボックスカーのトランクに棺桶を積み込み、後部座席の扉を開けて当然のように乗り込む。「いやー、それにしても…恐ろしいですねえ、この世への執着って。」「…何を言い出すかと思えば…今更ですかぁ?」何気ない調子で須崎が溢した言葉に彼は溜息を漏らし、「…再葬課ウチの再葬対象は大体、死んだことに気付いてない人ですからねぇ。」ガラス越しに暗すぎて何も見えない外を眺めながら独り言のように呟いた後、これまた何気ない調子で「あ、そうだ。着くまでにその腕、何とかしてくださいね?」と誰に言うでもなく漏らした。須崎は一瞬きょとんとしていたがすぐに気付いたらしく、自身の二の腕辺りから生えているスライムのような腕を慌てて収納し、「そういうことは早く言ってくださいよ!恥かくところだったじゃないですか!」と顔を真っ赤にして彼に噛みつく。「さあ?知りませんよぉ。」彼は噛みつかれてもどこ吹く風といった調子でさらりと受け流し、同じような喪服を着たドライバーに早く行け、と言わんばかりに手を振る。若干小刻みに震えながら俯いていたドライバーは顔を上げて頷き、アクセルを踏み込む。深夜だからか他の車がほとんど走っていない道路をしばらく走行し、ワンボックスカーは目的地に到着したらしく、ぴたりと停車した。

**

車を降りた二人は棺桶を担ぎ出すと二つ並んだ警察庁と警視庁で迷うことなく警察庁の方へと歩を進め、受付嬢がうたた寝している受付をスルーしてエレベーターで地下へと向かう。静かな空間によく響く、涼やかなベルの音が鳴って停止したエレベーターのドアが開く…ドアの先には皆同じような喪服を着た男女の集団が、煌々と明かりが照らすオフィスらしき場所でデスクに向かって作業をしているという明らかに異質な光景が広がっていた。帰ってきた二人に気付いたのか、喪服の集団のうちの一人が軽く手を上げる。「ああ、お帰り。」黒髪の左側を剃り込み、片側を長く伸ばした個性的な髪型の女性が二人に近寄ると担いでいる棺桶を床に置かせ、「お疲れ様。一応中身を確認しようか。」労いの言葉を掛けつつ蓋を開くと長髪の女性は困ったように沈黙してしまった。それもそのはず、棺桶の中に入っていたのが先程の女性…だと思われるが、ほとんど原型を留めないほどに肉と骨とがミンチになった肉塊のような気味の悪い存在だったからだろう。よく見れば棺桶の内側には無数の血に濡れた刃や棘が取り付けられている…全体的な造形はまるで、鉄の処女アイアン・メイデンのようだ。しばらくの沈黙の後、目を伏せていた長髪の女性は「…この残虐趣味極まりない棺桶の開発者は?」ようやく絞り出したような言葉で彼に問う。「…開発部の宮上さんだと思いますけどぉ。」彼の言葉を聞いた女性は時計に目を遣る。時計の針は深夜3時を指しているが、彼女は気に留める様子もなく携帯電話を取り出してどこかに電話を掛け、忙しなく足を踏み鳴らす様子とは裏腹に呑気な声で「はい、こちら開発部の宮上ですー。」と答えた電話口の相手を「随分と悪趣味な棺桶をうちの部下に託してくれたようだな?」背筋が寒くなる程の爽やかな笑顔と穏やかな声色で問い詰める。だが相手は至って呑気な様子で「あ、どうでした?まだ試作段階なんですけど、折り畳み式の疑似「鉄の処女」…手間省けていいでしょ?」その言動には恐ろしいことに誇らしげな様子すら見える…長髪の女性は溜息を吐きながら「…ああ…だが次は、君だけで試してくれないか?うちは再葬課であって、処分課じゃないんだ。」そう言い聞かせると不満げではあったがなんとか理解してくれたらしく、「…頼んだぞ。」その一言を最後に女性は電話を切り、携帯電話を尻ポケットに突っ込んだ。「…すまなかった、取り乱したりして…本人確認は済んだから、向こうで再葬してきてくれ。」二人はほぼ同時に頷き、女性の指差している奥の部屋へと流石に蓋をした棺桶を担いで消えていく。

―警察庁刑事局異能班再葬課―

それは警察庁直轄である怪物揃いの極秘部署である。一度死んだ人間を「再葬」することを専門としている彼らは、皆一際不気味な異能を持ち合わせているらしい。

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