孫
増田朋美
第1話 理由があった
ときに、どうしてもできない事は、もしかしたら、場所を変えると、なんてことなくできてしまうこともある。それは、よくわからないけど何故かそうなっているらしい。有るところではとんでもなく難しいことが、場所を変えると、ありふれた事になっている場合もある。それは、その場所に行ってみないと、なんともいえないことでも有るけれど、、、。この、杉ちゃんたちの場合はどうか。
いつものとおりだけど、杉ちゃんはまたチボー君と一緒に百貨店に買い物に行っていた。いつもだと、杉ちゃんという人は、爆買とも言えるほど、たくさんのものを買ってしまうのだが、今日は、それどころではないらしい。杉ちゃんは、いつもの大事な食料である、納豆と、豆腐を買って、すぐに帰ろうとしてしまうのだ。チボーくんは、確かに、杉ちゃんでさえも、今日は、なんだか落ち込んでしまうだろうなと、あったことを思い出していた。
ことがあったのは、朝食を食べ終わって、ちょっと、歩いてみましょうかとトラーが強引に誘ったことである。水穂さんは、仕方なく彼女の誘いに応じた。ところがしばらく歩いて公園に行ったところ、力尽きてしまったらしく、咳き込んで倒れてしまったのである。ちょうど、近くを歩いていた親切なおじいさんが、背負って運んできてくれたから、良かったのであるが、そのまま道路に放置されていたら、吐いた内容物で窒息する可能性があった。
そんな場面を目の当たりにしてしまったので、さすがの杉ちゃんも、百貨店に長く居たくなかったのである。いつもなら、カフェに寄って帰ってくるのであるが、今日は急いで帰ろうかと、杉ちゃんは言うのだった。
「そうですね。でも、診察がまだ終わらないみたいですよ。」
と、チボーくんは杉ちゃんに言ったのであるが、
「まあねえ僕らは、邪魔になるんだけど、久しぶりに、派手にやったから、心配でしょうがないんだよう。」
と、杉ちゃんは道路を移動しながら言った。
「まあ確かにそうですが、こういうときは、餅は餅屋と日本語で言うんでしょう?それを守って、僕たちは先生に任せて於けばいいと思うんですが。」
「うーんそうだねえ。まあ、日本に居るときは、しょっちゅう派手にやってたから、心配になるけどさ。こっちに来てから、ああなることは、ほとんどなかったからねえ。もう大丈夫かなと思ったんだけどさ。まだ、油断大敵ってことかな。」
と、杉ちゃんは、はあとため息を付いた。
「トラーさんは、あたしがあんなことしたからだって、壁に頭ぶつけて大暴れするし。なんか、彼女に行ってくればといった僕も責任があるということであるかな。」
「まあ、彼女の性格はそういうものですから、僕もそうなりやすいことは経験で知っています。だからある程度仕方ないと思うんですけどね。ですが、水穂さんがこっちに来てああいうことをやったというのは、たしかに気になりますね。」
チボーくんは、援助にもならなければ、手助けにもならないセリフを言った。
「だろ?ベーカー先生のじゃまになるからって言うことで、僕たちは外に出たんだけどさ、かえって、余計に困ってしまうようになるもんだよな。」
杉ちゃんはあーあとため息を付いた。
「まあ、仕方ありません。もうしばらくお外で待つしかなさそうですね。」
チボーくんは、杉ちゃんに言った。と、同時に、チボー君のスマートフォンがなる。急いで画面を見てみると、マークさんからで、もう診察は終わったという内容のメールであった。チボーくんは終わったみたいだから帰ろうかというと、杉ちゃんはすぐに帰ろうといった。
「ただいまあ。帰ってきたよ。水穂さんはどう?トラーさんはどうしてる?」
杉ちゃんが戻ってきた玄関先ででかい声でいうと、マークさんがやってきて、やっと眠ってくれたところだから、静かにしてやってくれと言った。トラーは、お手伝い人のシズさんとなにか話しているという。
「それで、お兄さん。水穂さんはどうなんですか?」
と、チボーくんがきくと、
「ええ、とりあえず、出血は止まってくれて、今やっと眠ってくれました。」
と、マークさんは言った。
「もしかして、ご飯を何も食べなかったのが原因だろうかな?」
と、杉ちゃんがつぶやくと、
「理由がわからないから、見てもらったんだよ。そういう事は、言わないでくれ。」
マークさんは言った。
「一応、ベーカー先生が、有効な薬は、色々試しているから、ちゃんときいているはずなんですけどねと言っていた。薬だって、本人が隠してしまうとか、捨ててしまうような事はさせてないんだし、定期的に飲んでくれているんだから大丈夫なはずだと。」
「そうなんだけどねえ、ぶっ倒れちゃったのは、事実だよなあ。」
と、杉ちゃんが言った。
「だから、ベーカー先生もおかしいおかしいとずっと言ってた。ちゃんと薬を飲んでいれば、しっかり回復するはずなんだと。シズさんが、薬はちゃんと飲ませていて、その時のことを、記録してくれていたので、飲み忘れたということもない。」
「そうだねえ。」
と、杉ちゃんは言った。確かに、チボーくんは、シズさんが、水穂さんに何時にご飯を食べさせたとか、布団を一枚追加したとか、そういうことを、ノートに克明に記録していることは知っている。でも、そのシズさんの記録は、本人ではないと読めないところが、問題では有るのだが、、、。
「それで、ベーカー先生は結論出してくれたのか?医者だから、必ず結論は出すよな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「ああ、いくら調べてもわからないから、血液に詳しい医者に相談してまた来るって。いつまで待たせたら気が済むんだろうね。」
と、マークさんが言った。
「偉いやつというのは、そういうもんだよな。そうやってなんでも先延ばしにする。僕らは不安でしょうがないっていうのに。」
「とりあえず、吐いたものが大量だったから、あんまり話しかけないでやってくれと言っていたよ。まあ、それはしょうがないから、今日は一日眠らせてあげよう。」
杉ちゃんとマークさんがそういうことを言い合っていると、チボーくんはトラーのことが心配になった。多分年長者のシズさんは、ちゃんと彼女を励ますことができる人だろうけど、繊細な彼女には、大きなキズになるに違いない。杉ちゃんとマークさんは、日本の人たちに知らせるかとかそういうことを話している間、チボーくんは、トラーがシズさんと話しているのを聞きに、奥の部屋へ行きたいという気持ちと、杉ちゃんの手伝いをしなければならない気持ちが喧嘩して、正直辛かった。
とりあえず、ベーカー先生が、どう処置をするか話してくれるのを待っていなければならなかった。夕食のときに、ベーカー先生が電話をよこしてきて、明日お宅へ伺いますからと言ってくれたけど、早く結論が出たということは、不安になるなと杉ちゃんは言っていた。その日は、流石にのんきな杉ちゃんであっても、水穂さんのことが心配で眠れなかった。隣で水穂さんが、静かに眠っているのが、羨ましいくらいだった。
翌日。ベーカー先生が、もうひとりの医者を連れてやってきた。もうひとりの医者は、たしかにベテランの医者のようで、ベーカー先生より年をとっていて、権威がありそうな人物だった。杉ちゃんが、すごい年の先生だなと思わず口にしてしまうほどであった。名前は、ガブリエルという、変わった名前の先生だった。日本語への通訳は、マークさんがした。
「まずはじめに、彼の名前は磯野水穂さん、性別は男性、これで間違いありませんね。」
と、ガブリエル先生は言った。
「もう、形式的な事はいいから、容態について説明をしてくれや。僕はそっちが聞きたくてしょうがないんだよ。」
杉ちゃんがいうと、マークさんの通訳を通して、
「はい、それなら、直ちにいいますが、採血の結果と、彼の吐瀉物を調べてみたところ、結核菌は全く存在しませんでした。その代わり、自己免疫、免疫細胞なるものが、かなり凶暴化しておりましてね。彼自信の持っている免疫が、彼の正常なからだの組織を破壊しているということになります。それで内臓に炎症が起きている。それだけではありません。筋肉の萎縮と、皮膚の炎症なども見られますので、いくつかの自己免疫性疾患が混在しているということになります。」
と、いう長い結論が出た。
「よくわかんないけど、それで、こいつが治るにはどうすればいいのかなあ?」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい。治るというか、正常な免疫が得られないので、血液の成分をすべて取り替えるということになります。」
と、ガブリエル先生は言った。
「なんだよ。紙芝居屋のクイズみたいなこと言わないでくれ。具体的にはどうすればいいんだ!」
杉ちゃんが半分突っかかるように言うと、
「はい。真面目な話、血液というのは、造血幹細胞というもので作られますから、それを、正常な血液を作り出せる造血幹細胞というものを誰かから貰えばいいのです。それを作り出している臓器は骨髄ですから、それを移植するというやり方もありますが、この骨髄移植といいますのは、提供者を探すのに大変手間がかかり、その間に彼の衰弱が進む可能性がありますので、もっと手っ取り早い方法があります。」
と、ガブリエル先生は言った。
「はあ、それ、なんですか?」
と、杉ちゃんが急いでいう。
「はい、臍帯血移植というものです。これのほうが、提供者を見つけるのは早くできますし、彼はからだが小さいので、間に合います。」
「それは、どういうものなんですか?」
とマークさんがきくと、
「はい。母親と胎児をつなぐ臍帯に流れている血液には造血幹細胞が、たくさん入っていますので、それを移植するというものです。骨髄移植ですと、非常に手がかかる治療になりますが、これであれば、提供者と、患者の血液型を気にしないで良いなど、利点があります。」
ガブリエル先生は冷静に言った。
「うちの産婦人科を利用している方に、誰か提供者になってもらうように呼びかけてみますから、それでやってみたらどうでしょうか。逆をいえば、それか、骨髄移植をする以外、彼がなんとかなる方法はないですよ。」
「はあ、そうだねえ。確かに、妊婦さんは、どこへ行っても居る。」
杉ちゃんは腕組みをした。
「だけど、患者が、日本で人種差別をされた人物と言われたら、また逃げてしまうんじゃないでしょうか?」
マークさんがそうきくと、
「いや、そういうことをいっているほど、悠長な事はできませんよ。そういう事は極秘にしておいて、すぐに実行に移しましょう。」
と、ガブリエル先生は言った。ということはつまり、それほど重篤な状態ということだ。
「わかったよ。どっちにしろ助かるんだったら、やってみよう。やってみなきゃわからないことだって有るんだし。でもねえ、提供者は患者がどんな人物なのか気になると思うんだよね。自分のからだの一部を他人にくれちゃうんだからよ。日本ではこれのせいで、そういう医療が進歩しないって、よく新聞で描かれてるよ。」
「確かに、日本人の決断が遅いところは認めます。ですが、こちらでは、抵抗感のある人は、あまり多くありませんから、大丈夫だと思います。」
杉ちゃんが言うと、ガブリエル先生は否定した。確かに、こちらでは、心臓移植とかそういうものは、よくやってるよなと、マークさんがつぶやく。日本では、そういう手術をするとなると、テレビのニュースで取り上げられるほど、大事になるが、こちらではそのような事はあまりないのである。
「わかったよ。こうなったら餅は餅屋だ。先生に水穂さんのことを頼むぜ。」
と、杉ちゃんは、でかい声で言った。
それと同じ頃。トラーは、シズさんと一緒に、外へ出ていた。あまりにも水穂さんのことが心配であるが、ベーカー先生の話をきくと、パニックになる恐れがあるというので、シズさんと一緒に、でかけていたのである。さすがの彼女も、水穂さんのことを、心配そうな顔をしていたが、シズさんが、仕方ないのよ、成り行きでそうなってしむことも有るわ、と、静かに彼女に語りかけてやっと、泣くのをやめたのであった。
「今回の事は、あなたのせいかもしれないけど、こうなってくれたおかげで、水穂さんはより専門的なお医者さんに見てもらって、より適切な治療を受けることができるようになったと言うんだったら、それは良かったことかもしれないの。あの時、ああしておけばよかったって事は、いくらでもあるけど、角度を変えれば、良いことになるっていう事例はいっぱいあるのよ。だから、自分を責めるのはやめましょうね。」
と、シズさんは、優しく言った。
「そうね。」
とトラーは、涙を拭いた。
「きっと、今頃、水穂さんは、より適切な治療が見つかって、ちゃんとはなしをしていると思うわ。あたしたちは、それを待ってようね。」
シズさんは、にこやかに笑った。ちょうどその時、シェパード犬を連れた、立派なひげを蓄えた男性が、トラーたちの方へやってきた。
「ようトラーちゃん。そこで何をしているんだ?なんだかとても落ち込んでいるみたいだけど、何かあった?」
そういう男性も、なにかあったような、そんな顔をしている。
「ミゲルさんこそ、何かあったの?なんか悲しそうな顔をしているわよ。」
トラーは、そういうことを言った。
「まあね、俺達は、全然大したことないんだが、トラーちゃんのほうが、なんだか悲しそうな顔をしているように見えるよ。」
と、ミゲルさんは言った。ひげでその顔を隠しているように見えるけど、とってしまったら、悲しい顔なんだろうなと思われる顔だった。
「まあ、わたしは、大したことないわ。わたしは、一番大切な人が、倒れちゃって、その責任があるだけだから。」
と、トラーはわざと言ってみたが、
「そうか、トラーちゃんも大変だね。俺たちが、やっていることなんて、なんかそれには、違うような気がしてしまうんだけどなあ。」
と、ミゲルさんは言った。
「まあ、どっちが、辛いとか、そういう比べっこしてもしょうがないわ。ミゲルさんだって、辛いんでしょ。それはよく分かるわよ。でも、ミゲルさんは、去年の夏に、娘さんが結婚したばかりでしょう?それなのになんでもう人生終わりみたいな顔してるのよ。」
と、トラーは、聞いてみた。確かに、ミゲルさんの家はそうなのだ。一人娘のジュディさんが昨年の夏に結婚式を上げたばかりだ。やっと、ジュディが、家を出ていってくれた、良かったなんて、そんなことを言っていたミゲルさんだったのに、今は何も嬉しそうではなく、落ち込んでいる様に見える。
「まあ、そうなんだけどね。ジュディが、戻ってきたんだ。全く、結婚は一年も続かなかった。最近はすぐに戻ってきてしまう若い人は、多いそうだが、まさか俺の家がそうなるとは思わなかったな。ジュディは、幸せに暮らしていると思ったのだけど。」
と、ミゲルさんは言った。
「そうか。出戻りか。」
トラーはミゲルさんの顔を見てはあとため息を付いた。
「それもまたお辛いですよね。」
と、シズさんが言ったが、ミゲルさんは、シズさんの顔を見て、シズさんのような人に言わないでもらいたいな、という顔をした。シズさんはそれになれているらしく、平気な顔をしている。
「まあ、なるようにしかならないけどさ。頑張んなきゃな。」
と、ミゲルさんは、小さな声で言った。
「そういう事もあるんだ、位の気持ちで行かなきゃな。」
その頃、水穂さんや杉ちゃんが住んでいた日本では。
「ああ、わかりました。それでは、そちらでお願いします。水穂さんは、いまのところ、大丈夫ですね。」
と、ジョチさんは、電話機のそばにあった、メモ帳に、臍帯血移植と描いたのであった。
「ああそうですか。でもいいじゃないですか。そういうことをしてくれるきっかけができてよかったですよ。僕は、賛成ですよ。日本にいたら、絶対そういう事はできませんからね。それは、紛れもない事実ですから、それは逆に感謝したいくらいです。じゃあ、よろしくおねがいしますね。今日はわざわざ、国際電話をかけてくれて、ありがとうございました。」
「一体、どうしたんですか?マークさんがわざわざ国際電話をよこしてくれるなんて。」
と、ブッチャーが言うと、
「ええ、水穂さんは、パリ市内の病院で臍帯血移植を受けるそうです。まあ、あちらでは、そういうことに抵抗感のある方は少ないので、ドナーはすぐに見つかるんじゃないかって、マークさんは言っていました。良かったじゃないですか。」
とジョチさんは答えた。
「そうですか!それは嬉しいことですね。俺たちも、あっちへ送り出して、良かったですねえ。そのためにあっちへいってもらったようなものですからね。ああ、そういう治療をやっとやらせてもらうことができたのか!そうなると、畳の張替えもしないで済むようになるかな。」
と、ブッチャーは、大喜びして言うのであった。
「確かに、今まで、ファーストクラスに乗せるくらいの値段で、畳を張り替えてましたからね。」
ジョチさんはちょっと苦笑いした。
「いやあ、良かったですね。こうしてもらわないと、水穂さんは、医療を受けることはできないでしょうからね。ああ、良かったよかった。俺、感謝したいですよ。マークさんがいてくれて本当に良かったなあ。」
「須藤さん、あんまり有頂天にならないでくださいね。あくまでもこれは決定しただけの話で、まだ治療が終了したわけでもないですから。まずはじめに、いくら不用品である臍帯血かもしれないですけど、それを、提供してくれるドナーが、ちゃんと確保できますかね。日本に居るよりは、探すのは、難しくないと思うけど。」
「なんですか。喜んでいたのに、なにか、問題でも有るんですか?」
と、ブッチャーがきくが、ジョチさんは、なにか考えるような仕草をした。まあ、いずれにしても、水穂さんは、いいことを、見つけられたと思って、ブッチャーはほっとした。
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