ダイイング・ハート

キリンノツバサ

第1話

 今夜は眠れるだろうか。学校に行かなくなってから、夜になる度そんなことを考える。

 一日を家で過ごす日が続けば続く程、行きたくないという思いが自然と強くなる。考えたくもない未来に向かって、今も時が進んでいるという不安、焦り。

 友達や部活のチームメートは今、どうしてるだろうか。彼らが眠りにつく頃、僕はただ一人泣いている。流れ出る涙で、心に灯る火を消すかのように。

 自分が弱い人間だということは分かっている。悩む必要なんてないのかもしれない、そんなことも言葉では分かってる。部活では部長を任されていながら、情けなさにも程がある。でもこうなった以上、誰にも見られたくない、気を遣われることも、認識されることすらも。

 僕は、泣くために被る仮面を持ってない。孤独を愛することができるなら、どれだけ幸せだったろうか。寂しい。助けてほしい。

 だけど、この顔は自分のいる、どの世界の人達にも見せる訳にはいかない。


 翌朝、この上なく目覚めが悪い。時系上は寝たはずなのだが、一晩中起きていたようにも思える。もう、爽やかな朝を迎えることはできないのかもしれない。

 理由を聞かれてもよく分からない。本能的に制服を着て、中身は何日も前のままのバッグを背負い、何も言わず家を出た。

 見慣れた駅の、ホームに立つまで、意識というものがなかった。まるで流れ作業のように。  幼い頃から乗り慣れた電車が見えてくる。

 自分の寝床は暗くていい。ただ、差し伸べる手は太陽のように明るく、温かくあって欲しかった。

 これは数日前から決めていたことだ。人混みの中、絶対に踏み入ってはいけないというその一線を超えるために、勢いよく身体を投げ出した。


 「うん、まぁとにかく、悩みを溜め込まないことだよ。インターネットでも電話でも悩み相談ができる。ここに電話番号を書いておくから、しっかり持っておくんだ」

「わかりました。何て言うか、初めてだけど話せて少し気分が晴れました」

「それはよかった。またいつでもおいで」

「ありがとうございました、失礼します」

 とある私立の女子高等学校でスクールカウンセラーを務める片山博昭かたやまひろあきは、相談室を出る女子生徒を見送り、ふぅー、と息をついた。

 四月十日。今日はこの学校に配属されて初の本業日だ。

 校内の雰囲気はおろか、学校がどんな仕組みになっているのかもよくわからない中で、今日は予め予約の入っていた、二人の生徒のカウンセリングをする。そのうちの一人目を今、終えたところだ。

 次の生徒までに一息つくだけの時間はある。片山はその生徒の予約票を見た。名前は鈴谷秋葉すずやあきは

 偶然だろうか。鈴谷、その名前は片山が一生忘れることのない、辛い記憶に強く結びついている。今でもそれを思い返す度、胸が痛む。

 こんこん、とノックされる音がした。片山は必死に平静を装い、どうぞ、と声をかけた。

「失礼します」

と入ってきたその生徒は、やや長身の割に細身で顔立ちの整った、いかにも優等生といった感じの女子生徒だった。

「鈴谷秋葉です。よろしくお願いします」

そして片山とは裏腹に至極落ち着いた様子で言った。

「片山先生はもちろん覚えていらっしゃいますよね。二年前、当時あなたのいた高校の生徒で、自殺した鈴谷彩人すずやあやとの妹です」


 それは二年前の事。春も終わりを迎え、これから夏本番という時に一人の男子生徒が予約を取ってカウンセリングに来た。その生徒は秋葉と同じように細身ながら身長が高く、まっすぐおしとやかな視線を片山の上から注ぎ込んできた。

 そしてその雅趣に富んだ佇まいに好青年という印象を受けた。また名前は鈴谷彩人といった。

 相談内容は高校生によくある悩みが中心だった。進級してからというもの、思うように成績が出ない。できない自分を責めると同時に、どれだけ頑張っても終わりの無い勉強に対し、ストレスを感じるようになった。しかしそれとは裏腹に進路という大きな課題を今まで以上に突きつけられ、不安で仕方がないのだと。

 ただ一つ、他と違うのは部活でのことだった。所属するバスケ部の代替わりと同時に、部長を務めることが決まったのだという。のしかかる責任感、学校内で知れ渡り噂されることによる重圧、それだけでなく、自分が最後まで全うできるだろうかという不安。

 進級していきなりのしかかった数々の重荷は彼自身の中にある芯を揺さぶっていた。体質上、それらのストレスで夜、なかなか眠れないまま朝を迎える生活が続いていると訴えた。

 このカウンセリングで分かったことは、彩人は何よりも自分に厳しく、周りに優しい人物だということだった。しかし、そんな人ほど知らず知らずのうちに自分を追い詰めるということを、何故その時考えなかったのだろう。

 不安が続くようならば部長を降りることを薦めるべきだったかもしれない。

 しかし片山は敢えてアドバイスをするのではなく、なるべく聞き役に回った。苦労してる人に向かってがんばれと言うのが、人によっては無責任に感じるのと同じように、何かアドバイスをするよりも悩みを打ち明けてもらうことで心の負担を減らそうと考えたのだ。

「よくがんばってるじゃないか」

彼の話す途中で片山は幾度となく褒めた。

そして最後には、

「雨の強さは時に傘を差してみないと分からない、自分を守り、身近な人に助けを求めるように」と言った。

 それから一ヶ月間、スクールカウンセラーとして、普段と何も変わらぬ日常を過ごした。

 夏休み直前、いや学校はもう夏休みムードだったろうか。登校していきなり、教頭が片山に直接告げた。

「二年生の鈴谷君が、どうやら駅で自殺を図ったようで、彼のクラスメート全員とのカウンセリングをお願いします」

「えっ、そんなっ、鈴谷君、彩人君は無事なんですか」

「片山先生知ってたんですか、ですが」

心臓の鼓動が急激に速くなるのを感じた。全身から汗が吹き出てくるようだった。しかし教頭の発した言葉は片山の願いを一瞬で消し去った。

「間もなく救急搬送されたのですが、もう、戻らないみたいです」

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