ドラキュラのモデル・ワラキア公ヴラド3世は残虐か? 捕虜串刺しのパフォーマンス

 トランシルバニア生まれのワラキア領主ヴラド3世は、ドラキュラのモデルの一人となった人物で、「悪魔の子」とか、「串刺し公」といった、あまり印象のよろしくないあだ名がついている。


 この理由は、オスマン帝国が攻めてきた際、大量の捕虜を肛門から口まで木の杭で貫き、地面に突き立て野ざらしにしたから。


 想像するだけで恐ろしい光景


 当時、串刺し刑は身分の低い農民や大罪人にしか行われなかった行為。


 しかし、このパフォーマンス、公国のワラキアが大国であるオスマン帝国の侵攻に苦しめられ、戦力だけだと勝てそうもないので、敵を恐怖に陥れ、戦意を消失させることで、なんとか自国を守り抜こうという目的でヴラドが行ったものだったらしい。


 数だけで勝てそうもないから、心理戦に持ち込まなきゃ! みたいな。


 この作戦は見事成功。


 オスマン帝国のメフメト2世は仲間の無惨な光景に恐れ慄き、疫病が陣中で発生したこともあり、撤退した(1462年トゥルゴヴィシュテの戦い)。


 その後、ヴラドはハンガリー王によって幽閉の身に。


 この幽閉は、カトリック王がオスマン帝国と戦いたくないから、オスマンの敵であるヴラドを見せしめに貶める目的があったらしい。


 この頃、最初の妻が投身自殺。


 フランシス・フォード・コッポラの映画『ドラキュラ』(1992年)では、この事件をヴラドが反キリストの吸血鬼となったきっかけとしている。


 彼の死は未だ、謎が残る。


 ちなみに吸血鬼ドラキュラの城のモデルであるルーマニアのブラン城はワラキア公ヴラド1世(ヴラド3世のおじいちゃん)の城である。


【コメント】


白狐姫と白狐隊様


彼はドラキュラ映画のモデルになったせいで、

必要以上に悪逆に思われていますが、

地元ルーマニアでは【救国の英雄】です。


圧倒的な武力を持つ、強敵オスマン帝国に、

不撓不屈の精神で立ち向かったその人生…。

ある意味、信長さんにとても近い人の様に思います。


(白狐姫と白狐隊様)


いつも素敵なコメントをありがとうございますm(__)m

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る