Hello, Violent Violet.

葉城真琴

Ch.1-1 Lovely encounter

 突然、私の目の前に現れた彼女はお姫様のように可愛らしく、けれどお人形のように一切表情の変わらない人でした。


***


 昨日までのどんより天気が嘘のように澄み切った青空に、楽しそうな旋回する渡鳥の群。日向に向けて所狭しと広げられた洗濯物の数々と、その隙間から顔をのぞかせる燦々と温もりを振りまくお日様。吹き抜ける風も心地よく、後ろでなびく私の赤毛一本一本がまるでタンゴを踊っているようです。


 恐らくこんなポカポカ陽気であれば、先日若くして即位された女王陛下も羽を伸ばして今日はピクニックに出掛けていることでしょう。


 その陽気は私の住む工業地帯の一角にも届いており、立ち並ぶレンガ調の建物はその温かな赤色をより一層映えさせています。人々もお天気効果で活気にあふれ、かく言う今朝の私も珍しくおめかしをして、貴重なお休みを有効利用するため意気揚々と街へと繰り出したわけです。


 そして今現在。家を出てから既に数時間が経過し、お日様が私の頭の上で照りかがやく昼下がりに差し掛かりました。


 おっとここで、昼下がりの私から今朝の私宛てのお手紙が届いたようです。さっそく読んでみましょう。


 拝啓、昨日の私へ。


 あなたの予想通り、今日はとってもいい天気です。まさしくピクニック日和。昨日までのジメジメとした天気にも慈愛をもって感謝しましょう。きっといい事があります。


「おい嬢ちゃん、どこまで逃げる気なんだい?」

「ほらほら、もうすぐ追いついちゃうよ〜」


 でも、二つだけ忠告しておきます。


 一つ目、今日は絶対に外に出ないこと。たとえ今日がピクニック日和で、お店のお手伝いもお休みだからといっても浮かれてはダメ。足元を掬われます。


 それともう一つ。


「その首にぶら下げているさえ渡してくれれば逃がしてあげるよ〜」


 せっかくの街へのお出かけだからとお洒落をしていかないこと。絶対にお祖父ちゃんのペンダントを着けていってはダメ。ことになります。


「誰か、誰か助けてー‼︎」


 今朝の私、ごめんなさい。逃げることに必死で敬具も結べない私をどうか許してください。日向から遠ざかり、街の喧騒から外れて、どんどん成す術が無くなっていく私ですが、この身に変えてもこのペンダントだけは守ってみせます。約束です。


 なんて、息切れ切れで酸欠な頭のなかで今朝の私へのお手紙をしたためていると、私を追いかけているチンピラ3人のうちの1人が幾ばくか走るスピードを上げ、私の右腕を力強くつかみにかかりました。


「へへっ、ほら捕まえちゃうよ〜」

「いやっ!」


 私はその手を振り解くために身を捩り、そのままの流れで十字路を左へ折れました。


 一層薄暗くなっていく路地。落書きだらけのレンガの壁さえも左右から私に迫ってきて、どんどん行き先を狭めている気がしてなりません。加えて路地はクネクネと蛇行し、ひたすら一本道でうまい抜け道すら与えてくれません。どうか神様、窮地の私に少しばかりのご慈悲を恵んではくれないでしょうか。


 紆余曲折を繰り返し、私の脹脛が悲鳴を上げ始めたころ、この逃避行も終わりを迎えました。


 現れたのは袋小路。四方を囲む壁には窓すらなく、皆が背を向けて私の終わりを見届けることすら拒んでいるようです。


「嬢ちゃん、勘弁しな。そのペンダントさえ手に入れば、俺らは何も怖いことはしないよ」


 怯えながらも3人を睨みつける私に、リーダーらしき長身の男が手を差し出しながら近づいてきます。その後ろでは、腰巾着の小太りの男二人がニヤニヤと私を舐めるように見つめています。


 このペンダントを引き渡さなければ、私はひどい目に合うでしょう。どんな目に合うかなど、怖すぎて想像したくもありません。けれど引き渡したとて、きっと結果は変わらないでしょう。こういう弱い者を付け狙うような輩は総じて卑怯なのですから。ならばこそ、ここで屈しては彼らの思うつぼ。彼らの思惑通りになんてなってたまるものですか。


「い、嫌です!」

「あ?」

「こ、これはおじいちゃんの大事な形見なんです。あなた方のような野蛮で粗暴な人たちが触れていいものじゃありません。お引き取りください!」


 言ってやった。こんな言葉遣い、お祖父ちゃんが見ていたら悲しむかもしれないけど。でも、言ってやった。最後に、当たり前のように悪事を働いているお馬鹿さんたちに言葉のパンチをお見舞いしてやった。最期の最期で、私に恥じない後悔のない生き方ができた!


「……おい尼‼」


 前言撤回。


「いい度胸じゃねえか。どうやら骨の髄まで木っ端みじんの八つ裂きにされてえみたいだな‼」


 後悔はあるかもしれません。もう少しオブラートに包んでも良かったかも。


「歯食いしばれや、お嬢ちゃんよぉ!」


 チンピラ3人が目配せをして、一つの大きな暴力となって私に迫ってきました。まさに袋のネズミ。私は萎んだ喉から悲鳴を振りしぼること以外何もできず、その場に身体を抱えて縮こまり、藁にも縋る思いでペンダントを握りしめて目を瞑りました。


 その時でした。


 私の前方に何かが勢いよく飛来したような豪風と、その中でも聞こえるとてつもない打突音。その後には対照的なコッという軽快な音。そして次の瞬間、


「「「ぐわあああっ‼」」」


男たちの憐れな叫び声が響き、遠のいていきました。


 固く閉じていた視界を開くと、そこには気品にあふれる濃くて深い紫色と透き通るような純白のドレスに身を包み、高いヒールを有した革のブーツを履いたブロンドポニテールの女性が立っていました。わずかに覗く横顔はとても凛々しい顔立ちで、涼しいまなざしで奥に吹き飛ばされているチンピラたちを見据えていました。


 彼女が何者で、どこから現れたのか。私には皆目見当もつきませんが、現状として私は窮地を助けてもらった身です。何はともあれ、とにかく彼女にお礼を言わなければなりません。


「あ、あの」


 私がおずおず彼女に声をかけようとすると、


「なんだ今度は別の尼か!」


起き上がり始めたチンピラたちが乱暴に言葉を放ってきました。その怒号には確かな殺気があり、次襲われたら絶対タダじゃすまないことは明白でした。


「どこの誰だか知らねえが、生意気な尼2人まとめて血祭りにあげてやるよ!」


 もう彼らの目に余裕はありません。私たちを八つ裂きにする、その意志が目から言葉からひしひしと伝わってきます。3人それぞれが腰から小型のナイフを取り出して、怒りでその刃を研ぎながらこちらへじりじりと近寄ってきます。もはや八つ裂きにされるのも時間の問題でした。私の心がまた恐怖に支配されます。


 しかし、そんな状況下でも目の前の彼女は、怯えるどころか眉の一つも動かしません。刃物を向けてにじり寄ってくるチンピラ男3人衆に相対したまま、まるで運命を受け入れているかのような眼差しで見つめています。


 私のせいで彼女を死なせてはいけない。その思いが私に微量ながら勇気をくれました。竦んでしまっている身体に鞭を打って四つん這いで彼女に近づき、腰辺りを掴みながら訴えかけました。


「お願いあなただけでも逃げて! 私のことは見捨てて早く!」


 あまりの必死さと、すぐそこまで迫った恐怖から自然と涙がこぼれ落ちました。


 しかし、それを遮るように女性の声が私の耳に届きました。


「そのまま掴まっててね」


 その声が目の前の女性だと認識したとき、気づけば私の下に地面はありませんでした。


澄み切った青空。飛び交う渡鳥。照り輝くお日様。

 その全てが私のすぐ近くにあります。なんなら手が届いてしまいそうな距離にあるのが、私の頭に浮かんでくるクエスチョンマークを爆発的に増加させています。


 「大丈夫?」


 頭の上から声がしました。見るとそこには、先程までチンピラと凛々しく対峙していたブロンドの女性が、真顔でこちらの様子を伺っていました。

 私はその顔を見て、自分の両腕が彼女の腰をきつく締め付けていることを思い出しました。慌ててその手を解こうとすると、


「手放しちゃダメよ。真っ逆さまに落ちてペチャンコになっちゃうわよ」


今度は彼女が、私の腕に手を添えて忠告してくれました。


「あ、ごめんなさい」

「謝らなくていいわ。私が勝手に手を出したんだもの」


 優しい言葉で、しかし全く表情を崩さずに慰めてくれる女性。怖い感じはしないけど、なんだか不思議な雰囲気をもった人です。


 なんて考えていると、


「さすがに目立つから、そろそろ降りるわね」


と彼女が言いました。


 そうだ、私たちは今青空の真っ只中にいるんでした。なんで浮いていられるのか分からないけれど、そんなの元の場所からどうやってこんな空の上まで移動してきたかも分からないのだから、私のちっぽけな脳みそで考えるだけ無駄でしょう。

 やけに冷静な私は、自然とこの状況を飲み込めてしまっていました。


「バランスが取りづらいから私の手を握ってくれる?」


 女性からの提案に対して素直に頷きます。そのお姫様みたいにスベスベな手を取ると、私は空の上で自立することができました。そして気がつけばゆっくりと、私たちは高度を下げてレンガ調の街の中へ不時着していったのでした。


 最後までゆったりと降下した私たちは、コッという女性のブーツが地面を叩く音とともに街外れの倉庫地帯へと着地しました。さっきまで居た路地からはずいぶん離れた場所です。きっとまた私がチンピラたちに見つからないための、彼女なりの気遣いなのでしょう。


「あ、ありがとうございました!」


 私は彼女の手を握ったまま、ずっと喉元でつっかえていた感謝の言葉を口にしました。その唐突なお礼にも、女性はまるで慣れているかのように、


「礼なんて要らないわ。勝手にやったことだし」


と無表情で受け応えます。どこまでもクール。きっと常にそうやって気を張って、凛々しい自分を崩さない人なのでしょう。


「じゃあ、私はこれで失礼するわね」


 そう告げると、彼女は握っていた手をぱっと解き、踵を返してこの場を立ち去ろうとします。


「ま、待って!」


 私はそんな彼女の手を再び掴みました。彼女を引き留められる目立った理由なんて思いついていません。けれど、命を救ってもらっておいてお礼の一つもしないなんて、神様にもお祖父ちゃんにも顔向けができない女になってしまいます。

 たとえ私のちっぽけなエゴだとしても、絶対にこの女性にお礼をすると私はその時決心しました。


 そうして出した答えが以下のものでした。


「私が時々お手伝いしているお店に美味しい紅茶があるから一緒に来てくれませんか!」


 なんとも笑えてしまう誘い文句(?)ですが、彼女はくすりとも笑いませんでした。

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