楽園誘拐事件

飯田太朗

第1話 事件編

 楽園……死後の世界などを指す場合がある。そうでないとしても、ある特定の人間が辿り着ける、肯定的で調和に満ちた、自由で美しい空間であるとされる。主に宗教上、ないしは形而上学的思想においてのみ存在する。


 赤塚命ちゃんが失踪したのはさる八月八日、夏休みの最中だった。

 いつも通り「友達と遊ぶ」と出かけて行ったのをお母さんの赤塚良美さんは在宅ワークの傍ら見守った。「お昼には帰ってきなさい」とだけ言い渡して、命ちゃんを解き放つ。しかし、命ちゃんが帰ってくることはなかった。

 佐久間幹久くんがいなくなったのはさる八月三十日、一時登校の帰り道でのことだった。

 途中まで帰り道が一緒だった尾道百合子ちゃんはいつもの分かれ道で幹久くんと別れたという。しかしその分岐点から僅か二十メートル先の家に、幹久くんが帰ってくることはなかった。ご家族が異常を認識したのはお母さんの紗夜さんが時短勤務を終えて帰ってきた後。幹久くんの帰宅予定より一時間後のことだった。

 多賀和也くんが失踪したのはさる九月七日のできごとだった。

 公園で遊ばせていたらしい。ご両親はピクニックのため持ってきたレジャーシートと簡易テントの中でのんびりおしゃべりをしており、和也くんは公園の噴水の方に駆けて行った。未就学児故に目を離すつもりはなかった。しかし一瞬で和也くんはいなくなった。和也くんが駆け出した僅か一分後に彼が見当たらないことに気づいたご両親は大声で捜索したが見つからず。すぐに三十分、一時間と時間が過ぎていき、最終的に公園中を探し尽くしたご両親は警察に連絡。和也くんの捜索が始まった。



 以上が昨今巷を騒がせている「楽園誘拐事件」の報告事例である。当事件は都内だけで六件。日本各地に視野を広げれば名古屋で一件、大阪で一件、広島で二件、他にも各地警察署が発表していない、ないしは認知していない件数も含めると被害件数は二桁にいくことが容易に想定された。本件が「誘拐」だと認知されたのは大阪のある刑事の手柄だった。

 近親者が……具体的な報告は上がっていないが、関係者同士の噂では友人のお子さんだったらしい……行方不明になったある刑事が失踪地点付近の監視カメラを非公式に捜査。問題の児童が謎の人物に手を取られ去っていく現場を確認したため、日本各地で発生している失踪事件を「誘拐」なのではないかと注意喚起。結果、失踪児童の報告が確認されている各県で失踪地点の監視カメラを洗ったところ、同様に不審人物が失踪児童の手を引いて去っていくところが確認できたため、「誘拐事件」とした。本件が「楽園」と呼ばれる理由にはいくつかの条件がある。

 一、児童が無理矢理連れていかれたように見えないこと。不審人物は顔も背丈も一致しない、およそ性別の区別さえつかないような明らかな「不審人物」なのだが児童たちはどれも怪しむことなくその不審人物について行っている。お菓子や玩具の類で釣っている気配もない。まるで児童が「その人について行くのは当たり前だ」と思っている節さえある気配なのである。それこそ、そう、まるで「楽園」に行くかのように、児童自身が喜んでいるような雰囲気さえあることからまず警察関係者が「楽園」の言葉を使い始めた。

 二、広島県の誘拐事件の映像に、背中に「楽園」と書かれたシャツを着ている人物が映っていたこと。この映像は報道の際各地で使われたため、一般大衆の印象としてはこちらの方が強いのだろう。民間人がこのシャツを指して「楽園」と言い出した。

 三、子供たちが帰ってきたがらない。つまり「楽園」に連れていかれたのではないかというネット上のロア。

 四、誘拐犯の元には各地の児童がいることが推定される。天使のような子供たちが集まっているのだ。その様子はさながら「楽園」だろう。これもネット上のロアである。

 このような「特殊な」事件が起きると決まって私の元には「コメントを求める」依頼が殺到する。まったくマスコミという連中は餌があれば食いつくという単細胞生物の中のさらに下等な生物のような反応をする生き物である。馬鹿の相手は疲れるがしかしそれなりの額がもらえるのでバイト感覚で依頼は受ける。

「本件を受けて率直な感想は?」

 こいつらは基本的にこういう質問しかしてこない。グラビアアイドルにスリーサイズを訊くが如く「感想は?」「感想は?」「感想は?」である。統一した回答を用意するのでも問題はなさそうだがこちらもそれなりの額をもらっているのでそれなりのサービスをする必要があるだろう。私は一つの見解の観方を変えた回答をいくつか用意してそれを使い回した。まったく涙ちょちょ切れる出血失血大サービスである。

 本件を受けての私の「率直な」感想を述べよう。

 どーでもいい。死ぬほどどうでもいい。どこの誰のどんなお子さんがいなくなろうと私には一切関係ないし私は困らない。そんなアホな子供のことを考えるくらいならいっそ熟女の尻でも舐めしゃぶっていた方が建設的だし面白い。どうぞあの世でもどの世でも楽園にでも地獄にでも行ってください。そんなことを考える暇があったら私は女を壁にぶち込みたいです。

 一応断っておくと私の性癖は「壁尻」である。言えば分かる男性諸君はもうよかろう。分からぬ男は間違いなく小便臭いガキかそれこそ本件で話題になっている未就学児である。言っておくが私は小学三年生で既に立小便器に欲情していたので生粋のエリートである。おそらく日本各地にこの手のエリートがいることは容易に想像がつく。

 女性は「壁尻」については知らないだろう。知っているとすればそれなりに性癖を拗らせている人間である。あるいはイケメンを、あるいはショタを、壁にぶち込んで犯している場面でも考えているのだろうな。生憎私はイケメンだろうがショタだろうが壁にぶち込まれていても蚊が潰れた程度の感想しか抱かない。まぁ、そんなことはどうでもいい。「壁尻」を知っている女性は間違いなく変態だし、知らない女性はどうぞ私の手で一度壁にぶち込まれてください。皆さんの応募お待ちしております。

 さて、私のある意味「最初」の仕事はさる「壁尻殺人事件」だった。女性を解体し、切断し、その下半身だけを壁に立てかける形で放置する……裸に剝き、肛門も性器も露出した状態で。という事件である。

 その一件で華麗な活躍を見せた私は後日起きた「ウェディングドレス殺人事件」でも変態性癖を持つ人物の確保に貢献。続く「ブリーフ殺人事件」でも、容疑者の特定に関係した。

 こういう華やかな経歴を持っていると「山手線で痴漢が起きた」程度の話でも私に感想を求めてくる連中がいる。お前馬鹿か。痴漢なんて最低の犯罪だ。あいつらがいるせいで世の男性はホールドアップした状態での乗車を強制される。被害女性? 知らんそんなのは。ケツでも出して乗っていたのだろう。……ケツ? 

 まぁ、とにかく。

「楽園誘拐事件」だ。私が本件に大きく関わったのはある日のこと。私の研究室にやってきた人物がいたからだ。アポもなしに。手土産もなしに。

「先生……」

 憔悴しきった顔でやってきたのはあの西島だった。「ウェディングドレス殺人事件」で、あるいは「ブリーフ殺人事件」で私に協力した、警視庁の西島だ。

 しかしこの日、西島はいつものスーツ姿ではなかった。デニムのズボンにブルーのシャツ。まるでゲームのモブキャラみたいな恰好をした髭面の西島がドアの前にいた。おかしいことは見て取れた。西島はいつも綺麗に髭を剃っている。

「先生……」

 縋りついてくる。そのまま崩れ落ち、私の下半身を抱く。風俗嬢もかくやと言わんばかりに私の下半身に顔を埋める。こんなに熱心なサービスをしてくれる嬢ならきっと人気嬢だろう。そんなことを思いながら西島を見下ろす。

「どうかされましたか」

 男に下半身を抱かれても不快なので助け起こす。髭面の哀れな西島は顔を上げ、鼻をすする。

「うちの子が……うちの子が……」

 さる十月二日。

 西島洋太の一人娘、一香ちゃんの行方が分からなくなった。嫌な予感に突き動かされた西島は非公式で監視カメラを調査。例によって不審人物に拉致される現場を確認。事件となった。

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