ハンク編

 陸の孤島ともいえる程、深い山間やまあいの静かな村。

 街灯も碌にない夜の闇の中、村はずれの墓地へ一台のバンが入っていく。

「おい、本当にやる気なのか? バレたら不味いぞ?」

 痩身でひょろりと背が高く、やつれた長い顔の男が、もう一人の男にビクビクしながら声を掛ける。

「煩いなニック。俺はこんな田舎に居たくないんだよ」

 丸眼鏡で背の低い男が、少しイラつきながら答える。


「そりゃあ、早く研究を終えて帰りたい、ってのは分かるけどさ……」

「次のテスト用の死体が届くまで、10日もあるんだぞ」

 どちらも歳は30手前くらいか、二人の男は埋められたばかりの墓を掘り起こす。

「新鮮な死体なんて、そうそう手に入らないだろう? ちょっと薬を打って、反応を見たら戻せばいいんだ。誰も困らないし、成功すれば早く帰れるだろ?」

「分かったよハンク。俺だって、せめてシカゴの研究所に移りたいさ」


 ハンクとニックは村に出来た研究所の研究員だった。表向きは化粧品の研究となっているが、実際は死体に寄生するウィルスの研究をしていた。当然軍事利用が目的で、国との交渉も済んでいた。

 身元不明の死体や、遺族のいない遺体を持ち込み、実験に使っていた。

「前回のジョン・ドゥと比べると、大分歳喰ってるが仕方ないな」

「贅沢いうなよ。この間のジェーンよりマシだろ? 早く打てよ」

 掘り出した遺体を前に、体が若くないとぼやくハンク。そんな彼に早く薬を打てと、ニックが急かす。

 身元不明の男性の遺体はジョン・ドゥ。女性なら、ジェーン・ドゥと呼ばれる。


「ジェーン・ドゥは酷かったな。アチコチ腐ってたものな」

「いいから早く打てって。誰かに見つかったら面倒だ」

「はいはい。……はぁい、チクっとしますよぉ」

 緑色の、見るからに体によろしくなさそうな薬液を、ハンクが遺体に注射する。

 心臓が止まっているのだから、薬は体内を巡らない。その薬液には、あるウィルスが入っていた。ハンク達の創り出したソレは、死体に寄生して他の生物を襲い、勝手に増え続ける、悪魔のウィルスだった。


 遺体の頭を抱き抱えたニックが、ペンライトで眼球を調べる。

「今回はイイ感じだな。順調に浸食しているようだ」

「これで動き出しでもしてくれたら、早く帰れるのになぁ」

「映画だと動き出して、人を襲い始めるんだけどな」

 抱き抱えるニックの左手に、遺体が齧りついた。

「いっ! うぁあああっ! は、放せ……うわぁああ!」

 叫ぶニックの人差し指と中指を、根元から喰い千切る。

「な、なんだ? 動いているのか……」

 何が起きたのか理解できず、ハンクも墓穴の上で狼狽えるだけだった。

「なんで? た、助け……」

 指を喰い千切り動き出した死体は、ニックに覆いかぶさる様に襲い掛かり、首筋に噛みついた。ニックの首から血飛沫が、噴水の様に噴き上がる。


「そんな……なんで人を襲うんだ? まだ、動くだけの筈だろ?」

 研究中のウィルスは死体に寄生して、死体を動かし移動するだけで、まだ増殖はせず、人を襲わない筈だった。体内で爆発的に増殖したウィルスは、栄養を求めるのか、さらに増える為の宿主を求めてなのか、近くにいたニックに襲い掛かった。

 噛まれたニックにもウィルスが流れ込む。

 感染したニックも動く死体となり、生きた人間を求めて動き出す。

「あ……あぁ……うわぁ!」

 軽くパニックを起こしたハンクは、全てを放置して車に乗り込み、その場を逃げ出してしまう。動き出した死体は墓場を彷徨い、人を求めゆっくりと、村へ向かって歩き出す。ろくに戸締りもしていない民家へ入り込み、寝ている人に齧りつく。

 ニックに齧られた人間も動き出し、村を彷徨い、感染は広がっていく。


 村の中を感染が広がっていく様子を、何も出来ずに見ながら、ハンクの車は墓地と反対側の村外れまで来ていた。そこで漸く車を停め、頭を整理する。

「どうする? どうする。本社に報告はしないとマズイな。ニックの所為にしよう。もう、文句は言わないだろうからな。後はどうやって逃げるかだな」

 ハンクの中で、村は只の実験場だった。そこに暮らす人々は、モルモットと同じ、実験動物だった。なんとか経歴も肉体的にも傷付かずに、村から脱出する方法だけを、ハンクは必死に考えていた。

「本社に連絡して、ヘリを出してもらおう。ヘリで迎えに来て貰えば、逃げられるぞ。俺は会社に必要な人間だ。見捨てたりしない筈だ」

 パニックになった頭で、なんとか答えを絞り出したハンクは、研究所へ向かう。


 報告の為、研究所へ戻ると、入口に人がいた。

 まだ噛まれていないようだ。

「まだ無事な村人がいたのか……面倒だな」

 そこに居たのは4人の少年少女だった。

 子供達だけだったからか、ハンクも気を許したのか、油断したのか、声を掛ける。

「なんだい君達は、村の子か? 此処へ入っちゃいけないよ」

 ハンクが車から降りると、少女が駆け寄って来る。

「村が大変なんです。急に人に噛みついて……」

「今見て来たよ。君達も中へ入りなさい」

 研究所の入り口をカードキーで開けると、ハンクは4人をロビーへ通した。


 子供達をロビーに待たせ、ロッカールームに入る。

 誰もいないだろうが、研究所の奥へ行く為に、一応白衣を着る。

 人だとも思っていなかった村人を、何故中にいれたのだろうか。

 ハンク自身にも分からなかった。

 とにかく少し話をしてみようと、ハンクはロビーに戻る。


「見ての通り、僕は研究員のハンクだ。村で流行っている病気、だったりじゃないんだね? 今までにこんな事はなかったのかい?」

「アンタらが何かしたんだろ? 薬かウィルスを撒いたんだろう」

 何故かバレていて、ハンクは少し焦る。見られていた筈はない。と、思い直したハンクはとぼけてごまかす事にした。

「ここは化粧品の研究所だよ。子供には想像力が必要だけれど、飛躍しすぎだね。それより、外の彼等をなんとかしないとね」

「出来るんですか!」

 少女が助かるのかと叫ぶ。

「いや、すぐにどうこうはできないよ。でも、この施設にある設備を使って、村からこの研究所へ集める事は出来るかもしれない。屋上のスピーカーから超音波みたいなものを流せば、音に寄ってくるかもしれない。その内に、君達は逃げなさい」

「逃げろって何処に……」

 困惑する少女に少年が答える。

「列車しかないな。この時期山は無理だから、駅へ行くしかない」

「今からなら、まだ夜の列車に間に合うはずじゃない?」

 少女も逃げられると思えると、元気が出て来たようだ。

「じゃあ、君達は駅へ向かいなさい。僕が奴らを引き付けよう」

 ハンクが奴らを集めている間に、駅へ逃げろと言う。

「いやいや。おっさんも行こうぜ。此処に群がったら、逃げられねぇぞ」

 少年が一緒に行こうと誘うが、ハンクは静かに首を振る。

「僕しか操作が出来ないし、村の子供達の為だしね。それに、この建物は結構頑丈なんだよ。助けが来るまで耐えられるさ」


 ハンクは子供達を外へ出し、研究所の奥へ向かう。

「まだ完成してはいないが、アレなら時間が稼げる筈だ」

 ウィルスに侵された者を制御する研究も、当然平行して進められていた。

 感染者を大人しくさせる音波を流す研究を進めていたが、まだ成功はしていなかった。感染者の方が成功していないので、満足に実験も出来ない状態だった。

 しかし、いくらかは反応して、研究所から遠ざける事は出来るだろうと、ハンクは考えていた。此処へ集めるのではなく、自分だけ助かろうと、少年達を囮に感染者を遠ざけるつもりのハンクだった。


 装置を起動して外部スピーカーから流す。

 不快な音が研究所から鳴り響き、感染者が反応する。

 ハンクの思惑とは逆に、感染者達はゾロゾロと研究所へ集まって来てしまう。

「ア゛ァア゛ア゛ァァ……」

「オオォォ…ァアア゛……」

 呻き声を洩らしながら、次々と感染者が集まって、研究所の扉を叩き始める。

「なっ、なんで集まってくるんだ? くそっニックの奴め……」

 失敗を同僚の所為にしながら、ハンクは緊急用の通信を繋ぐ。


 女性の声で、すぐに応対してくれた。

「研究員のハンクですね? そちらの状況はモニターして、把握しています。既に迎えも向かっていますから、そこで動かずに待っていて下さい。もう数分で着く筈ですから安心してください」

「わ、分かりました! ありがとうございます」

 自分のやらかした事も忘れ、助けて貰えるものだと思い込んでいるハンクは、大人しく感染者が取り囲む研究所で、一人助けを待つ事にする。


「サンプルは?」

 通話を終えた女性が、後ろに控える男性に声を掛ける。

「回収に成功しました。今、村の外でエージェントを拾ったと、報告を受けました」

「そう、前回よりはいくらかマシな結果かしらね。完成が待ち遠しいわ」

 その部屋にはいくつもの画面が並び、研究所だけでなく、村のアチコチを映し出していた。ハンクのやらかした事も企みの内だったのだろうか。

 徘徊する感染者、逃げ惑う村人、モニターを観ながら、女性が妖しく微笑む。


「うわぁ! こっちに来るなっ!」

 研究所に集まった感染者達は、扉を打ち破り中へ雪崩れ込む。何体か押しつぶしながら、呻く感染者の群れが研究所内に溢れる。

 ハンクは通信室に閉じこもり、すぐに来る助けを待つ。

「なんで……なんでこんな事に……帰りたかった。ただ……帰りたかっただけなのに……」


 ハンクの籠る通信室の扉に、感染者が群がり叩き始める。

 部屋の中でうずくまるハンクは、恐怖に震え涙を溢れさせ、助けが間に合う事を願うだけだった。そのドアが破られた時、待っていた助けが到着する。

 ハンクのいる部屋へ感染者が飛び込んで行く。

 しかし、彼らがハンクに触れる事はなかった。

 感染者も村の生き残りも、研究者も、全てを平等に救う迎えが到着した。

 村へ飛んで来たソレは、無慈悲な炎を撒き散らし、全てを焼き尽くす。

 ウィルスのサンプルを持ったエージェントが、ヘリで脱出すると、その村は地図から消え、無かった事にされた。

 そしてまた、別の村で実験は繰り返される。

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