ジェイコブ編
「今日は良い天気ねぇジェイコブ」
清楚なお嬢様……だったような雰囲気の老女が紅茶を淹れる。
緑に囲まれた広い庭で、真っ白なテーブルにティーカップを並べていく。
「そうだねぇジュリーン」
大柄で逞しい男性……だったであろう老人が、真っ白な椅子に腰かけたまま、女性を見上げて、笑顔でこたえる。
「紅茶が入りましたよ~」
ジュリーンと呼ばれた老女が、広い庭に向かって、仲間達に声を掛ける。
ゆっくりと振り向き、のろのろと杖をつきながら、老人がテーブルに向かって動き出すが、細かく小さな歩幅で、殆ど進みはしていないようだった。
髪も髭も眉も真っ白で、目も口も閉じているのか、眉と髭に隠れていた。
「今日は調子が良さそうだなロイド」
そんな老人の肩に手をやり、細身の男性が声を掛ける。
枯れ枝のように細い手足で、ふらふらと歩く老人が、杖をつく老人とテーブルに向かっていた。そんな老人に、少し太めの老女が呆れ気味に声を掛けた。
「彼はグレンでしょクィンシー」
「エイミーか……分かってるさ。ロイドは……どこだ?」
どうやらクィンシーは、少し物忘れが激しいようだった。
「僕はここだよクィンシー」
部屋の中から、小柄な老人が庭に出て来る。
見事に禿げあがった頭頂部が、陽の光にきらりと光る。
ここは村の外れの保養所。邪魔になった老人が集まる施設。
老人たちが集まり、午後のひとときを、庭でのんびりと過ごしていた。
「今日の紅茶も美味しいよジュリーン」
そう
何百人もの人を殺した殺人鬼だった。
それでも戦争という狂気の中でならば、そんな行為も英雄と称賛され、立派な勲章すら送られる。彼はアメリカ陸軍の軍人だった。
退役後、この静かな村で妻と暮らし、一人になった彼は、この施設で暮らす事を選んだのだった。施設での静かな暮らしは、そこそこ気に入っていた。
年に何度かは、都会で暮らす息子や孫も、顔を見せに来てくれる。
何よりも、ここにはジュリーンがいる。
この施設で知り合ったジュリーンとは、気が合うと彼は思っていた。
もう、物忘れも激しい歳だ。彼女と何をしようという事もないが、こうして紅茶を飲みながら、ゆっくりと語らう時間が、何よりのものであった。
「よかったわジェイコブ。先週、孫が届けてくれたのよ」
優しく微笑む、彼と同じ年頃の女性は、ジュリエッタ・ロッドマン。
皆からは愛称のジュリーンで呼ばれていた。
遠く離れた町に娘夫婦と孫が居るが、一人、
優し気な彼女の過去は、誰も知らないし、過去に興味を持つものは、ここにはいなかった。いつも笑顔をふりまく彼女も、元軍人であった。米軍特殊部隊でナイフだけで敵兵を
’73年まではベトナムに、’91年にはクウェートでも参戦していた。
「ミートパイも焼き上がったよ~」
焼きたてミートパイを運ぶ、少し太めの女性はエイミー・ポーリーズ。
ダイナーを経営していたが、息子夫婦に店を譲り、この施設に入った。
若い頃の趣味は銃器の作成で、裏でこっそりと、自作の銃器を売って、小遣いを稼いでいた。一部では『下町の死の商人』と、呼ばれていたとかいなかったとか。
「おっ、エイミーのミートパイだぁ。ほぅらクィンシー、早く来ないとなくなるよ」
いつもお
知り過ぎた彼は、ボケる前に暗殺されるだろうと、その時を待っていた。
「うるさい! おい、エイミー、わしの分は残しておけよ」
少し痴呆の進んだ彼はクィンシー・レイモンド・クレイグ。
枯れ枝のような体で、走り回るどころか、まともに歩く事すら難しい彼だが、施設に来る前は、イギリス空軍特殊部隊にいたエリート軍人だった。
「んぐ……むぅむにゅ、ぐぅ」
口をむにゅむにゅして、もごもご言いながら、ちょこちょこと進む杖が手放せない老人はグレン・カーチス。
いつも無口でほとんど喋らないが、たまに話しても、ほとんど口が開かないので、何を言っているのかは聞き取れない、面倒な爺さんだ。
今では、両足がほぼ動かないが、一流の暗殺者として裏では名の売れたスナイパーだったりする。この歳まで生き残っているくらいの暗殺者だった。
「じいちゃん無事か!」
のんびりとした午後のティータイムに、叫びながら飛び込む若者がいた。
「なんだ騒々しいぞラグ。今度は何の騒ぎだ」
ジェイコブが、入って来た青年に怒鳴る。
少し太めの青年ラグは、黄色に黄緑に赤にエメラルドグリーンと、派手な服を着ているが、施設に食料品や小物を運んで来てくれる配達員だ。
どちらかというと、落ち着きのないほうではあるが、それでも今日は、はしゃぎ過ぎなようだった。今日は、妙に慌てているようであった。
「今日は何があったんだラグ。お気に入りのアイスを落としたのか?」
ロイドがからかうも、ラグの顔は少し引き攣っていたが、真剣なままだった。
「みんながおかしくなっちまったんだ。死んでるのに動いて……噛みつくんだ。急に襲ってくるんだよ。さっきもジェイドに噛まれて、ほら……」
ラグが、噛まれたという腕を見せる。
人の歯形がついて、血があふれていた。
それほど深くもなさそうな傷だが、血が止まらず、ラグの顔色も悪いようだ。
「なんだそりゃあ……細菌兵器か?」
笑い飛ばすでもなく、ジェイコブの顔が引き締まる。
「何かの薬品が漏れた可能性もあるんじゃないか」
何か思い当たる事があるのか、おどけていたロイドも、真剣な表情に変わる。
「早く……逃げ……な、いと……ぐぅ……ぐげっ……うぅ」
ラグの顔色が、みるみる土気色に変わっていく。
生気なく項垂れる姿は、まるで
「ちょっと、本当に大丈夫なの? しっかりしてラグ!」
彼を心配して、駆け寄ったエイミーが肩を掴む。
「うがっ」
「きゃあっ」
苦しげだったラグが、突然エイミーに襲い掛かる。大きく口を開け、肉食の野生動物にでもなったかのように、豊満な肉体に飛び掛かった。
「っ……」
そのラグの頭が、後ろに弾かれるように仰け反り、額を貫くナイフと一緒に倒れ、彼は動かなくなった。
「急に暴れ出すんだな。噛まれると感染するのか?」
咄嗟にナイフを投げたのはクィンシーだった。
「ひぃ~レイ~!」
危うく噛まれるところだったエイミーが、悲鳴をあげながらクィンシーに駆け寄る。勢いよく抱き着いたエイミーに耐えきれず、押し倒されるクィンシーだった。
そんな施設の庭に、次々と虚ろな目の人々が入り込んで来た。
ほとんどは知った顔ばかりであった。
「あらあら、マイケルじゃない。そっちはリンダね。クリスまで」
暢気に手を振って、挨拶しているジュリエッタの手を取り、ジェイコブが叫ぶ。
「町中が、おかしくなっちまってんのか。おい、一旦退却だ」
「建物へ入りましょ」
「ダメだ。そっちは窓が多すぎる」
クィンシーを助け起こしながら、施設内に入ろうと言うエイミーを、ふらつきながら、クィンシーが止める。
「作業小屋だ。あっちに逃げ込もう」
「よし。みんな、走れっ」
ロイドの提案に、ジェイコブが皆を急かす。
この施設では、出来る限り自分達の力で生活しようと、本館の隣に倉庫兼作業小屋があった。そこには工具類が使える作業台や、資材も置いてある。
皆が作業小屋へ駆けこんでいった。
「はぁはぁ……グレンは?」
息を切らしながらもエイミーが、姿の見えないグレンを気にした。
「あそこだ!」
ロイドの声に視線を向けると、まだ先程の庭にグレンの姿があった。
必死に杖をつき、急いではいるようだが、殆ど両足が動かない彼の歩幅は、極端に小さい。ちょこちょこと進むグレンに、様子のおかしい人々が、呻きながら迫る。
「グレン! 早くっ、こっちだ」
「お願いっ、急いでぇ」
ジェイコブもエイミーも、倉庫の入口でグレンに、悲鳴のような声援を送る。
他の三人が、小屋の中へ走る。
棚を動かし、板を打ち付け、小屋の裏口と窓を塞いでいく。
すぐに捕まって、喰われるかと思われたグレンだったが、迫る人々も具合が悪いのか、よろけながらゆっくりとしか進めないようだった。
中には木にぶつかって倒れる者もいた。
「早く行け、グレン」
グレンに追いすがる人々を、飛び出したジェイコブが殴り倒した。
グレンを護りながら、ジェイコブが小屋に辿り着く。
なんとか全員が倉庫へ立てこもることが出来たが、周りを囲まれ、外へは出られなくなってしまっていた。
「くそっ、なんだってんだ」
クィンシーが舌打ちして壁を蹴る。
「どうなってんだ。あいつら死んでんのかな」
棚と立てかけ、ふさいだ窓の隙間から、ロイドが外の様子を探っていた。
「どうする? 囲まれたぞ」
クィンシーが悪態をつきながら、倉庫内をうろうろしていた。
「外に出ようにも、結構な数が集まってるな」
外の様子を見ているロイドも、少し焦っているようだ。
「丸腰じゃ、分が悪いな」
ジェイコブも、素手でどうにかなるほど、若くはないと焦る。
そんな中、エイミーが動いた。
倉庫から細めの鉄パイプを数本、イスをばらしてスプリングや鉄片を取り出す。
丸ノコで適当な長さにパイプを切ると、作業台に向かった。
「これだけ材料があれば、どうにかなるよ」
「じゃあこっちは弾でも準備しようかねぇ」
鉄パイプと
「ガンパウダーは任せてちょうだい」
村で使った銃弾の真鍮ケースは、この施設に集められていた。
施設の老人たちの手慰み、ちょっとした小遣い稼ぎとして、銃弾を再生していた。
洗浄機で洗浄された真鍮ケースからプライマーを除去する。
面倒だった作業も、今はホルダーにセットして、リローダーのレバーを引くだけ。
死にかけの老人にも出来る、簡単な作業だ。
プライマーポケットの清掃は、丁寧に手作業で進めていた。
そんな準備をした、様々なサイズの真鍮ケースが、倉庫に積んであった。
ジュリエッタがパウダーを貼り、ロイドが鉛から弾丸を作っていく。
クィンシーがぷるぷるしながら、仕上げていった。
「できたよ。取り敢えず、これだけあればいいでしょ」
エイミーが短時間で拳銃とライフルを完成させた。
「あとは事務所にショットガンがあったな。弾はキッチンか?」
銃に弾を詰めながら、ジェイコブがショットガンも取りに行こうと言う。
「なら、裏から出て事務所へ寄ってからキッチンだな」
クィンシーが銃を構えて扉の前に立つ。
「俺が奴らを引き付ける。そのうちに裏から出ろ」
ジェイコブが、作業小屋の扉に手を掛ける。
外の奴らを引き付け、その間に反対側の裏口から脱出する事になった。
「じゃあ、私もこっちに付き合おうかしら」
ジュリエッタが上品に、ジェイコブに寄り添う。
「ジュリーン。ありがとう」
「よし、それじゃあ丘を降って、学校の裏で集合だ」
ロイドがグレンを振り返る。
口をもごもごしながら、グレンも力強く頷いた。
エイミーがグレンの脇につく。
「Gulf War を思い出すな。あれは91年だったな。1月だったか2月だったか」
「地上部隊の侵攻なら2月23日よ、ジェイコブ」
昔、参加した思い出を辿るジェイコブに、ジュリエッタが優しく告げる。
「おお、そうだったな。あの時を思い出すな」
「そうね、あの時もベトナムも暑かったわね」
ジュリエッタに微笑んだジェイコブが飛び出し、叫びながら発砲する。
「そぉら、こっちだぁ! こっちに来やがれ」
ぞろぞろと、しかしゆっくりと、虚ろな目をした人々が、ジェイコブの方に集まっていく。死んだような顔色で、
「ジェイコブに迫ろうなんて、あなたにはまだ早いわねぇ」
動く死体以上に気配を殺したジュリエッタが、倒れたリンダに微笑む。
何処に隠し持っていたのか、ナイフ一本を武器に、ジュリエッタが首筋の急所を貫いていくと、動き出した死体たちも、活動をやめて眠りについていった。
騒ぐジェイコブと、静かに仕留めるジュリエッタ。
意外と良いコンビかもしれない。
「よし、いくぞっ」
裏口から、クィンシーが駆け出す。
エイミーがグレンと共に後を追う。
「クィンシー、そっちじゃない。事務所は右だ」
最後尾のロイドが先頭のクィンシーに、囁き思い出させる。
怒鳴りたいのを、ぐっと我慢して。
ジェイコブが暴れている間に、事務所のショットガンを取り、キッチンへ向かう。
アメリカならばキッチンに、ショットシェルくらいは置いてあるものだ。
「あったぞ。あいつらは大丈夫か?」
ショットガンと弾を手に入れたクィンシーが、ジェイコブ達を気にする。
「大丈夫だと信じて、丘を降ろう」
ロイドが仲間を急かして、施設を抜ける。
「どうするんだ。グレンには無理だろう」
「車を探さなきゃ」
丘を降る道へ出て、クィンシーとエイミーが、走れないグレンに悩む。
「そっちじゃない。こっちだよ」
ロイドが二人とグレンを呼ぶ。
ぎりぎり坂道と呼べなくもない崖。
ロイドは、そこを降りようと言い出す。
「そんなところ、グレンでなくとも降りられんわ、バカめ」
「ロイド、そこは私もちょっとぉ……」
下を見下ろし、二人共に無理だと尻込みする。
「そんなこと言ってたら、あいつらに追いつかれるよ」
有無を言わせず、ロイドがグレンの手を引っ張る。
その杖を取り上げ、大きなボードペーパーに乗せると崖に突き出した。
「なあっ!」
「グレン!」
身を乗り出し崖下を覗き込み、クィンシーとエイミーが悲鳴をあげる。
「ほら、君達も急いで」
無言で固まったまま、坂を滑り落ちて行くグレンに続き、二人もロイドに突き落とされ、ほぼ崖を滑り落ちていく。
「うぉおおおおおおっ!」
「ひっ……ぃひっ」
続いてロイドも坂を滑り降りて行った。
「ほら、大丈夫だったろ」
華麗に滑り落ちたロイドが、グレンを助け起こし、杖を返して笑った。
「だ、大丈夫なわけあるかぁ」
「ひっ……し、死ぬかと思ったわぁ」
二人も無事だったようだが、エイミーは、少しぷるぷると震えていた。
「やつらが集まってくるから、騒がないでよクィンシー」
「むっ……ぐぅ」
顔を真っ赤にしながら、口を噤むクィンシーだった。
「一応無事だったんだし、今は急ぎましょレイ」
エイミーもクィンシーを宥め、合流場所へ急いだ。
「遅かったな、待ちくたびれたぞ」
やつらを撒いたジェイコブとジュリエッタが、ロイド達よりも先に着いて、合流地点で待っていた。
「早いなジェイコブ」
ロイドが軽く手をあげる。
「二人共、怪我してないよね。大丈夫よね」
エイミーが二人に駆け寄る。
「大丈夫よエイミー」
何もなかったかのように、ジュリエッタが笑顔で応える。
まるで貴婦人のような微笑みで。
その時、異様な音が響いた。
甲高い、何か不快な、聞いた事もない音が響く。
「なんだこれ……研究所のスピーカーか?」
「やつらが集まっていくぞ。あの音が呼んでいるのか」
奇怪な機械音は、最近できた研究所から聞こえるようだ。
その音に、おかしくなった人々が集まっていく。
「なんにせよ、今の内に離れた方がいいな。俺が先行する」
ジェイコブが前に出て、森に向かって進む。
「山を越えるしかないか。今年も、どっさりと積もっているんだろうな」
クィンシーが、山越えしかないと言い出す。
この時期、村を囲む山には、3mを超える積雪があった。
「砂漠よりはましだ」
ジェイコブが山を目指し、森に入って行く。
そんなジェイコブに、男が木陰から抱き着く。
不意を突かれ、反撃できずに掴まれるジェイコブ。
一人先行して突出していた彼に、ジュリエッタもロイドも駆け寄るが、とても間に合う距離ではなかった。
片腕が
ターーーンと銃声がひとつ響く。
ジェイコブに掴みかかった男が、こめかみを撃ち抜かれて倒れる。
構えたライフルをおろしたグレンが、杖に掴まってぷるぷると震える。
「グレーン! すっごいじゃなぁい」
もうダメだと諦めていたエイミーが、はしゃいでグレンに抱き着く。
「エイミー、グレンが潰れちまうぞ」
クィンシーが、エイミーを宥めにいった。
「あぁ、ジェイコブっ」
倒れたジェイコブに飛びつき、ジュリエッタが抱き着く。
「ジュリーン、すまん油断した。助かったぞグレン」
ジュリエッタを抱きしめたジェイコブに、グレンが杖を振って応える。
「今度はなんだ?」
その音にロイドが、空を見上げる。
村の外れの方だろうか、黒いヘリが飛び立った。
見た事の無いヘリは、そのまま山を越えて飛び去って行く。
「何だか分からんが、嫌な予感がするな」
「そうね、急ぎましょ」
ジェイコブに、ジュリエッタも同意して、皆で山へ急いだ。
老人6人は雪山へ、そのまま入っていった。
緊急時に、思っていたよりも動けた。
その所為で、若い頃を思い出し、若返ったと勘違いして、はしゃいでいた。
当然のことながら、そんな事は気のせいでしかない。
興奮状態で無理をした老体が、いつまでも動くわけもなかったのに。
村が燃える頃、老人たちは、それを見る事も無く眠っていた。
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