毛玉りも


 



 午後8時ぐらいに、優作が母親の運転する自家用車でキャンプ用具一式と、バーベキューセットを持ってやって来た。


「お前ん家、ホント遠いよな」

「ほっとけ」


 コイツ、アパートに着いた早々、悪態をついてやがる。


「キャンプにはさ、後もう一人、麗美ちゃんの友達ちゃんも来るから。分かっていると思うが、くれぐれも粗相の無いように!」


 玄関先で俺にビシッと指をさし、鼻息を荒げ、上から喋るゴリラがいる。何やってんの、サッサと動物園に帰ればいいのに。良く見れば、あー、優作かだったか、


「わかってるよ!」

 キツめに言ってみた。コイツにマウント取られてるみたいで、まじムカつくから。


「たくっ、どんだけ楽しみにしてんだよ。しかもなんだよそのTシャツ、白地の胸元にでかでかと『本気』って、まんまか? まんまのお前の気持ちか?」


 やり返したった。つい喧嘩ごしになっちまったけどな。でもいつもの事だから、お約束みたいなもんだし、問題ナッシング。

 そんで最後は大体、ちんこパンチ合戦で終わるんだけど、これはこれで楽しいしな。


 

「喧嘩してんじゃないの優作!遊んでないで、アンタも手伝いなさいっ!たくっ……本当にゴメンね、上下君」


 お怒り中の優作ママン。荷物搬入の手を止めて仲裁に入って来た。優作もぶつぶつ文句を言いながら車にキャンプ用具を取りに行った。ププー、怒られてんの優作、ぷぷー、ウケる。


「上下君、いつもあの子と仲良くしてくれてありがとネ」


 般若の形相から一変、嬉しそうに目を弓なりにする優作の母親が、優しい瞳で息子の背中を見送っている。

 なんだかんだ嬉しそうなその様子から、息子とドライブデートのつもりだったのだろうと、勝手に想像してしまった。仲が良いな……羨ましいな。


「っいや! こ、こちらこそです」


 恐縮してしまい吃ってしまった。なにせ人ん家の母親だけど、とても大人で美人のママさんで、年頃の男子としては、緊張してしまうのも仕方がない。いつもの事だけど。

 

 母親か……。


 いいなぁ。俺にも当たり前に居てくれて、当たり前すぎて、居なくなって初めて気付いた、とても大切だったひと。


 今更なのに。


 例えば本を買いに、いつもの本屋に行ったら、ラーメン屋に代わっていたとか。

 久々にストレス発散にと、子供の頃から通っていたバッティングセンターに行ったら、更地になっていたとか。そんな詮無いことを考えてしまう。


 もう、過ぎたことなのに、どうしようもないことなのに……。


 優作親子が帰って、アパートはいつもの静寂に戻る。玄関に置かれたキャンプ用具を見つめ俺は、何故だかひとり心が渇いていくのを感じていた。


「ひとり、か……」

 俺には誰もいない。人ん家の幸せを見せつけられると、自分が惨めなほど孤独であると、再認識してしまう。


 グゥー。こんな時でも腹は減るのな。寂しん坊の俺を玄関でほっぽいて、努めてカラ元気で台所へと向かった。



「出来た、出来た。……!?」


 居間のテーブルにちょと遅めの夕食、タラコスパゲティを運んでいる……と!?

 居間のガラス越に見える駐輪場の隅っこに……。


 なんだアレ、何かいる? んっ、ある? ボールかな?


 そこに球体が転がっている。しかもサッカーボールぐらいの大きさの、そいで毛まみれ。


 ……なんだありゃ、デカめのマリモ?


 夕方、帰って来たときには無かった筈なのに……。気付かなかっただけなのか?

 だけど、原チャリを停めた時には確かに何も……。でも、今は丸い物体がそこにある。


 なんか怖い、しかも怪しい。


 取り敢えず怖いからって事で、玄関にあった箒を手に、確かめにいってみることにしたんだが。


 ……イザ近くで見てみると、マリモって言うか……毛玉りも? 三色の!? イヤ、こりゃぁ猫だ! 太めの『三毛猫』だ!!


「まっ……」


 まさかと思い、慌てて怖さも忘れ、触れてみる。よかった、あったかい。ちゃんと生きてる。


 最悪の事態を想像してしまった。


 俺はすぐさま抱きかかえて部屋へ連れ帰り、万年床に寝かせた。大人しい猫、されるがままだ。しかもそこそこデカくて重たい。腰をイワしそうになる。


 取り敢えず餌を食べられれば大丈夫だろうと、安易な考えで、台所をあさる。でも一方では、病院も有りだなと腹を括った。


 猫のエサ、猫のエサ、とブツブツ一人言を呟きながら台所を物色。インスタントばかりで碌なもんがない。カップ麺って食べれたっけ、なんて危険な考えも生まれる。

 んっ、あった、あったと手にしたのが、猫のエサならぬノンオイルのツナ缶だった。


 とりあえず、魚だからいいっか。


 ってな事でツナ缶を皿に開け、レンチンで軽く温める。

 部屋に戻ると、丸まったままの三毛猫はそのまんま、動く気配がすら無い。様子見で温めたツナ餌を目の前に置いてみる、すると……。


 ピクピクッと、伏せていた耳が回り出し、耳がピョンと飛び出した。目を瞑ったままだが顔をあげて、ちっちゃい鼻をスンスンしている。

 そして一瞬皿の前で鼻を止めて、目をカッ! と見開いた。口を開けたと思ったら、物凄い勢いでツナ缶を食べ始めた。


 ふぅー、なんとか大丈夫そうだな、うん。


 物凄くガッツく猫の食いっぷりに、ホッと胸を撫で下ろした。息災、息災、なにより、なにより。


 そうさ、俺は怖がりだ。誰かが死ぬのは、もう、見たくもない。理由なんてそんだけで、それが例え猫であっても。


 身近な人の『死』が、トラウマになっている。それまで『死』について考えた事もなかったくせに。

 死なんて別世界の話とさえ、思っていた。テレビの中の出来事や、映画のワンシーンぐらいにしか思っていなかった。


 家族が死んで、誰も居なくなって。それは違うと、まざまざと見せつけられて、俺は只々呆然とした。

 ……あの頃の俺はいつもの日常が永遠に続くと、本気で思っていた。ホント、笑っちゃうぐらいお子ちゃまだったんだな。

 

 死は突然にやってくる。前触れも無く、誰の元にも平等に。


 考えて欲しい。もしこれから一生、大好きな人に逢えない。逢いたい人に会えない、話しをする事も触れあう事も出来ないと、そう思ったら。そんなの耐えられるだろうか……。


 無理だ。


 俺には無理だ、頭がおかしくなりそうだ。


 俺は恐い。好きな人が死ぬのが恐い。


 ひとりで生きるのが、ホントは怖い。

 

 だから俺はもう、誰も失いたく無い。


「なぁ〜〜〜」


 一鳴きした三毛猫。いつの間にか近くに来ていた三毛猫は、目を細めて、ペロペロと俺の拳を、硬く握り締めていた拳を、そのザラザラの舌で舐めてくれた。


 まるで、心配でもしているように。


 優しい子だな。ちょっと泣きそうなんだけど。


 だけどこの子の、少しだけ痛くて優しい舌の感触に、人生ってこんなものなのかと、らしく無い感傷に俺は浸ってしまっていた。



♦︎♦︎♦︎




「……すみません。……このビラお店に貼らせて貰ってもよろしいでしょか?」


「あ〜。構わないヨ。……迷い猫、かい?」


「はい。飼い主も探していると思うので……。ありがとうございました」


 ペコリ頭を下げて店を後にする。もう何件目だろうか。はあー、深い溜息が出た。

 学校帰りに俺は最寄り駅の商店街で、ビラを貼らして貰っている。結構、しんどい。時給が欲しいくらいだ。

 あの三毛猫の所為である。って言うのも、あの三毛猫(オス)が凄く人懐っこい所為だな。毛艶けづやもいいし、爪もキレイにカットされている。

 こりゃ間違い無く飼い猫だろうって事で、こんな面倒くさい事している訳なんだが。


 それと、他の猫ともかなり違う身体的特徴もあるしな。


 イヤー、でも、マジでしんどいわ。まぁ、でも、こんな事ぐらいで飼い主が見つかるなら御の字だな。ハハ、ハハハ、ハハ、ハァー。


 乾いた笑いしか出んな。


 ……ゴメン、正直に言おう。

 そう自分に言い聞かせて置かない無いと、やってられないってのが本音だ。


 あーぁ、猫なんか拾わなきゃよかったなぁ。


 いささか老けた足取りで、トイチはまた歩き出す。しゃあ無いと何回もボヤいて、疲れた体を引きずるよう次の店へと向かった。



♦︎♦︎♦︎



 アパートに帰ると既に夜の10時を周っていた。


「あぁ〜。つかれたぁ〜。アルしんどぉ〜」


 文句を垂れ流し、万年床に倒れ込む。だって、しょうがないじゃん、本気でクタクタなんだから。


 布団の上でジッと動かず、逆ツタンカーメンになっている。すると、ソロォリと何ものかが近寄る気配がする。背中に、一つ、二つと合計四つの軽い点が慎重に登って来た。


 知らんフリをキメ込む。


 ゆっくりと俺の背中を歩いて肩越し、うなじ越しに耳元で、啜り泣きが聞こえてくる。


 「なぁ〜〜。なぁ〜〜」と、愛らしい声で。


 ヤバすぎ。メッチャかわいいんですけど、もう、メロメロなんですけどぉ。


 俺は犬好きだと思っていたけど、いや、しかし、侮るなかれ、猫もメッチャクチャ可愛い。

 その丸い顔に丸い体、何処を触ってもふわふわモフモフで、すんごく柔らかい。犬の筋肉張った堅い感じも嫌いじゃないが、猫の柔らかさといったらもう、心底癒されるって感じ?

 肉球、肉球、ニクキュー、ってこの子の足裏をグニグニしたら必死な形相で逃げられてしまった。


 むむむぅー、つれないのね。いけず。でも、猫拾って良かった。


「メンゴ、メンゴ。ごはん作るから、チョットだけ待ってて」


 少しだけ元気が出た。自然と優しい口調に変わってるし。

 多分だが、ホッコリ顔になってると思う。でもな、マジで可愛いんだもんよ、この子。


 猫なんだけど、誰かが一緒にいてくれるだけで、それだけで、こんなに幸せな気分になれるんだな。久々に思い出したよ。


 猫と遅い夕食をとっていたら……フと、大事な事を思い出した。


 ヤッバッ!……スマホ、マナーモードのままだった。


 劇画調の顔でトイチ君は、愕然とする。

 基本、学校では携帯電話はマナーモードにするって校則で決まっている。俺は歩きスマホの習慣も無いから、今の今まで気付かんかった。


 これじゃあ意味ないじゃん。俺の携帯番号入りのビラ。もうっ、俺のウッカリさんっ。ポカっ。


 気を取り直してスマホをチェックしてみる。すると、夕方から三件の電話が入っていた。


 ……マジか、絶対ぇ飼い主候補だろ、全部おんなじ番号だしな。……早ぇな。


 猫を見やるーー猫も金色の目で俺を見てるーー視線が交わる。


 ん〜、嬉しいような、寂しいような。ん〜、複雑な気持ちだ。

 マンジリともしない時間を過ごし……。えーい! ままよ! と勢いで電話してみた。



「……もしもし」アリャッ、電話ごしに可愛い声だこと。


「もしもし……。えー、あー、夕方ぐらいに、この番号に電話しました?」


「エッ……。あっ……。上下うえしたくん?」


「……えっ!」 アレッ、ビラには電話番号は載せたけど、名前は載せて無いんだけど、どゆこと!?


「……神代かみしろ 麗美れいみです。……急に電話してゴメンね」


 え、っえぇー! な、なんでまたっ!?


「……あの。……優作からLINEが来てて。上下くんが迷い猫を保護してしてるって……」


「う、うん。……そうだけど」ヤバイ、声がうわずる。


「あの……。ウチの子かな?って。昨日から帰って来てなくて、探したんだけど行方不明で……。それで……三毛猫のオス、だよね?」


 ーーまさかの相手で緊張する。心臓バクバク言ってるし。


「あっ、うん。そうだけど……。神代さん家の猫の特徴、教えてくれるかな?」

 

 そう俺は、この猫の他とは違う決定的な特徴を敢えて伏せて、ビラなり口伝えで探していた。だから神代さん相手でも、こんな質問をしていた。


 だって、間違いが起きたらこの子もホントの飼い主も、悲しい思いをするだけだからね。


「う〜ん。……かわいいのと、おメメがゴールドでクリクリしてて、お口がちっちゃくて笑ってるみたいにあがってて、耳も他のネコチャンよりちっちゃくてフリフリ動くのっ、フフっ。それと、顔もまん丸でホッペもプンッとしてるのよ。体もまん丸でね、フワッフワッなの。でも、でも、伸ばすとすんごいのびるのよ。手も足も短くてミックスなのにマンチカンみたいで、羽根タイプの猫じゃらしが好きで、恐いぐらい夢中になるんだよ。あと、あと、お腹の毛がとっても柔らかいの、アレはヤバいわ、時間を忘れてず〜と触ってられるもん。あっ、肉球、肉球嗅いでみた、すんごく良い匂いがするんだよ、ねぇ、上下くんも騙されたと思って嗅いで見て、香ばしい美味しそうな匂いがするから。あっあとね」

「ゴ、ゴメン。神代さん……。身体的特徴で凄く目立つヤツで、お願い出来るかな?」


 せきを切ったように、矢継ぎ早に話す神代さんに圧倒されてしまった。しかも、あまりにも猫愛がハンパなさ過ぎて、思わず話しを遮ってしまった。


「身体的特徴? う〜ん……あっ! 尻尾が二本っ!」


 それ一番目立つヤツッ! 脳内ツッコミしてしまったけど、まぁ、天然っぷりも神代さんも可愛いから、許せるよな。


「うんっ。それじゃあ、この子の飼い主は神代さんで間違い無いようだね」


「よかった〜。ありがとネ、上下くん」


「こちらこそ、本当に良かった。……このあと直ぐにでも引き渡した方がいいんだろうけど、こんな時間だし、もう一晩ウチで預かるよ」


 壁掛け時計を見ると、既に夜の11時を周っていた。


「うんっ、ありがと。お願いするネ。……それじゃあ、続きは明日また学校で」


「うん。また明日、学校で……っ、あっ、あの、ちなみにこの子の名前、教えて貰ってもいいかな?」


「あっ、うん。……『トヨフツ』、トヨフツって言い難いからヨッちゃんって呼んでるの……変わった名前でしょ」


「エッ、アッ、うん。少しだけ、そう思ったかな。でも、全然変じゃないよ……なんかゴメン」


「いいの、いいの、その子私が生まれる前から家にいたから……」


 はぁ? 生まれる前って、この猫、歳幾つだよ。猫を見ると全くの知らん顔で、欠伸あくびしてるし。


「それじゃあ、明日学校で」

「……うん、それじゃあ」


 電話を切った後、知らず知らずにあがっていた肩が、ガクンと落っこちた。


 メチャメチャ緊張した。だって、あの『神代 麗美』だぜ! 学校一のアイドル様だぜ! 普通にドキドキした、今も心臓ヤバい。


 それにしても、イメージと違ってとっても話しやすい子だったな。

 優等生で美人さんだから、もっとお高くとまっていると、勝手に想像していたから。なんか肩透かしを食らった気分だ。

 でもなんだな、全然違かったな。あの感じなら本当に、男女、学年関係無く、先生達にも人気があるのも頷けんな。


 しっかし優作のヤツ、バカのくせに神代さんと下の名前で呼び会う仲だなんて……羨ましすぎるだろっ! なんかムカつく、呪いでもかけとこ。


 優作が犬のうんこを踏みますように〜。テクマクマヤコーン。 はっはぁー、呪いをかけたったぜ、ざまぁー。ウェイ、ウェイッ!


 だけど優作、俺も神代さんの携帯番号ゲットしたったぜ、ヒァッハァー! ……って、俺、なんとなく切なく感じるのは、気の所為だろうか。

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