第7章『たまにはゆっくり、旅館でいい気分♪/吸血女帝ココアの章』

第238話 雨の中、千夜葉は笑う

 ----ぴちゃぴちゃ、ぴちゃ。


 激しい雨が降る中、1人の少女が傘を差さずに、走っていた。


 その少女の名は、花弁千夜葉。

 つい先ほどまで幽鬼となっていた、【鍛冶職人】の冒険者である。



 彼女が急いでいる理由は、いくつかあった。


 気を失ったと思っていたら、数日が経過していた事。

 財布はあれども、携帯電話スマホを持っていなかった事。

 そしてなにより----ルトナウムの秘密を知ってしまった事。


「(政府は、あのルトナウムを使って冒険者特性を付与した兵器開発を勧めたい、などと言っていたけど、とんでもないっ!)」


 彼女の言う"とんでもないっ"とは、"ルトナウムにそんな特性がない"という意味では、ない。


 ルトナウムは、ありとあらゆる物の価値を変質させてしまう、恐ろしき物質である。

 分かりやすく例えるならば、ただの鉄くずを金に変えると言われる、錬金術の到達点として名高い『賢者の石』の上位互換、とでも言えば良いだろうか。

 ルトナウムを正しく使えば、ありとあらゆる物に、あらゆる属性へと変質させることが出来る。


 それこそ、【剣士】の特性を持った機関銃を作って、何でも一刀両断の銃弾を放つ最強機関銃を生み出したり。

 あるいは、【重騎士】の特性を持った戦車を作って、傷を治しながら向かって来る、無敵のゾンビ戦車を作ったり。


 人間という、ただ猿から進化しただけの生物を、魔物を簡単に倒す怪物へと変えてしまう、冒険者特性。

 そんな冒険者特性を、ただ守るために殺す用途を付与された武器に使えば、どれだけの軍事改革がなされるか、想像もつかないだろう。


「(実際、軍事産業は大きく変化するでしょうね)」


 問題は、技術的なことではない。



 倫理的なこと、である。



 あのルトナウムには、倫理的に、致命的な欠陥を抱えている。

 それこそ、人間である以上、その倫理的な欠陥を知ったからこそ、花弁千夜葉は走っているのだ。


「(電話番号は、防衛大臣さんとの電話番号は携帯電話の中! あるいは、机の引き出しの名刺入れを見ないと!)」


 彼女は、政府から、もっと言えば防衛大臣から、1つの依頼を受けていた。

 ルトナウムの解析と、ひいてはそのルトナウムを用いて冒険者特性を付与した兵器開発が出来ないか否かの相談。

 

 彼女は快諾し、防衛大臣とのホットラインを、名刺としてもらい、携帯電話に登録した。


 そして、ルトナウムの真実を知って伝えようとしたところ、気が付いたら携帯電話を持たない状態で、外で気絶していたのである。


 彼女は、防衛大臣との電話番号を、頭の中に記録していなかった。

 携帯電話に入れといたからという理由で、頭の中に一切記録していなかったのである。


 早く、防衛大臣に、ルトナウムの危険性を知らせなければ、ならない。

 しかし、そこいらの公衆電話や、お店の固定電話を借りても、防衛大臣とのホットラインの電話番号は知らず、かといって政府さんに直接「防衛大臣さんと、連絡したいんですけど~!」と言われても、繋がる訳もない。

 故に彼女は、事務所へと、名刺がある事務所に走っていた、という訳なのだ。




「しかし、雨がキツい!」


 彼女は、若干キレながら、走っていた。

 雨はそんな彼女の機嫌などお構いなく、どんどん勢いを増していく。


 タクシーを拾おうとした彼女であったが、ひどく降る雨のせいで、タクシーが摑まる気配は一切なかった。

 急いで伝えたかったのに、5分経ってもタクシーが摑まりそうになかったため、彼女はこんな雨の中、走る羽目になっていた。


 雨はどんどん降ってきて、彼女の目の前はかろうじて見える程度だ。

 急いでいるのに、視界は最悪、おまけに携帯電話もなくてテンション絶不調なのである。


「もう! なんで雨がこんなにっ!」


 ----どんっ!!


「きゃっ!」

「わっ、と!」


 視界不良の中、走っていた千夜葉は、目の前の人物に気付かなかった。

 彼女は傘を差して、ゆっくり歩いていた貴婦人とぶつかって、2人は雨の中、道端で倒れてしまう。


 傘を差したまま倒れる姿も絵になる貴婦人と、ずぶ濡れで倒れる花弁千夜葉。


 対照的な2人は、雨の中、そうやって邂逅を果たすのであった。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「いたたっ……!」


 ゆっくりと起き上がる千夜葉を見て、傘を拾った貴婦人は即座に立ち上がって、手を差し伸べる。


「ごめんなさい、雨が強くて見えなかったみたいだね」


 「立てる?」と優しく手を差し伸べられ、千夜葉も「すみません」と手を取って立ち上がる。


「すいません、ちょっと急いでて」

「失礼だけど、雨の中を傘を差さずに全力疾走ってのは、あんまりオススメしないけど? 濡れるし、体力が奪われるだけだし」

「いや、ほんと、急いでて……」


 今もなお駆けだそうとする千夜葉に対し、貴婦人は心配そうな顔をしながら、持っていたサイドバックから折り畳みの傘を差し出した。


「良かったら、使います? 実は私、念のためにいつも持ち歩いてて」

「~~!! 助かります!」


 千夜葉は善意に感謝し、貴婦人から折りたたみ傘を受け取ると、そのまま走り出そうとして----



「でも、よっぽど嬉しい事があったのね」


 

 そういう、貴婦人の言葉が何故か、気になってしまった。


「え?」

「あら、やだ。急いでるんじゃないの? そんな、"とびっきりの笑顔をしてるのに"」


 貴婦人に言われて、千夜葉は恐る恐る、水たまりに映る自分の顔を覗き込む。


 水たまりは鏡とは呼べないくらい、薄汚れており、千夜葉の顔をくっきり映し出してはくれなかった。

 だけれども、はっきりと、ただ一点だけを千夜葉に伝えていた。


 ----"笑っていた"。


 彼女の顔は、彼女が分かるくらい、頬を緩ませた、とびっきりの笑顔であった。


「うそ……なんで……」


 千夜葉は、自分の顔が信じられなかった。

 借りた折りたたみ傘をそうそうに手放し、自分の顔を手で確認してしまうくらい、信じられなかった。


 今、彼女は政府に恐ろしい報告をしようとしている。

 ルトナウムは倫理的にヤバイ代物であり、あれを軍事転用する前に、ルトナウムを全て回収して封印すべきだと、そういう鬼気迫った口調で告げようとしていた。


 断じて、このような笑顔をする場面ではないはずなのだ。


「(なんで? それなのに、なんで私は笑ってるの?)」

「きっと、良い事があったのね」


 優しく、落とした折りたたみ傘をわざわざ拾ってくれた貴婦人の言葉が、千夜葉の耳に強く響く。


「私ね、笑顔って、とってもいい顔だと思うの。涙は悲しい時も、嬉しい時も流れちゃうけど、笑顔だけは嬉しくないと出ないんだもの。

 自分では気づいてないだけで、あなた、なにか嬉しい事があったんじゃないのかしら?」

「いや、ちがっ……! これは、そんな事じゃ……」


 否定した。

 でも、千夜葉の顔を見ながら、貴婦人は優しく笑う。


「じゃあ、きっと、あなたが気付いてないだけで、身体はもう嬉しいと感じてるのね。

 だって、そんなとびっきりの笑顔、作っているだなんて到底思えないわよ?」


 貴婦人の言葉に、千夜葉の頭は困惑する。


 ----自分は嬉しいと、そう感じてるのか? こんな風に、自然と顔に出るくらいに。

 ----いや、そんなはずはない。

 ----なにせ、自分は、今から政府に、大事な話をしにいくんだから。

 ----じゃあ、なんで自分はこんなにも笑顔なんだ?


 分からなかった。

 なんで、自分がこんなにも、笑顔なのかが。


 千夜葉は考えて、考えて、深く深く考えて。



 ----もしかして、私は、嬉しいのかしら?



 そんな結論に達していた。


 ----自分じゃ、意識してしなかっただけで、本当は嬉しかった?

 ----倫理なんて、そんな理屈はどうでも良くて、ルトナウムの可能性に、【鍛冶職人】として嬉しいと感じていた?

 ----だからこそ、こんなにも笑顔なのか?


 そうだ、そうに違いないのだ。

 千夜葉がこんなにも笑顔なのは、ルトナウムの可能性にワクワクしていたから。


 倫理なんてのは、本当はどうでも良かったのだ。

 ルトナウムがあれば、自分はさらに凄いものを作り出せると、知らず知らずのうちに、千夜葉の身体は気付いていた。

 だからこそ、こんなにも笑顔になっていたのだ。



「あら、雨も止んだようね」


 ちょうど良く、自分の笑顔の理由と、本当にやりたいことを、千夜葉が気付いたその時。

 あの鬱陶しく降り続いていた雨も、嘘のように止んで、お日様がこちらを覗かせていた。


「えぇ、気持ちが晴れ晴れとした気分です」


 雲間から見える虹を見ながら、千夜葉はそう言う。


「雨も止んでますので、この傘、返しますね」

「いえいえ、お役に立てず、申し訳なかったわ」


 折りたたみ傘を受け取りながら、貴婦人は申し訳なさそうにそう言い、


「いえ、こちらこそ。折りたたみ傘を落としてしまいましたし、ぶつかったお詫びもしたいんですが、ちょっと用事がありまして」


 謝罪をしながら、千夜葉はそう告げる。


「そう、急いでいるなら、これをどうぞ」


 貴婦人はそう言って、セカンドバックから1枚の名刺を千夜葉へと差し出す。


「私の名刺です。あっ、私の名前、【スカレット】と言います。電話番号も書いてますので、なにかありましたら是非、ご連絡を」

「えぇ、必ず」


 「それでは!」と、千夜葉はそう言って、事務所に向かって走っていく。


 足取りは、軽かった。

 雨が止んだから、という理由ではなく、今の彼女の気持ちが晴れやかだったからだ。




 千夜葉は事務所に辿り着いて、ルトナウムの倫理的な危険性を隠し、ルトナウムを用いた軍事転用をワクワクした声と共に引き受けると告げたのは、それから20分後の出来事であった。

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