第1話・天園神楽《あまぞのかぐら》【ネット通販】

 私立・大翔間高等学校に通う一年A組の女子・天園神楽は、気がつくと見知らぬ場所で座り込んでいた。


(……えっ?)


 一瞬前までは教室で席に着き、国語教師の退屈な授業を聞き流しながら、ノートの片隅に落書きをしていたはずなのに、今はプラネタリウムに似た淡く光る半球状の部屋にいたので

ある。


「ちょっと、どこよここっ!?」


 神楽の左後方からヒステリックな声が響いてくる。見れば社長令嬢の金家成美かねやなるみが、訳の分からない事態に混乱して髪を振り乱していた。


(あっ、みんないるんだ)


 淡く光る部屋の中を見回し、一年A組の全員・三十二名が揃っているのに気がついて、神楽は少しだけ安堵する。


(でも、先生はいないな)


 定年間近の禿げた国語教師の姿が見えず、不思議に思って首を傾げる。

 それから、改めてこの状況について考え込もうとしたその時、ガリガリと石の削れる音と共に壁の一部が開いて、眩い光が差し込んできた。


(何っ!?)


 驚き身構える神楽達の前で、部屋の中に松明を手にした厳つい鎧姿の騎士達が入ってくる。

 そして、メイド服を着た美しい女性達を引き連れて、その青年は現れた。


「イケメン……」


 神楽の口から思わず蕩けた声が漏れてしまう。それくらい絶世の美男子だった。

 波を打つ黄金の髪、肌はシミ一つ窺えないほどに白く、青い瞳は宝石よりも綺麗に輝いている。

 映画どころかアニメの中から抜け出てきたような非現実的なまでの美青年に、ざわめいていたクラスメート達も思わず見惚れて黙り込んでしまう。

 そんな神楽達に向かって、美青年は柔らかく微笑みながら名乗った。


「異世界アースの民よ、よくぞ我らの招きに応じ、この世界に来てくれた。余は白翼帝国の皇帝・アラケルである」

(イケボッ!)


 神楽は思わず叫びかけた口を慌てて塞ぐ。それほどまでに青年の声は美しかった。

 具体的に言うならば、一クールに何本も主役級のキャラを受け持つ超人気声優のような声質で、オタクな神楽の耳にはドストライクすぎた。


(『耳が孕む』はマジだった!)


 あまりの感動に、美青年こと皇帝が何やら説明していた、重大そうな話も頭に入ってこない。

 彼が日本語でも英語でもない、全く未知の言語で喋っているのに、自分達がそれを自然と理解している事さえ気がついていなかった。


「――という訳で、其方達の力を貸して貰いたいのだ」

(……ヤバッ、何だっけっ!?)


 皇帝の美声が一旦止まって、ようやく正気に戻った神楽は、慌てて話の内容を思い出す。


(ようはこのイケメンが治める国を救うために、私達が異世界に召喚されたって事だよね?)


 漫画やアニメで手垢がつくほど使い尽くされてきた話なので、頭では理解できる。

 だが、まさか自分の身に起きるとは思ってもいなかったので、どうしても感情が追いつかず混乱してしまう。


(急にそんな事を言われてもな……)


 クラスメート達の顔を窺ってみるが、皆も神楽と同じように困惑した表情を浮かべて、どうしたらよいか分からず囁き合っていた。

 そんな彼女達に向かって、皇帝はあくまで優しく語りかけてくる。


「魔法陣の書き換えなどに時間が掛かるため、直ぐにとはいかぬが、一年後には其方達を元の世界に帰すと約束しよう。だからそれまでの一年間、どうか力を貸しては貰えないだろうか」

「あの」


 再び頼み込んできた皇帝に向かって、真面目な学級委員長・光武英輝みつたけひできが手を挙げて話しかけた。


(うおっ、委員長ってば勇気あるな)


 いかにも西洋の騎士といった、金属鎧をまとった屈強な男達に囲まれた状況で、皇帝なんて超偉い人に話しかけるとは、度胸があるというか、空気が読めないというか。

 感心する神楽を余所に、英輝は堂々と疑問を口にした。


「力を貸してくれと言われても、俺達はただの学生なんですが?」

「むっ、自覚が湧いていないのか?」


 むしろ驚いた顔をした皇帝を見て、神楽はピンときた。


(あっ、これ私達に何か特殊能力が生えてくる展開かな?)


 そう考えた瞬間、神楽の前に光る窓のような物が現れた。


「うわっ!?」

「――ッ!」


 驚いて仰け反る神楽に対して、周囲の騎士達が一斉に腰の剣に手をかけ、険しい視線を飛ばしてくる。


「ひっ……」

「止めよ! 客人に対して無礼であろう」


 竦み上がる神楽を見て、皇帝は騎士達を鋭く一喝して、剣から手を離すように命じる。

 そして、腰を抜かした神楽の前まで進み出て、膝を折り手を差し伸べてきた。


「余の説明が遅れたせいで、不快な思いをさせてしまい申し訳ない。どうか許して欲しい」

「は、はい……」


 中身までイケメンとか惚れるっ!――と叫びそうになったのを必死に堪えながら、神楽は皇帝に手を引かれて立ち上がる。


「其方が今出した光のように、アースよりこの世界に召喚された者には、異世界の神より異能が授けられるのだ」

「異能だって?」

「あっ、俺も何か使えそうな気がしてきた」


 最初は訝しんでいたクラスメート達も、それがあると自覚した瞬間、まるで呼吸をするくらい自然に、不思議な力が漲ってくるのを感じ取ったらしい。

 そんな彼らに対して、皇帝は穏やかに、だが素早く釘を刺してくる。


「客人達よ、強大な異能を授かって心躍るのは分かるが、それを振るうのは控えて、まずはどんな力なのか、余に教えてはくれないだろうか。異能は本当に強大で、人など容易く殺せてしまうモノもあるのだ」

「たとえばこんなのか?」


 粗野な声が響くのと同時に、巨大な火柱が部屋の中に現れた。


「ひっ!」


 神楽は悲鳴を上げて皇帝の腕にしがみつきながら、掌から火柱を生み出している人物を見て、盛大に顔をしかめた。


(うげっ、よりによって火野っ!?)


 校則無視の金髪にピアスという、いかにもヤンキーな格好の男子・火野竜司ひのりゅうじ

 どこぞのチームを潰しただの、ヤクザから誘われているだの、黒い噂が絶えない彼に、何十人もまとめて焼き殺せそうな力が与えられるなんて、最悪としか言い様がない。

 そんな恐怖に震える神楽に反して、皇帝は冷や汗の一つも見せず、淡々と竜司に頷き返した。


「その通り。我らも剣や弓の鍛錬は積んでいるが、其方達の強大な異能を前にすれば、馬とアリほども差があろう」

「はっ、そいつはイイ」


 竜司は火柱を生き物のように操りながら、愉快そうに口の端を吊り上げる。

 彼がその気になれば、皇帝を含めたこの場の異世界人を皆殺しにできると確信したのだろう。

 だが、それを咎める声が響く。


「火野、悪ふざけはその辺にしておけ」


 委員長の英輝だ。その手にはいつの間にか光り輝く剣が握られている。

 これが彼の異能であり、おそらくはロボットアニメのビームソードのように、人間など紙よりも簡単に斬り裂けるのだろう。

 そんな英輝の威嚇に対して、竜司は嫌そうに顔をしかめつつも、掌から生み出していた炎を消した。


「はっ、こんな時まで真面目かよ」


 英輝の力を恐れたというよりも、面白そうな異能おもちゃに慣れていない内に、喧嘩をするのは勿体ないと考えたのだろう。

 ともあれ命の危険が去って、神楽はほっと胸を撫で下ろす。

 それから、皇帝の腕にしがみついていた事にようやく気がついて、慌て飛び離れた。


「うわっ、すみません!」

「よい。ところで、其方の名は?」

「か、神楽です。天園神楽」


 反射的に答えた神楽に、皇帝は優しく微笑んで尋ねてくる。


「では神楽よ、まずは其方の異能を教えては貰えないだろうか」

「わ、私のっ!? え~と……」


 皇帝に頼み込まれて、神楽は改めて自分の力に意識を向ける。

 すると読み込んだ本のように、スラスラと異能の詳細が浮かんできたのだが、逆にそのせいで返答に困ってしまった。


「あの……『ネット通販』です」

「ねっとつうはん?」

「やっぱり分からないですよね」


 首を傾げる皇帝を見て、神楽は苦笑を浮かべる。

 騎士達の鎧姿などから察するに、ここはいわゆる中世ファンタジーな世界で、文明レベルも十三世紀前後なのだろう。

 当然、インターネットや通信販売という概念が存在するわけもない。


「あの、遠くにいながら買い物ができて、商品を運んできて貰えるサービスというか……」

「ふむ、危険はなさそうであるし、一度実演して貰えるだろうか?」


 神楽のしどろもどろな説明でも大体分かったらしく、皇帝はそう頼み込んでくる。


「あっ、はい」


 イケメンのお願いを断れるはずもなく、神楽が手をかざすと光る窓が現れて、そこに普段使っている通販サイトのトップ画面が映し出された。


(これ、どうなってるんだろ?)


 まさか異世界までネット回線が繋がっているのか、スマホやタブレットと同じように触れるだけで、商品画面が素早く切り替わっていく。


(使い方は分かるのに、原理は一切不明って不気味だな……)


 とはいえ、本物のスマホやタブレットとて、どんな原理で動いているのかを正確に把握している者など、電機メーカーの技術者くらいであろう。


(高度に発展した科学は何ちゃらって言うしね)


 神楽はそう開き直って深く考えるのを止めて、好きな漫画を数冊カートに入れていく。


(おっ、『壬生WOLVES』の新刊も出てるじゃん! とりあえずこれでいいかな)


 見守っている皇帝やクラスメート達を待たせても悪いので、さっさと購入画面に進む。


(料金は私の銀行口座から引かれるのか。どういう仕組み――いや、考えるのは止めよう)


 再び思考を放棄して、購入確定のボタンを押す。

 すると、目の前に次元の穴らしき謎の渦が現れて、そこから段ボール箱が落ちてきた。


(中身は……よし、ちゃんと入ってる)


 神楽は段ボール箱の封を解いて、中に入っていた漫画を見て胸を撫で下ろす。

 そんな彼女の前で、皇帝が驚きと好奇心の交ざった表情を浮かべながら、一冊の本に手を伸ばした。


「失礼する」

「ちょっ、それはっ!?」


 本番こそないが男同士のキスシーンはある、腐女子向けの漫画を取られて、神楽は盛大に慌ててしまう。

 こんな時にそんな物を買うなよ――とクラスメート達が呆れ果てるなか、取り返す事もできず不審な動きを繰り返す神楽を気にもせず、皇帝は注意深く本の表紙を見つめた。


「何と鮮やかな色合いか。それにこれほど手触りの良い紙を使っているとは、とても高価な代物ではないのか?」

「いえ、そんな高い物じゃ……」

「ほう、これほどの書物が高価ではないと」


 神楽が素直に答えると、皇帝はまた驚いて目を丸くしながら、単行本のページをめくり始めた。


「なるほど、文字だけでなく絵も加えて、物語を紡ぐ書物なのか。見慣れぬ絵柄ではあるが繊細で美しい。文字が読めぬのが非常に残念だ」

(あっ、普通に話せていたけど、日本語だから読めないのか)


 皇帝の反応から、神楽は自分達が異世界語を話せていた事に今さら気がつく。

 そんな彼女を余所に、皇帝は単行本を静かに閉じた。


「実に興味深い。暫し貸して貰えるだろうか」


 皇帝はそう言って単行本を懐に仕舞ってから、神楽の手を握り締める。


「神楽よ、其方と出会えた幸運を、余は心より嬉しく思う」


 オタク趣味でクラスでもちょっと浮いていた少女が、絶世の美青年に手を握られて、まるで告白のような甘い台詞を囁かれたら、どうなるかなど言うまでもない。


「……はい♡」」


 神楽は目にハートマークを浮かべながら、腰が砕けてヘナヘナと座り込んでしまう。

 あいつチョロすぎる――とクラスメート達がまた呆れ果てるなか、皇帝は他の生徒達に異能の詳細を尋ね始めるのだった。

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