幕間 カゼフキ砦
城壁に足をかけ、一人佇む女性がいた。風が吹き、その黒髪がなびく。その目が向く先は、ここからは見えぬタマガキの郷の方だ。
今世西部最強と呼ばれる防人、御月は、先日魔物より奪取したカゼフキ砦に待機し、魔物とのにらみ合いを続けていた。
後ろからは城塞を堅固にしようと励む兵士たちの喧騒が聞こえる。特務隊しかいなかったこのカゼフキ砦には、後方からの支援部隊が訪れていた。今、彼らを中心に魔物の手により荒廃した城塞の修復を行なっている。
今現在、
しかしその指揮官級が打って出たのだから、作戦途中で混乱を招き進軍が緩んだ。あの空想級魔獣”
一時停止されたこの仇桜作戦。御月は、これが再開されることはないだろうと踏んでいる。おそらく、先に山名が提案したカイト北西大ダンジョンの攻略を目的とした作戦に切り替えるはずだ。もう旧カムナギの郷奪還を目指した進軍の続行は不可能だろう。
作戦が凍結されたのは、空想級の存在でも、発案者である奉考の死が理由でもない。それは、後方に憂いが生じたため。
血脈同盟。
彼女も一度兵刃を交えたことのある、危険な集団だ。そのような危機に、自らが動くことのできぬ歯がゆさを彼女は感じている。このような状況を招きたくなかったからこそ、奉考はこの作戦を立てたのかもしれない。今となってはわからぬことだが。
城壁の下から誰かが走ってくる音。その後跳躍し、御月の横に立つ。その気配は、彼女にとって慣れたものだった。
「久しぶりっす。御月」
金髪碧眼。胸元に大きなクマのマークがあり、黄色を主体とした服を着ていて、体つきはがっしりとした、防人の姿。
「......アイリーン。主力はカゼフキに入るのか?」
「そのまま各地に展開中っす。けど、私はここに入るっすよ。よろしくっす。御月」
両手を腰に当て、アイリーンが御月に微笑みかける。吹き荒れ続けている風に、御月の髪とアイリーンのリボンがなびいた。
心強い味方が増えたと、御月が内心喜ぶ。もしまた空想級がやってきても彼女には勝つ自信があったが、それが大規模戦力を連れているともなれば話は別だ。兵員、そして支援をする防人が必要となる。そのような事実を鑑みると、アイリーンの存在は大きい。
そう考えながらも、彼女はまだタマガキの方を見つめている。
その目が向く先に気づいたアイリーンが、御月に聞いた。
「心配っすか?」
御月が少し俯く。彼女には、タマガキに守りたいものが多いのだろう。拳を強く握っていた。
「あぁ。正直なところ心配でならない。血脈同盟は、あまりにも危険だ」
アイリーンが御月の様子を察し、表情を少し変える。
「確かにできることなら私も戦いたいっすけど......きっと大丈夫っす。秋月ちゃんに、玄一。第四踏破群。それに......あの甚内がいるっすよ?」
御月がその言葉を聞いた後、間を置いてから呟いた。
「彼らに関しては心配していないさ。ただ、玄一。私は彼のことが少し心配だ。彼には、憎悪の他に戦う理由がない」
それを聞いたアイリーンは少し上を向く。彼女が思い浮かべているのは、戦略級魔獣がタマガキに肉薄したあの日。確かに、あの時の彼の姿は恐ろしかった。けれど、彼女は信じている。
「御月は心配しすぎっすよ。戦う理由なんて、なんでもいいっす。ご飯食べたい。強くなりたい。楽しく生きたい。守りたい。そんなんでいいっすよ」
「それは君のことだろう。アイリーン」
その返答を聞いたアイリーンが笑った。その後、山名から聞いた、玄一が大侵攻を最初に受けた郷、シラアシゲの郷出身という情報を頭に浮かべながら、続ける。
「確かに憎悪だけだったかもしれないっすけど、きっとタマガキに来てからの日々や出会いは、彼を少しは変えることが出来たんじゃないっすか? これは御月のおかげでもあるっすよ。だから、みんなを信じるっす!」
御月が少し微笑んだ。しかし、信じる、という言葉を聞いた御月の息がほんの少しだけ、荒い。アイリーンはその様子に気づきつつも、彼女の返事を待った。
御月は答えない。彼女の強く握っていた拳の力が抜けた。その後、彼女が漏れ出る様に呟く。
「私は彼らを信じることにしたい。だけど......信じても報われないものもある」
御月が俯いた。彼女が見据えるのは、暗い過去。アイリーンは言葉をかけられない。彼女は、知っているから。知った上で、自分に救うことはできないと知っているから。
だから、彼女にはただ明るく振舞うことしかできない。
「御月。今日はみんなの勝利を祈って一献いかがっすか〜? たまには御月も一緒に飲むっすよ!」
アイリーンが御月の背中をバシバシ叩きながら満面の笑顔を見せる。それに気づいた御月が先程までの暗い雰囲気を霧散させ、アイリーンの方を見て彼女に笑いかけた。その後タマガキを見据えるのをやめ、後ろを向く。
「ではアイリーン。それはこいつらを片付けてからにしよう」
空より獲物を見つけるがごとき大鷹の目。彼女が見る先は、カゼフキ砦に偵察に訪れたであろう戦略級魔獣と、その一団。まだ城塞から離れてはいるが、迫ってきている。敵を前にして、彼女の意識はすでに切り替わっていた。
「了解っす。いくっすよ」
アイリーンはかつてのように、巨大な熊には変化しなかった。彼女の頭部に熊のものに似た耳が生え、腕に金色の体毛が生えていく。それと同時に鋭い爪が生えた。御月の月の霊力よりも少し鮮やかな、金色の霊力が迸る。
御月がその手に月華を。アイリーンが咆哮し、城壁を蹴って飛んだ。
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