第百八話 幾望の月(2)

 


 夕陽は沈み、初夏の空に星の海。煌々と光り輝き満ちる月は、星に囲まれながらもどこか孤独だった。


 飲みに行く、と秋月は行っていたが、どこへ行くのかは聞いていない。ただ装備を着たまま飲みに行くのは嫌だと秋月が遠回しに言ったので、一度解散し、酒保の前で集合することになった。


 俺もタマガキの装備である黒の制服から着替えようと、私物のある割り当てられた個室に戻ることにした。秋月と御月は、どうやらそのまま何処かに出かけたようで、秋月が御月を無理やり引っ張っていっていた。......御月が、子供に付き合わされているお姉さんにしか見えない。口が裂けても言えないけど。


 カゼフキ砦の上部を訪れて、施設に入り込み、自分が寝泊まりする個室の中に入る。タマガキからカゼフキに来た時、背嚢に入れられる物資には限界があったので、服とかはあまり持ってきていない。それに、戦いに赴いていない時でも、めんどくさがって常に制服を着ていた。


 なんとなくだが、前にアイリーンと御月が俺の家に突如として訪れた時のようなことが起きそうな気がしなくもない。そんな中に使い込まれた制式装備を着てきたら、とんでもなく浮く気がする。帯刀してるし。


 棚の中を開ける。何となく、夜冷え込んだりすることがしなくもないかなと、タマガキから送ってきてもらった紺のコートを手に取った。血浣熊の素材で装備を仕立て屋のテイラーに作ってもらった時に、ついでに買っていたものだ。でかいし、これ一着着てれば問題ないだろう。そういえば、あそこにずっと顔を出していない。タマガキの装備は十分性能の良いものだが、魔獣の物には劣る。改造でもしてもらうか。


 出かける前に、鏡の前に立つ。


 付けっぱなしのままで、外すのを忘れていた鉢金に気づいた。兄さんが作ってくれたこの鉢金は、物凄く軽い。強く縛った布帯を解いて外した後、コートを羽織り、襟を正した。


 外へ出る。






 酒保の前へ訪れると、秋月と御月の姿はなく、代わりに一人の男性が立っていた。話を聞くと、どうやらこの前御月と訪れた劇場の方に二人はいるらしい。もしかして、あの上階のスペースにいるのだろうか。そのことを伝える為に態々待っていた彼に礼を述べて、劇場の方へ向かう。


 娯楽施設を集めたこの区画は、多くの人で賑わっていた。笑い声が響き、酔っ払って道端でそのまま寝ている奴もいる。それを、同僚と思わしき兵員が肩を貸して、介抱しようとしていた。あ、俺の姿を見て、介抱していた兵員が酔っ払った奴を引っ叩いている。焦った表情をし汗をだらだら垂らしていたので、手を振り気にするなと伝えておいた。一応、軍隊だしな。上官に見られたらそりゃ焦るよ。


 しかし、飲みに行く、と言われたので、てっきりここらの店に入るのかと思っていたが、違うようだ。......おそらく庶民的なこのような居酒屋には入らないのだろう。コート着てきてよかった。


 彼女たちに会いに行く。劇場の前へ、辿り着いた。


 上演していた時はあんなにも人で溢れていたのに、今では人っ子ひとりいない。代わりに、燕尾服を着ている女性が立っていた。この時点で、さっきの居酒屋の給仕の人とは違う。


「ようこそお越しくださいました。新免様。秋月様がお待ちです。こちらへ」


「あ、はい」


 後頭部にお団子を作った、背が俺より少し低い程度の女性が、案内をする。劇場の扉を開け、この前俺と御月が行った劇場の上階部分の方へと、案内されていった。知っている場所ではあるが、秋月が関わるこの状況。油断できない。


「こちらです。では、ごゆっくり」


 そう言った女性が、扉を開けて、俺を招き入れた。







「ん! 玄一! よくきたわね!」


 はっはっはー!と笑いながら、秋月が両手を腰につけて、高らかに宣言する。秋月はいつも通り元気一杯だったが、端麗なその姿に、返事を返せなかった。


 そして、バーカウンターにもたれ掛かるように腕をつけていた御月が、こちらを見ている。横髪がゆらりと落ちて、彼女と目が合った。純真無垢にこちらを見つめる月白の瞳に、少しドキッとした。



 二人とも、普段の戦闘を想定した格好とは違う。略礼装......せみふぉーまるな格好と言えばいいのか、全く別の服を着ていた。めちゃめちゃ堅いっていうわけじゃないんだけど、正装に近いというようなデザインだ。



 テンションが上がっているのが、手提げ鞄をカウンターにほっぽり投げて、うりうりと秋月が近寄ってくる。

 うるしあかのように鮮やかな色をしたワンピースを、彼女は着ていた。ちょうど膝下が隠れるぐらいの丈のスカートを、揺らめかせている。それと、胸元につけられた更に濃い朱の造花が、彼女の美しさを際立たせていた。


 彼女の特徴的な、紅葉の濃淡を併せ持つ髪の毛と共に、赤色を基調としたコーデが映える。今の格好の彼女を見て、子供扱いをするものはいないだろう。そう思えるほどに、整っていた。


 彼女がスカートの裾を摘んで、少し持ち上げる。


「ん、どうかしら」


 片目を閉じながらこちらを見つめる彼女は言葉足らずだったが、彼女が求めているものはすぐに分かった。気恥ずかしいが、そんな俺の感情など、妨げにしてはダメだろう。しかし、前みたいにやらかしてはならない。


「凄く綺麗だし、似合っている。この服は秋月が選んだのか? センス抜群だな」


「......ん。えへへへ。そうでしょ」


 彼女がこちらを見上げるようにニコーと笑った。その後、プイッと振り返って、御月の方へ行く。彼女の後を追って、バーカウンターの方へ行った。


「ん、玄一。御月の服も見てちょうだい。あの後、二人で選んできたのよ」


「そうなのか」


 御月の姿を改めて見る。彼女は秋月と同じように、ワンピースを着ていた。


 しかし秋月の朱色のワンピースのように、煌びやかで派手なものではない。控えめに、レースがあしらえられた黒色のワンピースだ。すらっとしていて、背の高い彼女のスタイルに良く合っている。落ちついた上品な雰囲気を醸しながらも、どこかハリのある、そんな格好だった。御月はわざと視線を俺たちから逸らすようにしながら、コップに注がれたお茶を飲んでいる。


 ......本当にコートを着てきて良かった。これでは足りないかもしれないが、それでもまだマシだ。かろうじて釣り合うかもしれない。もし俺が帝都出身とかいじんだったら、彼女たちと同じレベルのオシャンができたんだろうか。分からん。


「ん、色々試着したけど......御月は白い方もすっごく似合ってたんだから。黒色より白色の方が良いよって言ったんだけど」


「いや、私にあんな真っ白な......あんな服は似合わないよ」


 謙遜ではなく、自嘲するような声色で、御月が言う。御月が、コップの縁を人差し指で撫でていた。


「何言ってんのよ、もう」


 秋月が、呆れがちに言う。


「ん、私なんて自信なくなっちゃいそうだったのよ。さっき服飾の担当の者を呼んだときに!」


 秋月がちょっとキレ気味に、御月の方をじっと見た。


「まず、クセのないきれーな髪の毛でしょ。もちもち肌に、それと、せ、背も高くて......お顔も整ってて......」


 羨ましそうな秋月が、御月の凄い点を列挙していく。女性が評価する女性というのはよく分からないけど、俺から言わせてみれば、秋月も御月に負けないくらい魅力的に思える。しかしこれは、好みの問題なのだろう。


 御月の方に近づいた秋月が、背伸びをしながら御月の髪の毛へ手を伸ばす。うへぇ、と声に出しながら、手ぐしをした。なんの妨げもなく、艶やかな黒髪の中をするすると秋月の手が進んでいく。


「御月は何か、特別な手入れとかやってるのかしら」


「いや......特には......」


「......嘘でしょ?」


 んぎゃあと天を仰いだ秋月が、問い詰めるように尋問していく。それにたじろぎながらも、御月が答えていった。御月の答えを聞く度に秋月は驚愕し、大騒ぎをする。玄一もそう思うわよね!? と秋月が同意を何度か求めてきていたが、女の子同士の話はよく分からん。


 ......昔いた幼馴染の姿が彼女に重なって見えた。とりあえず秋月を全肯定する。


「もう......ずるいわ御月。この、この!」


「な、にゃ、やめてくれ秋月! くすぐったい!」


 秋月が御月の背後に回って、脇に手を通す。手をわきわきと動かして、彼女をくすぐり始めた。御月が押し殺すような笑い声をあげる。なんか、見てはいけないけど見てみたいような、むずかゆい感じがする。すごく気まずい。


 しかし彼女たちの方をじっと見ていたら、まず間違いなくドン引きされるだろう。それはやだ。そんな俺も俺はやだ。己を落ち着かせようと、目を閉じコップを手にして、お茶を飲む。


 御月の背中に引っ付いて、手を忙しなく動かしていた秋月が、何かに触れた後、ピタッと止まった。どうしたんだろうと思って、目を逸らしていればよかったのに、反射的に彼女たちの方を見る。



 めちゃくちゃ美人で死ぬほど可愛い二人が、絡み合ってくんずほぐれつ。羞恥からか、表情を少し歪ませ、顔を紅潮させた御月。



 ほんとうにまずい。


 心頭滅却。煩悩退散。俺は高潔なる防人。山名の顔を頭に浮かべて、冷静さを保つ━━━━。




「んー。さっきもおもったけど......」




「御月って、着痩せするタイプよね......お胸が......すごいわ......」




 気管にお茶が雪崩れ込む。


「ブエッホ、オゲホゴホ、オゴゴゴ、カハッ!」


「な、ななななにゃなあなあ......!!」


 声にならぬ声を上げる御月の顔が、真っ赤っかに染まっていく。秋月も、あ、やべみたいな感じで、右手の手のひらで口元を隠していた。いきぐるしい。俺はむせすぎて、別の意味で顔が赤くなっている。いや、むせてなくても顔が赤くなっていたかもしれない。絶対になっていた。


 いろんな感情を爆発させた御月の体が、見慣れた美しい輝きに満ちる。神々しい。ああ、彼女は、すごいのか━━━━


 左腕で胸元を抱きしめ、右手を平手打ちの形にした御月が、月の霊力と共に大きく振りかぶる━━!


「玄一、忘れて!」


 月色。月光の一撃。


 ラウンジの中央へ、俺が吹き飛ぶ。別に痛くはないんだけど、意識が薄れゆき、気絶した。




 数分程度で、飛び上がるように目覚める。


 秋月曰く、多量の霊力をぶつけることによって、相手を気絶させ、怪我なく制圧する技術があるらしい。目覚めた時に、彼女はドヤ顔で御月の技術を解説し始めた。


「一応、秋月のせいだと思うんだが......」


 俺の言い訳に対し、何故か少し不機嫌になっていた秋月が、吐き捨てるように言う。


「玄一がすけべえなのが悪いのよ。ねえ御月?」


「......うん」


「そんな......理不尽な......」



 御月は多量の霊力をぶつける技術を利用して、咄嗟の判断で俺の記憶を抹消しようとしたらしい。しかし、バッチリ覚えてしまっている。絶対に言えないけど。


 秋月が今のくだりをなかったことにして、コップを手に取った。


「ん、じゃ、そろそろ始めましょうか。かんぱーい!」


 お互い疲れた表情で、俺と御月が、コップを掲げた。





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