第九十五話 凛の音色

 


 カゼフキ砦。本作戦の橋頭堡となるこの砦には今、多くの兵士が詰めている。幾望きぼうの月作戦のため戦いに備える彼らは、雲ひとつないこの青空の下、士気を高く保っていた。また、カゼフキ砦には俺と秋月以外のタマガキの防人総員が配備されており、戦力の集結具合が伺える。


 まあ、結局。何が言いたいのかというと。


 そんな厳戒態勢のところに、空から降ってきたおバカさんが二人いたということだ。


 無言の御月と、おもしろいねーなんてケラケラと笑いながら歩く防人らしき女性に連れられ、訪れたのは大きな天幕。防人や隊長格が集結し、協議を行うであろうそこにはタマガキ西部の地図を大きく広げられ、様々な意匠の駒が置かれていた。


 そんな部屋の中。俺は今秋月と共に正座をさせられ、話を聞いている。


 隣に座る秋月はしゅーんと縮んだみたいに、顔を俯かせている。俺はこの懐かしさすら感じる状況に、またやってしまったなぁ......という諦観を抱いていた。


 息を吸った御月が、口を開く。その動きで、彼女の肩にかかる後ろ髪がふわっと動いた。


「確かに数は少ないが、空から魔物がやってくることなんて十分考えられることなんだぞ! 本気で勘違いしそうになったんだぞ。全く......」


 御月が腕を組みながら、呆れ顔でガミガミと語り続ける。それを受けて、秋月はますます落ち込んでいった。


「はい。御免なさい御月......つい、楽しくなっちゃったのだわ......」


 その同情を誘う秋月の姿を見て、御月がう、と少し躊躇う。横から見てみても秋月は本気で反省しているように見えるし、落ち込んでもいるので、すごく怒りづらい。これがもしアイリーンだったりなんかしたら、また余計なことを言って御月の説教モードを加速させるのだろうが。というかナチュラルに十八歳に説教されているが、秋月的にこれはどうなんだろう。


「ああ。御月。俺も深く反省している。思慮が足りなかった」


 反省顔を極力意識し、御月に向かって頭をぺこりと下げる。それを見て、御月が唸った。前からなんとなく思っていたが、御月は結構ちょろいかもしれない。行ける。


 その時、横から静観していた女性が動いた。


「ふふ。うまく秋月ちゃんに便乗したね」


 見抜いている......だと? 伊織とともに門番に怒られ続け習得した、俺の反省顔スキルを見破るとは。新たな刺客の登場に、戦慄する。隣から、顔を俯けていた秋月のゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。もしかして、秋月もなのか? 俺が言うのもなんだが、もしそうだったらとんだ食わせ者だぞ。


 幸いにも御月は気づいていないようだが、間違いない。彼女は気づいている。ふふふと笑う彼女を、秋月と一緒にカッと目を見開いて見つめていた。恐れおののく秋月の口が、三角になっている。


 秋月は面識があるだろうが、彼女は俺の知らない、タマガキの防人の一人だろう。両手を合わせ、こちらを見る彼女は御月やアイリーンほど大きくはないが、秋月ほど小さいわけでもない。言ってしまえば、ごく普通の体格をした女性だった。


 淡い黄色と薄緑を混ぜたような、裏柳色の髪の毛。右側頭部で髪を一つに纏め、右肩に髪を垂らしている。長いまつ毛がこちらからも見えて、白い頬が目立つ。どうやら、戦場だというのに少し化粧をしているようだ。


 襟のある両肩を出す構造になっている服を着て、丈の長い、深い切り込みの入ったスカートを履いていた。黒の下地に薄緑に近い金色の意匠を加えられていて、なんだか、カッコいいとも取れるような、お洒落な服だった。


 大気に晒す腕や足はすらっとしていて、本当に戦う人間なのか疑ってしまう。


 しかし戦闘員に見えぬ彼女は、その上から謎の装備を身に纏っていた。


 両脚。両腕。腰元。ありとあらゆるところに、鉄でできた打鍵のようなものがある。背には穴の空いた、大きな筒状の何かを背負っていて、打鍵は全て鉄のくだでその筒の方に繋げられていた。


 唯一武器とハッキリ分かるのは、筒に取り付けられた取り回しの良さそうな鉄刀のみ。


 防人はその特霊技能を活かすため、専用の装備を持つことは決して珍しくない。しかしながら、彼女が身に纏うそれは明らかに異質だった。


 震える秋月と俺を見て、ふうと一息ついた彼女が、腕を後ろで組んで御月の方を見る。


「ま、こんな説教したって何にもならないし。御月ちゃん。もう大丈夫だよ」


「リン。しかし......」


 言葉を続けようとする御月の方へ、リンと呼ばれた女性が駆け寄った。御月の肩を掴んだ彼女が、何か喋っている。それに納得したというか、言いくるめられたように見える御月を抑えて、彼女がこちらを見ていた。


「じゃあ、みんなでお話ししよ?」


 柔らかな微笑みがこちらを向いた。






 正座していた床から立ち上がり、地図の広げられた机を囲うように配置された、椅子に座る。対面側に御月とリンという防人が座って、秋月は俺の隣に座った。それを見て、少しだけ御月の目が大きくなった気がした。


 ガチャ、と大きく鉄の音を鳴らし、背もたれのない椅子に着席していたリンが少し腰を浮かして、俺の方へ手を伸ばしている。


「初めまして。玄一。私はリューリン。みんなからはリンと呼ばれてるから、そう呼んでね」


 差し伸べられた手を握り、握手をする。


「俺は新免玄一。初めまして。リン。未熟者ではあるが、よろしく頼む」


 初対面も初対面。まだまだ互いのことを知らないはずだけど、なんだか彼女は御月や秋月とは違った落ち着きを持つ、そんな人のような気がした。なんだか、見透かされるというか、手のひらで踊らされそうな感じというか、そんな感覚がする。それと、秋月や御月たちと彼女の間に、距離を感じない。どうやらこの郷の防人同士の人間関係は、かなり上手くいっているようだ。良い雰囲気を感じる。


「ふふ、私よりはきっと強いし。前衛張るのは君の役目だから、私を守ってね」


 そう言ったリンは、こちらへ無垢に笑いかけた。手を離し、彼女がふうとため息をつく。



「思ったより良い子そうで安心したかな。参謀の首に刀を突きつけて脅したって聞いてたし」



 空気が、凍る。前言撤回。良い雰囲気じゃない。不穏だ。


 どうやら俺が血浣熊と戦いに行こうとした時、啖呵を切ったのに尾びれが付きまくって、そのような話になっているらしい。すでにそのくだりを教えている秋月は面白がって少しニヤニヤとしていたが、向かい合っている御月が、驚いて心配そうな表情をこちらに向けていた。というかそもそもなんでそんな話の変わり方をしているんだ。何か理由でもあるのか?


「......玄一。それは本当なのか?」


「いやいやいや御月。君はそもそもあの時タマガキにいたじゃないか。それでそんな話聞いてないだろう」


 何かを思い出しながら、本当かどうかこちらに疑いの目を向ける御月に対し、説得を続ける。


「ふふふ。とはいえ、多分違うよ。御月ちゃん。玄一くんよりも派手に同じようなことを昔やったことがある人がいて、それと似てるねって話が、どっかで取り違えてそんな話になっちゃっただけだし」


 それを聞いた秋月が、握りこぶしで軽く左手を叩いた。


「あー......それが原因なのね。なんか、納得したわ」


「そうね。御月ちゃんと玄一くんは知らない話だろうから、気にしないで良いよ」


 そういうことだったのねーなんて言って、俺と御月を蚊帳の外に追いやる秋月。


「毎回初対面の人間にそれを触れられる身としては、気になるんだが......」


「まま、悪い話じゃないわ。大丈夫よ。多分」


「多分か......」


  その言葉を聞いて、頭を抱える。どうして俺はあの時あんな風に啖呵を切ったんだろうか。まさかここまで尾を引くとは......時間が経てばたつほど後悔している気がする。


「そういえばリン。じいちゃんとかアイリーンとか、みんなどこに行ったのかしら」


 いるわけもないのに天幕の中をきょろきょろと見回す彼女が、見かけなかったし、と付け加える。


 俺が会ったことのないタマガキの防人は、リンと幸村という人を含めて、三人だそうだ。ということは、タマガキには防人が俺を含めて八人いるということになる。内地に近い郷と比べればかなり少ないような気もするが、質で圧倒しているだろう。特に幸村という防人は高齢ながら、御月に近い実力を持っていると言うし。



「今みんな出撃してるし。そろそろ帰ってくるかな。そしたら、みんなで作戦会議」



 右に座る秋月がいいわね! と賛成する。そして御月がうんうんと頷き、同調した。


 タマガキで見た御月は俺を引っ張ってくれて、頼もしく感じていたが、やっぱりいくら強くても、十八歳は十八歳なのだろう。リンと秋月という成熟した防人を前に、受け身になっているように見える。それか、他に何か考え事でもしてぐいぐい行っていないのだろうか。


「ま、しばらく時間かかるだろうし。おしゃべりして待たない?」


 秋月がニコニコとして、会話をしようと提案する。俺たちがタマガキにいた間、こちらの方で何が起きていたか気になるし、それはまた御月たちも同じだろう。楽しげに気になることを聞き始めた秋月の明るい声が、天幕に響いた。






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