第六十六話 戦いのあと(2)

 医者が俺の容体について話す。白衣を着た彼曰く、犬神の攻撃を受けた俺は死にかけの状態だったそうだ。あちこちの骨が折れ、そこら中にヒビが入りまくっていたとのこと。防人の霊力による防御力や自己治癒を鑑みても、生きるか死ぬかの瀬戸際だったらしい。そりゃあ、もろに二発食らったからな。あれほどの格上に。


 しかしながら、俺はこの五日間医者がドン引きするレベルの驚異的回復能力を見せ、背中が死ぬほど痛い。ぐらいで済んでいるそうだ。何故ここまで早く回復できたのか、専門家である医者でもお手上げでわからないらしい。彼の言うその驚異的回復能力について、何か心当たりがないかこちらに聞いてきたが、その問いに対し俺も知らないと返す。


 このままで行けば、後一週間くらいで完治する見込みらしい。しかし後三日はこのベッドの上で治療に徹し、その後もしばらく激しい運動はしないように言われた。日課の鍛錬を禁止され身体が鈍らないか心配である。


 注意事項等を伝え終え、お大事に、と締めくくった医者が部屋を出て行く。それに感謝の言葉を述べて、俺は部屋に一人になった。


 (しばらく動けないともなると暇だな。そうだ、奉考の持っていた書物でも読むか。時間はあるし)


 いつか誰かに頼んで俺の家にある本を取ってきてもらおう。これも成長できるいい機会かもしれない。


 まあどちらにせよ、自由に動けるのはしばらく先になりそうだ。しかし寝転がったままだというのにやけに肩とまぶたが重く、疲れが溜まっている。身体の霊力は万全の時と比べ圧倒的にその量が少なく、やることもないのでとりあえず目を閉じた。






 目覚める。まだ陽光が窓に差し込んでいた。随分と長く眠っていた気になっていたが、どうやら眠りが深かっただけらしい。


 着ていた病衣は濡れていて、寝ている間に汗を多くかいたみたいだ。風呂に入りたいなとふと思ったが、今入ったら溺れ死にそうだ。やめとこう。


 ゆっくりと身体を起こす。まだ背中が痛かったが、我慢できる程度だ。腕をゆっくり伸ばしふと横を見ると、机の上に呼び鈴と一枚の書き置きがある。


 (起きたらこのベルを鳴らしてくれ。話したいことがある、か......誰だろう)


 何用かはわからないが、とりあえず呼び鈴の出っ張りを押して鳴らした。音が鳴るのと同時に、霊力の波紋が飛ぶ。霊力を技術として使用し、人々の生活を豊かに発明品は多くあるが、こんなことにも使えるのか。初めて見た。


 呼び鈴を眺め左側を向いていたが、突如として右側から気配を感じた。間違いない。寝る前秋月に話を聞いたからだろうか、それが誰かすぐにわかった。


「よぉ玄一。調子はどうだ」


 低く、耳に残る声。桜の花びらが俺の鼻の前にゆらゆらと飛んでくる。


「郷長」


 失くしていた右腕の代わりに、銀色の細かい意匠があしらわれた義肢をつけて、腕を組んでいる山名が傍に立っていた。


「他の連中もじき訪れる。それまで、少し待っていろ」


 彼が呼んだであろう他の人が来るまで少しの時間を要し、それまで俺と彼の間には沈黙があった。しかしその静けさが、何故か心地よかった。








「よし。だいたい集まったな。秋月が遅れているようだが、まあ良いだろう」


 山名が病室に集まった数名を見渡して、頷く。今この部屋にいるのは、俺、郷長、兄さん、そして甚内。秋月も来る予定だったようだが、遅刻っぽい。


 兄さんが、こちらをじっと見る。どうやら、俺の身体の状態を自分の目で確認しているようだ。


「よし。問題なさそうだな。無事で良かったぞ。玄一」


 彼がその黒髪をかき揚げて、安堵のため息をつく。彼の姿を久々に見て、ほぼ毎日続けていた彼との鍛錬を思い出した。第拾壱血盟と戦った時も、彼が教えてくれた無力の掌握術などが、大きく役立った。彼がいなければ、俺は奴に食い殺され死んでいたかもしれない。そう思って彼に感謝の言葉を述べることにする。


「ありがとう兄さん。兄さんが俺を鍛えてくれたおかげで、生き残ることができた」


 そう伝えた俺を見て、兄さんは喜んだりするわけでもなく、ただ少し申し訳なさそうにしていた。まず、彼は前言っていたように無力の掌握などはお前が元々できたことだと述べ、その後付け加える。


「礼を言うなら秋月に言うんだな。お前が生き残れたのは彼女のおかげだ。全く俺は役に立てていない。くっ......何が勇者か」


 彼が自嘲の笑みを顔に浮かべた。彼は遠くを見据えて、まだこの場にいぬ彼女のことを考えているようだった。


「秋月はな、お前が犬神にやられた後、お前をどうにかして守ろうと決死の思いで戦っていたんだ。俺が訪れた時すでに彼女は気力だけで立っているような状態で、あの第陸血盟が少し気圧されていたぞ。そして結局、お前の側に立ったまま気絶した」


 その光景を思い出しているのだろうか、彼が感嘆の息を漏らす。秋月からそんな話を俺は聞いていない。もし兄さんが言っていることが本当なら、彼女が負っているあの傷は全て俺のために負ったものだというのか。


 その話を横で聞いている甚内が舌打ちする。何故か、憤りを覚えているようだった。


「情けない。そのような状況を引き起こしてしまったのは私の責任だな」


 山名の横に立っている、甚内の姿を見る。彼はあいも変わらず忍び装束を身に纏っており、目元と髪の毛以外は、真っ黒に染められていた。今回の戦いで全く彼を見かけなかったが、どこにいたのだろう。甚内のその言葉に、兄さんが返答する。


「互いに悔い改めるべきところがあるようだ。しかし、反省するのは後にしよう。話したいことがある」


 兄さんがそう言ったタイミングで、廊下から足音が聞こえてきた。部屋のドアが勢いよく開く。そこに立っていた秋月は、息を少し荒げていた。


「ごめん。遅れちゃったわ」


 部屋に秋月が入ってくる。彼女は寝る前に見た時と同じように、左腕に三角巾をつけていた。先ほどの話を聞いてから考えると、彼女の腕の怪我は俺を守ろうとして負ったものだとわかる。それだけでなく、身体中に負ったであろうその傷は、本来後衛であるはずの彼女が犬神と真正面から戦ったが故についたものだろう。それを見て、彼女に対する感謝の暖かい気持ちと、自らの失態を呪う怨嗟の感情が、同居した。


「秋月」


 彼女の顔をじっと見る。彼女の顔立ちと容姿は子供に見えてしまうようなものだったけど、その中にある自分にはない完成された余裕というか、芯が通っているその姿を見て美しいと思った。実力も精神も俺の一歩上にいて、ついそれに甘えてしまいたくなる。


「ん、じっと見つめて何よ。顔に何かついてるかしら」


 そう言って秋月はほっぺたを擦っている。その頬には、戦いの中で負ったであろう切り傷が無数に付いていた。


「ありがとう」


 彼女の目を見つめて今伝えたかったその気持ちを、装飾せずに言った。それを聞いた秋月は一度兄さんの方を睨んだが、彼は素知らぬ顔をしている。


 一度ため息をついた秋月は、こちらに向き直りニコッと笑った後、口を開いた。


「如何いたしまして」


 視線を下げる秋月の姿が普段と全く違った。彼女は、右足を少し後ろに下げて膝をちょっとだけ曲げるお辞儀をしていて、その姿にどこか風格さえもあるように感じる。そうして軽く一礼した彼女に、俺は目が離せない。


 その洗練されている所作は、俺が真似したりして後天的に身につけられるようなものではない。そう確信できるものだった。


 そのままじっと秋月の姿を見ている俺を見かねて、それを打ち切るように兄さんが喉を鳴らす。


「ん゛ん。それでは、本題に入りたい。これはお前に聞きたい話なのだが、玄一」


「兄さん。何だ?」


「お前が犬神に襲われる前。何があったか覚えているか」


 彼にそう言われて、あの時のことを頭に思い浮かべる。最初は撤退する気だった第陸血盟が、俺の姿を見て急に襲いかかってきたのだ。あの時の犬神は本気、というわけではなかったろうが、それでも俺を強く警戒していたように思える。


「これは一部始終を見ていた秋月や防戦隊の証言だが、玄一。犬神の反応からして奴はお前のことを知っていたようだ。それに加えてサキモリ五英傑である、現在行方不明の剣聖についても言及したらしい」


「『何故貴様が生きている。白牙しろきば。忘れもしない。貴様は三年前剣聖と共に消えたはずだ。儂らに忌まわしい記憶を残してな』」


 犬神の言葉を一字一句間違えず述べた兄さんが、一息つく。


「これは犬神の言葉だ。血脈同盟幹部であり、古参の構成員である犬神のな」


 その言葉を聞いて、胸の鼓動が早くなる。誓おう。奴は、俺のことを知っているようだったが俺は奴のことなんか知らない。どんなに思い出そうとしても、記憶にない。


「玄一。お前の知っていることを聞かせてほしい」


 兄さんがこちらに一歩近づく。彼の纏う厳粛な雰囲気に秋月や甚内も当てられて、ただ口を閉じていた。山名は腕を組んだまま、目を瞑っている。


「俺は奴のことなんか知らない。だけど......人類最強の防人。剣聖のことは、知っている」


 その言葉に、秋月が息を呑んだ。


 剣聖。西に拠点を置き、長きに渡り活躍した防人だった。その剣の実力はあまりにも卓越しすぎていて、憧れと恐怖を多くの人々に与えた存在。


 最強の防人と名高かったその男は、同じくサキモリ五英傑の一人である時の氏神と共に、三年前。その姿を消した。それ以降、絶対的存在の帰還を、多くの人々が待ちわびている。


 兄さんの視線がこちらに向いている。その目は俺のことを慮りながらも、一人の軍人としての、冷徹さを兼ね備えていた。


「玄一。第陸血盟が剣聖に言及した以上、俺は踏破群群長として聞かねばならない」


 それ以上は言わないでくれと、兄さんに縋りたくなった。きっと彼がこの後、何を言うかわかっていたから。


「お前の物語かこを。聞かせてほしい」


 息がひどく荒くなった。穴がぽっかり空いたように痛い胸を、右手で抑え込む。


 俺は魔獣を滅ぼさなければいけない。最強にならなくちゃいけない。そう思ったのは、いつからだったろうか。何故だったろうか。過去を理由に戦いながらも、そこから目を逸らしている。まだ向き合っていなかったから、こうして胸が痛い。


 今まで大言を吐きながらも、結局、生きる理由がなかったから自分に最強になれとか。誰かを守れとか、そう都合よく言い聞かせてきただけじゃないのか。


「玄一......」


 消え入るような秋月の声が聞こえた。彼女がその瞳を揺らしている。


「無理しなくてもいいわ。話すのなんてまた今度でも━━」


 そう言う秋月を遮るようにして、兄さんが口を開いた。


「いや、玄一。俺たち踏破群は準備が整い次第、タマガキを出ることになっている。出来れば今日。話してほしい」


 そう言った兄さんのことを、秋月が眉を顰めて見つめていた。その視線は少し彼を責めながらも、一定の理解を示している。その後秋月が兄さんから視線を外し、彼女の瞳がこちらを見た。甚内は黙ったまま俺のことをじっと見ている。


 喉が急激に乾いていくような感覚がした。だけど、このまま黙りこくっているわけにもいかない。


「俺は......ここからさらに西、シラアシゲの郷で育った。俺は赤ん坊の時外に捨てられていたらしくて、血の繋がった家族はいなかったけど、そんな俺を拾って育ててくれた掛け替えのない家族がいた」


 皆が黙って、俺の言葉に耳を傾けていた。


 ただシラアシゲの郷、と俺が言った時、秋月の目が大きくまん丸に開いていた。甚内の表情は窺えず、兄さんは真剣そうな表情でこちらをじっと見ていて、山名はまだ目を瞑っている。


「シラアシゲには、当時最強と呼ばれていた剣聖率いる防人の集団と、精鋭たちがいた。俺は彼らを見て育ち、そのまま俺も防人か兵隊になるもんだと思っていた。そんな時だ。三年前。魔物の大侵攻があったのは」


 三年前について、誰かに話をするのは初めてだ。師匠は俺が喋らずともそれを知っているような素振りを見せていたし、そもそも俺が帝都にいた頃は毎日が修行の日々で、師匠以外の誰かと話すことがなかった。


 顔を上げ、この部屋にいる全員の人間と向き合う。本心から言えば話したくない。思い出したくないような話でもあったが、タマガキにやってきた俺を受け入れ、向き合ってくれた彼らなら、きっと大丈夫なような気がした。


「聞いてほしい。俺の今までを」


 外はまだ明るかった。



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