第一章 記憶を失った青年
♯14 雪の降る夜
(……参ったな、今年は思ったより寒い。うちの暖炉では少し足りない)
雪が降り頻る森の中を、1人の女が進んでいく。
(靴も買おう。半年近く街に出ていなかったし、足りなくなったものも多い。……帰る頃には積もるだろうし、さっさと行かないと)
雪は降り始めて間もないので、あまり積もっていない。木々の頭は白くなりつつあるが、まだ歩くのに支障が出るほどではない。
しばらく進むと川が見えてくる。川といっても水面は完全に凍結しており、この季節らしい雰囲気だ。
女は川を滑って対岸に渡り、また森の中に進んでいく。
ワオオオォォォ……
(獣の遠吠え…レアファングか)
遠吠えが聞こえる。人を襲うような生物ではないが、夜の森と相まって不吉なものを感じる。
雪はもう積もり始めており、時々女のまつ毛に引っかかる。目の当たりを手で覆いながら、雪特有の足音を立てて進む。
森もそろそろ終わりだ。街に続く舗装された道路が見えてくるはず。女は顔を上げ遠くに目線をやる。……ぼんやりとだが街の光が見えた。
森を抜け、街に続く道路は険しい坂の上にある。坂は一ヶ所だけで他は岩壁、とても登れるような場所ではない。
女が森を抜け、視界に角ばった岩壁が飛び込んでくる。
……そして、もう一つ視界に映り込む。
(……人?)
岩壁近くに人間が倒れている。体には雪が積もっておりよく見えないが、意識があるようには見えない。
「…おーい、聞こえるか?」
近寄って声をかけるが、反応はない。見たところ若い男のようだが、やけに虚な顔をしている。
さらに近づくと、男が何か呟いているのが聞こえた。
「…ぉれは……いきて………かえ……」
「…大丈夫か。私の声が聞こえるか?」
男に声をかけるが、反応がない。しかし放っておくわけにもいかない。とりあえず雪をどかそうと男に近づくと、男と目が合うのが分かった。
「…ァ……ア…アア、グウゥゥァ…ウウ…」
「お、おいどうした?!」
男が急に呻き声を上げ始めた。体をよじって苦しむような動きをする。
(何なんだコイツは…とりあえず、街の病院に連れて行くか)
男の雪を払い、腕を掴む。女は男の腕を肩に掛け、そのまま歩き始める。
雪はもう足首まで積もっていた。
「どうやら、重度の記憶障害のようですね。ここまで連れてくるの、大変だったでしょう。あとは私達にお任せください。」
病院に連れて行って、10分ほどしたときのこと。どうやらあの男は記憶障害を負っているらしい。医師はそう言って診察室に案内する。
「ここにきた時よりは回復したので、会話ぐらいなら出来ますよ。それに、様子も気になるでしょう?」
「……まぁ、多少は気になりますね。」
女はそう言うと、寝台に乗せられた男に近寄った。男の顔はさっきと比べれば幾分マシだ。とりあえず、無難なことを聞いてみる。
「あー、記憶がないんだったな。本当に何も覚えてないのか?」
「はい……ほとんど。自分が何だったのかも、分からないんです。」
表情を取り戻した男は、男と言うより青年といった感じだ。記憶のせいか不安げな顔をしている。
「でも、一つだけなら分かります。」
「はぁ、それは?」
女はもう買い物をしたいからか、適当な返しをする。もう青年を見てすらいない。
「——俺の名前、カズシっていうんです。」
青年は未だ不安げな顔。医師は何かメモのようなものを書いている。窓の外の雪は膝ほどまでは積もっているか。
雪の勢いは、増すばかりだった。
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