聞き流すこと川の如し
第4話
小川のせせらぎというのは、川の近くにいる限り決して途切れることはない。止まることのない水の流れが、音として両の耳を満たし続ける。
しかしその場に立った時、それを不快に思う人間は少ない。大小無数の小石を緩やかに撫でていく水の音は、人の心を落ち着かせ緊張を和らげるとされている。
少女の声は確かに穏やかで心地いい。しかし穿司の眠気を誘う最も大きな要因はその喋り方だった。1つ1つを丁寧に解説するその語りは、話の内容そのものと比べ事務的なものではない。現状を把握できていない相手に対し、理解を求めるよりまず先に、緊張をほぐし安心を与えようと努める言葉遣いとリズム。重要事項の伝達という自分の目的は後に回しつつ、困惑と不安を抱くであろう対話相手への心からの思いやり。少女の話し方にはそういった温かいものが溢れていた。
カウンセリングの経験でもあるのだろうか、子守歌にも似た雰囲気のそれは、夜歩き済みの寝起き少年の睡魔を呼び起こすには十分すぎた。
今や穿司は軽く夢すら見始めている。春の暖かな陽気に包まれながら、流れの緩やかな小川をゆっくり小舟で下っていく。まぁ実際に船は漕いでいる訳なのだが。しかし突然川の流れは止まり、船も動かなくなった。
「あのー…、すみません。大丈夫ですか?」
流華の呼びかけで穿司は目を開け、ようやく2隻の船から降りる。視界は多少ボンヤリするものの、少なくとも申し訳なさそうな少女の顔は目に入った。
「すみません、話が長くなってしまって。お疲れでしたか?」
「いや…えっと、ちょっと夜更かししてたもので」
「そんな大変な時に伺って本当にすみません。もしかしてお話の方って…」
「…あんまり聞いてなかったかもです」
「あ、やっぱりそうですよね。眠い時ってどうしても集中が続かなくなっちゃいますよね。私も学校で午後の授業受けるときとか凄く眠くて、ノートとるだけでいっぱいいっぱいになっちゃいますもん。あとはご飯食べたときとか…あっ、もしかしてお食事とかまだでしたか?ホント色々と中途半端な時間にお邪魔しちゃってすみません。そういえばわたしも今朝はちょっと緊張してあんまり食べてなくて――」
そこまで話して流華は突然口をつぐむ。自身の会話量に自分で驚いているらしい。先ほどまでの穏やかな川が雨で氾濫したかのような怒涛の勢い。人に話をすること自体がもともと好きなのか、本来の性格が漏れ出たように穿司は感じた。
「…すみません。ホント、色々と…」
「いやいや、もとはといえば話聞いてなかったこっちが悪いんで」
そう言いつつ穿司もあまり発言に自信が持てていなかった。向こうが謝り続けている以上、こっちが謝っても繰り返しになるだけだというはなんとなく理解していた。
「それよりちょっとお願いがあるんですが」
「は、はい。なんでしょうか」
「申し訳ないんですけど、もう一回説明お願いできませんかね。最初から」
「はい、勿論です。お時間さえよろしければ」
「じゃあよろしくお願いします。今度はちゃんと聞くんで」
後でもう一度謝るとして、今優先すべきは彼女が本来の目的を果たせるようこちらがきっかけを与えること。穿司は会って十数分(しかもほとんど寝てた)ながら流華の大まかな性格を把握し、彼女が話しやすいよう話題を振った。
「では改めてお話を。今回伺ったのは、あなたに私立
パンフレットのような本を取り出し、流華は表紙の漢字を指差す。玄関でも一度聞いた単語。どこかの教育機関というのはなんとなくわかるものの、その当て字としか思えない学校名に穿司は首を傾げる。
「変わった名前ですよね、やっぱり」
「でもちゃんと意味があるんですよ。『守』は生徒をしっかり守るという意味を込めて。『加』は新しい仲間が増えるという意味を込めて。そして『櫛』は旅立ちを表しています。学校という場にはピッタリだと思いませんか?」
既に喋り方は小川モードに入っている。それもあって妙な説得力を感じる。
「櫛ってそんな意味が?」
「昔から呪力があるって信じられてるらしいですよ。別れを招くとか」
「あぁ、そういえば神話にもよく出てるっけ」
「ですです。日本を作ったイザナギが黄泉から逃げるために投げたとか、スサノオが八岐大蛇(やまたのおろち)を倒すときにクシナダヒメを櫛にして身につけたとか」
とりあえず漢字の意味はよくわかった。しかしどうしても気になることがある。
「なんでわざわざ『神隠し』と同じ音に?」
「まぁそこも理由がありまして、というかそこの説明が一番大事といいますか」
流華はおもむろに居住まいを正すと、穿司の目を見ながら語り始める。
「立髪穿司さん。昨夜の出来事について聞かせてください」
真剣な声色で質問され、穿司も思わず背筋を伸ばす。
もっとも、流華が顔を赤くしてすぐに目を逸らしたことで、真面目な空気は2秒ももたなかったのだが。
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