第06話 薪の初日の夜

「いいですか」


 うどん屋から帰宅し、残りの荷解きを終えた夜。パソコンを開いてバイトを探していた俺の前に、真剣な面持ちであんが正座をする。


「なんですか」


 俺はパソコンを閉じて体の向きを変え、あんの口調に合わせて反応した。


「まず大前提として、私はしん、あなたをぜんっぜん信用してません」


「はい」


「……そして私は女、あなたは男です」


「あ、そうなの」


「ふざけないでください。」


「はい」


 話の腰を折られたあんは、俺をきっと睨みつける。俺は真面目に聞いてますよ、という風に無表情を作る。


「……つまり、私たちは異性です」


 俺を睨みつけたまま、あんは続ける。


「はっきりいいます。あなたとは寝たくない」


 突然のカミングアウト。俺はいまにも吹き出しそうなのを必死に堪えて、ツッコミを入れる。


「なにその急な下ネタ」


「なっ……違う!」


 指摘された瞬間、わかりやすく取り乱すあん。本来透き通るような白さの頬を赤く染め、俺の肩をグーでパンチする。


「痛い」


「あなたが変なこと言うからでしょ」


 と、先ほどより少し優しめのグーパンチがもう一度俺の肩に飛んできた。あんはこほんと一つ咳払いをして、話を訂正する。


「下ネタじゃありません。純粋な睡眠の話です」


「あ、そっちか」


「そっちです」


 言いながら、あんはロフトと一階を交互に指さす。


「私はロフトで寝る。君、下で寝て」


「異論は?」


「認めません」


 と即答するあん。対して、俺は手をグーにして前に突き出す。俺としてもあんの提案通りで一向に構わない。構わないのだが、ここで素直に「いいよ」とは認めずに、もうちょっとからかってみれば、さらに面白い展開になるのではというなんとなくの予感があったのだ。


「なによその手」


「じゃんけんしよ」


「だめ」


「しよ」


「だめ」


「いいじゃん」


「だめ」


「最初はグー、じゃんけん――」


 あんの拒否を無視して、ジャンケンを始めてみる。


「「――ポン」」


 結果、俺はグーを出した。

 あんはチョキを出した。


「っ……」


 俺はあんの鼻先でグーをちらつかせる。あんのチョキが悔しそうにピクつく。きっと拒否し通せばよかったと後悔しているに違いない。しばらくフリーズ状態に入るあん。俺が無言で待っていると、彼女はキリッとした表情を無理やり作って口を開く。


「……やっぱりだめ。」


 そう言って彼女は、ロフトに自分の寝具をさっさと運び込んでしまった。随分と強引な手段を選択したものだ。


「じゃあ私先にお風呂入るから」


 あんは不自然にキリッとした表情俺に向けたまま、梯子を降りでくる。胸には、猫のキャラクターがプリントされた寝巻きと、フワフワしたタオルが抱えられている。


「ロフトも、お風呂も、覗くな、ゼッタイ」


 あんはテンポよくそう言い放つと、お風呂場の戸をピシャリと閉めてしまった。


「これ、俺が悪いのか。全部フリっぽく聞こえる」


 俺は再びパソコンを開きながらそう呟いた。なんだがあんの行動と言動の全てが可笑しくて、楽しくて、本気で風呂を覗いてみようかという悪戯心に打ち勝つのは、俺史上3本の指に入るほど、とんでもなく難しいミッションだった。

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