第234話 〜彼の記憶〜

 護法極はマヤの存在を知っていた。


 彼は平山千代美とは面識があり、何度か会談をしたこともあった。


『鬼』がマヤとは別の生物であることも、鬼の狼藉とマヤが無関係だということも知っていた。

 ただ、鬼もマヤも同じ世界の存在であり、マヤにとって鬼はの様な位置付けであり、その世界の頂点がマヤである以上マヤはではいられないということも互いに理解していた。



 ――例え神の力をもってしてもカルラコルム消滅は回避できない。

 それを理解していた天狐は千代美を通じて人間側とコンタクトをとり、先述のような情報交換から和平交渉を引き出そうとしたのだ。

 そしてその対象となったのが護法極――。


 極は禁欲的で、女性に対して紳士的であったのが、彼を交渉役として選んだ理由だった。

 ……というのはまぁ、置いておいて。



 密かにマヤと繫がっていた極。

 しかし、その行動に邪な事は何も無い。

 彼は当初から無益な争いは避けるべきと考えていたからこそ、内密にしていたのだ。

 その事は郷の住民はもちろん、有馬始鬼にも蓬莱永久にも黙っていた。


 それはあくまでもである千代美を頭から信じていなかった事と、仮に全てが真実であってもそれを受け入れる態勢も心構えも出来ていないし、第一に住民の鬼への反感は凄まじい。

 だから和平など夢物語だとも考えていたからだ。


 しかし、龍姫の登場で状況は変わった。

 そして『裏留山』という別のマヤの存在と、彼の言動で千代美の言葉の信憑性が高まった。


 武人会という組織の発足も大きなきっかけだ。

 結成間もない組織ながら龍姫というカリスマ的存在が初代会長となった事で郷の一体感はこれまでにない程強固だ。


 極は今が好機と捉え、これまでの経緯と千代美からの情報を仲間達に開示し、協議した。


 ――対話か、対立か。



 様々な意見があったが、武人会会長として龍姫は最終的に『対話』を選択した。

 裏留山と同等の戦力を有する存在が複数いる以上、贄之郷人間に勝ち目は無いと断言したのだ。

「鬼に勝てても意味がない。それに、我々の目的はだ。マヤの目的も同じなら、我々の取る道はひとつだ」


 これまで散々『鬼どもをブッ潰ぅ〜す♪』だのなんだの言ってきてどの口が言うんだと有馬始鬼は呆れたが、龍姫の意見には賛成だった。

 彼もまた、まだまだ非力な武人会を鑑みて無駄な犠牲は出すべきではないと考えていたのだ。

 それは蓬莱永久もそう。もちろん極も。


 そもそも、龍姫自身が最もを理解していたのだ。

『仮に日本という国そのものが総力を上げても、マヤには勝てない』

 龍姫は武人として、冷静な視点でそう結論付けていたのだ。



 協議の結果、郷の総意として『対話』が決議され、その会談は武人会本部(当時は元々の領主が住んでいた屋敷)で行われる事となり、それが今日……屋敷の前で整列し、を待つ準備万端の龍姫や極達と肩を並べる蓬莱永久はをやや性急ではないかと感じていたが、龍姫は逆で、むしろ急かしてすらいた。


「こういうことはお互いの気持ちが変わらないうちにサッサと済ますのがいいんだよ」

 ……なんてもっともらしいことを言ってはいるが、実のところ【まだ見ぬ強者に早く会ってみてぇゾ】とワクワクしているのがまるわかりで、先走ってやらかしやしないかと永久は心配で仕方がなかった。


 そして約束の時間――、


「……」

 それまで普段通りに緊張感の無かった龍姫の視線が鋭くなり、姿勢を正した。

 それに続くように有馬始鬼、護法極が同じく背筋を伸ばした頃には、永久にもを感じる事が出来た。

(何か、来る――!?)


 ふっと空気が重くなったと思ったその瞬間とき

 彼らの目の前に何か黒い『闇のようなもの』が立ち込め、それはやがて地面を這うように渦を巻いた。

 見覚えのあるその現象……永久は戦慄したが、龍姫は口角をニヤリと吊り上げて呟いた。

「この前のとは別か……それも、ふたりとな。マヤとは随分気前のいい奴らの様だ……!」


 その現象こそ、マヤが空間を移動する際の超現象。

 住民達が慄き逃げ出すのを無視し、龍姫は闇の中から微かに香る場違いな匂いに鼻をひくつかせた。

(……酒?)

 と、その時。


 ぶわっ!!


 一気に膨張した闇が晴れ、そこに現れたのはやたらと色気のある浴衣姿の女と、いかにも人が良さそうな武士と僧侶半々といった格好の好青年だった。 


 笠を被っていない虚無僧の様な出で立ちの青年と、色香がだだ漏れの遊女然とした女……この前の南蛮人の様な色男といい、マヤの趣味嗜好ファッションセンスの理解に苦しむ武人会の面々。

 そんな彼らを無視して登場するやいなや、女が陽気な声で言った。

「よぉ〜お、あんたがウワサの龍姫様かい?」


 胸元からいまにも乳房がこぼれ落ちそうなだらしない浴衣姿の女は明らかにほろ酔いで、それを裏付ける様に酒の匂いも彼女から立ち込めている。

「そうだ。……ところで貴様、酔っ払っているのか?」

「いやァ? しらふだよ。……なんだいお前さん、あたしが大事な話し合いだっつーのに酒飲んじゃうような無礼者に見えンのかい?」

「見えるからそう言っている。どこからどう見ても酔っぱらいじゃないか」

「あンだとぉ!? まだ酔ってねぇっての!」 

「お? 早速やるか?」


 威嚇も早々にやる気満々のふたり。

 誰もが止めに入る隙もなくのかと思いきや、藍之丞がいつの間にかふたりの間で『まぁまぁ』と、特に羅市をなだめていた。


「すみません龍姫様。彼女はこれで普段通りなんです。悪気は全然無いんです。貴方がた人間と我々マヤの文化というか常識の違いに免じてご容赦頂けると……あ、申し遅れました。私は蓮門藍之丞。こちらは有栖羅市。どうぞ宜しくお願いします」


 背中に羅市の抗議を受け止めつつ、藍之丞は努めて笑顔で龍姫にそう言った。

「……貴様はその酔っぱらいとは違って少しはまともの様だな、蓮門とやら」

 わざと挑発的な態度を取る龍姫に、藍之丞は「恐れ入ります」と笑顔で応えた。

「……ふん、まあいい。立ち話もなんだ。入ってくれ」



 男のくせにヘラヘラと。

 軟弱な奴だ。


 龍姫の藍之丞に対する第一印象は『情けない男』だった。


 しかし、その柔和な雰囲気と端正な顔立ちに、今まで感じたことの無い『何か』を意識していた。


(……何だ? この胸のざわつきは……変なモノでも食ったかな?)

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