マンゲドニア王・アナルサンドロスの大遠征

武州人也

マンゲドニアの英雄

 紀元前0721年、マンゲドニア王国に、玉のような男子が誕生した。名をアナルサンドロスという。

 彼の父はマンゲドニア王ブリッポス2世。母は身分の低い雑用係の女であり、名は伝わっていない。彼女を見初めたブリッポスの寵愛ぶりは甚だしかったが、彼女との間に子ができないよう、王はヤギの盲腸から作られた避妊具を常用していた。それは王の子を身籠ることで嫉妬深い正妻に目をつけられないように……という、ブリッポスなりの気遣いであった。

 だが運命のいたずらか、ある時避妊具が破れてしまうという事故が起こった。そして、そのたった一度の事故によって雑用係の女は身籠ったのである。王は正妻による介入を防ぐため、女に金を持たせて王宮を追放し、故郷へと返したのであった。生まれた子はアナルサンドロスと名付けられ、マンゲドニア市民として市井の人々の中で生活を送った。五歳の頃から騎乗を覚え、近所の子どもと馬の早駆けをして遊ぶ活発な少年に育った。

 そんな生活が一変したのは、アナルサンドロス七歳の時である。彼と母は突然、王宮に召し出された。そしてアナルサンドロスは初めてブリッポスに謁見し、王の口から直接伝えられた。


「お前はわたしの子だ。そして今日からお前はこの国の太子となる」


 七歳の幼子でも、王の言葉がどれほど衝撃的なものであるかはしかと理解していた。自分は王の血を引いており、そして次の王位を継ぐ立場になったのだ、と――

 母子ともども王宮に呼び戻されたのには、とある事情があった。王は正妻の間に一男二女をもうけていたが、揃いも揃って体が弱く、男子は二カ月前に亡くなっていたのだ。子を失った悲しみから、正妻も離宮の一室に病臥して亡くなった。

 王位継承権を持つのがアナルサンドロスただ一人になり、正妻が介入してくる心配もなくなったことから、母と一緒に王宮に迎えられた……というのが事の顛末であった。

 数奇な運命によって王宮に迎えられたアナルサンドロスは学者や武官を教師につけられ、朝から晩まで王としての教育を施された。これまでと全く違う生活に当初は戸惑ったものの、太子としての生活にはすぐに順応した。彼は騎射や投糞といった武術を得意とする一方で、兵法や政治学といったものも驚くべき速度で吸収していった。

 強く美しく育ったアナルサンドロスは学友との交流を好み、齢十二を超える頃になってからは、自分と同じく麗しい容姿を持つ学友を傍に置くようになった。そうした学友との関係がやがて男色めいたものに発展していくまでに、さしたる時間はかからなかった。

 彼の男色相手としてはっきりとした名前が伝わっているのは、同年生まれのオパイスチオンという者である。後に将軍となりアナルサンドロスの右腕として活躍することになるこの少年は、よく日焼けした褐色の肌と、細見ながら無駄のない引き締まった体をした美少年であった。アナルサンドロスは彼を度々私室に連れ込み、起き臥しを共にしていたと伝わっている。

 十五で成人したアナルサンドロスは、友好国エロースの王女キョニューソスを妻とし、翌年には男子をもうけた。その後も二男二女に恵まれるなど夫婦仲は良かったものの、一方で男色の癖は消えておらず、複数の美少年と懇ろになって起き臥しを共にしていた。

 

 アナルサンドロスの初陣は、彼が十六になった年の秋であった。隣国フェラキスが二万八千の軍で国境を侵してきた時、彼は騎兵部隊の指揮官として千騎を預かり、辺境の砦を救援する後詰め軍に編成された。この後詰め軍の総大将は、国王ブリッポス本人であった。

 アナルサンドロスに率いられた騎兵部隊は、非常に精強であった。フェラキス軍の騎兵部隊を鎧袖一触に打ち破ったアナルサンドロスは、そのまま敵の主力軍を側面から攻撃した。この活躍によってフェラキス軍は敗走し、マンゲドニア王国は領土の防衛に成功したのである。

 その後もアナルサンドロスは武将として幾度も戦場に立ち、その全てで八面六臂はちめんろっぴの活躍を見せた。ブリッポス2世が崩御するまで、アナルサンドロスは十年間で敵国の城郭都市二十を陥落させるという快挙を成し遂げたのであった。この間に、周辺諸国のほとんどはマンゲドニアに服属した。


 ブリッポス2世は齢六十で崩御し、アナルサンドロスは二十六で王座に就いた。母の身分が低い彼は実家の支援を受けられなかったが、武勲を立てたことによる国民からの絶大な人気が、彼の王としての権威を後押しした。

 王となったアナルサンドロスは、早速軍事行動を開始した。自ら総勢十万の大軍を率いて攻めたのは、東方の大国、アクメデス朝ペロシャ王国であった。

 ペロシャの地に興ったアクメデス朝は二百年の歴史を持ち、肥沃な大河川の間に栄えたフグリス・ヌーブラテス文明の地を併呑して大帝国を築いていた。

 アクメデス朝は二十五万の軍隊でこれを迎え撃ったものの、兵の練度不足を見抜いたアナルサンドロスは敵の守りの薄い部分を騎兵部隊で急襲して敵軍を分断し、連携の取れなくなった敵を長槍歩兵と戦車部隊で押し包んで撃破するという形で大勝利を収めた。ペロシャ軍は敗残兵を集めて立て直しを図るも、マンゲドニア軍の快進撃は留まるところを知らず驀進ばくしんし続けた。

 マンゲドニア軍は各地の都市を落としながら、とうとうペロシャの首都ペロセポリスに迫った。敗残兵三万を何とか取りまとめたペロシャ軍は首都の城門を固く閉じて抵抗したものの、マンゲドニア軍は水源を占領した上で兵士の排泄物を大量に投げ込み水を汚染した。飲み水を確保できなくなったペロセポリスは継戦能力を喪失し、十日間ほどであっさりと陥落した。逃げ出したペロシャ王は家臣の裏切りによって命を落とし、二百年続いたアクメデス朝ペロシャ王国は、ここで地上から消し去られたのである。


 アナルサンドロス率いるマンゲドニア軍は、なおも東へ向かって進軍した。遊牧民が立てた小国家群を服属させて軍団に組み入れたマンゲドニア軍は、大河川であるウンダス川の西岸に至った。次の対戦相手は、北インディア一帯を支配していたクサイナ王国であった。

 ウンダス川一帯は、かつてウンダス文明と言われる先進的文明が勃興していた地域である。しかし環境の変化からか文明を築いた人々は消え去り、その跡地では外来の征服者たちが建てた国が興亡を繰り返した。この時代には、ペロシャ人が建てたクサイナ王国という国家が栄華を極めていた。

 クサイナ王国はウンダス川を挟んでマンゲドニア軍を迎撃する形を取った。河川をたのみに防御を行うのは兵法の常道であり、クサイナ軍の方針は決して悪いものではない。だが、如何せん数が違いすぎた。防衛のために出動したクサイナ軍は五万、対するマンゲドニア軍は四十万という大軍勢である。

 ウンダス川の渡河を許したクサイナ軍は水際で食い止めるのを諦め、各地の城郭都市による縦深じゅうしん防御を固めて持久戦を仕掛けた。大軍による遠征は、長引けば長引くほど兵の士気を低下させる。その上、補給による国庫の疲弊も馬鹿にならない。加えてマンゲドニア軍は征服した土地から招集した兵士も多く、長期戦になればそうした兵の離反も期待できる。決戦を避けて守戦を徹底するクサイナ側には、そうした意図があった。

 しかし、ここでマンゲドニアの将軍ダイ・マーラの策が光った。ウンダス川を越えてパンツシャブシャブ地方に踏み込んだマンゲドニア軍は、同地最大の城郭都市を攻略する際、高台に投石機を並べ、兵士の排泄物をかき集めて投げ込んだ。城壁の内部は排泄物による衛生環境の悪化で病気がはびこり、ろくな抵抗もできず陥落した。

 マンゲドニア軍は北上して、クサイナ王国の首都ブラジャープラに迫った。ここで負けては国が滅びるとあって、クサイナ軍もありったけの兵糧と武器を首都に運び込み、がっちりと首都の防備を固めていた。

 ところが、マンゲドニア軍はクサイナ側が予期していなかった行動を取った。ブラジャープラを無視して、その南側を通る街道を通って東に向かったのだ。


 ――東側の都市を落として、ブラジャープラの孤立を狙う策か。


 そう判断したクサイナ軍の将校は、敵軍の背後を急襲するべく、城門を開けて打って出た。行軍中の軍の背を襲えば、さしもの大軍も瓦解する……そう踏んでの決断であった。

 その決断は、全くの誤りであった。二万の兵で打って出たクサイナ軍は、くるりと方向転換して待ち構えていたマンゲドニア軍と対峙することとなってしまった。


 ――わが軍は、おびき出された……


 まんまと釣り出しに引っかかった二万のクサイナ軍は、たちまち包囲殲滅され戦場の土と化した。返す刀でブラジャープラの城内にマンゲドニア兵をなだれ込ませ、国王を捕らえて捕虜としたのは、そのすぐ後のことであった。

 

 こうしてペロシャやインディアを併呑したアナルサンドロスであったが、侵略戦争はまだ終わらない。


「東の海に至るまで、全ての土地を征服する」


 そう宣言したアナルサンドロスは、再び遠征軍を編成してインディアの地を出立した。途中、王妃であるキョニューソスの訃報が伝えられるも、彼は「東の地を征服してから葬儀を行う」と言い、本国に帰ることなく軍を進めた。目指すは極東の地、肛河流域に文明を築いたしゅうの国である。

 西方からやってきて肛河中流域を支配した臭の国は、臭の王族が統治する諸侯国との間に君臣関係を結ぶ封建制度を取っていた。しかしこの時代には臭の権威にもかげりが見え始め、各地の諸侯国が半分独立状態となっていた。

 マンゲドニア軍の攻撃を受けた臭は諸侯に号令をかけ、歩兵四十万に戦車二千台という大軍を発してこれを迎え撃った。しかし連携不足の諸侯国連合軍はあっさりと撃破され、これを打ち破ったマンゲドニア軍は臭の首都である肛京こうけいを包囲した。

 流石に肛京の守りは固く、長期戦は必至であった。ありったけの攻城兵器を用意したものの、城郭都市の攻防に慣れた臭の軍はそれらを寄せつけない。斥候からの情報では諸侯国も軍を再編しており、このままでは包囲軍は背後を狙われることとなる。

 マンゲドニアの将軍ダイ・マーラは、ここでもアナルサンドロスのために動いた。彼は服属させた山岳民族が使っていた、男子の象徴物を模した木彫りの祭器を思い出したのだ。ダイ・マーラは早速それを徴発すると、それを破城槌として前線に送り込んだ。この破城槌によってついに肛京の城門は打ち破られた。この時用いられた破城槌は歴史書「屎紀しき しゅう本紀ほんぎ」に「大魔羅だいまら破城槌」という名で記録され、後に戦国時代の日本でも同様の攻城兵器が使用されることとなる。


 肛京に入城した時、アナルサンドロスはすでに齢四十を超えていた。太子時代の軍人生活を含めれば、すでに人生の大半を戦争に費やしていたといっても過言ではない。この征服王の最期は、意外な形で訪れた。


 肛京陥落から二十日後――アナルサンドロスは馬に跨り、側近たちとともに肛京の城外で早駆けをしていた。供をしているのはかつての学友たちであり、今は皆軍の高官としてアナルサンドロスの下で働いている。きっと王は童心に返った気分になったであろう。

 ところが、アナルサンドロスは早駆けに夢中になるあまり整地された街道を外れ、悪路に入り込んでしまった。慣れない道を走らされた馬はとうとう川岸で石につまづき、横倒しに転倒してしまった。

 馬背から振り落とされたアナルサンドロスは手綱を手放してしまい、そのまま川に飛び込んでしまった。側近たちは慌てて下馬して王を助け出そうとしたが、彼らはそこで恐ろしいものを目にした。見たこともない大きな魚が近づいてきて、アナルサンドロスの股に嚙みついたのだ。

 その魚はパクーという種類で、温和ではあるものの、木の実を嚙み潰す強い歯を持っている。加えてこの時期は彼らの餌が少なく、一番貪欲になる時期でもあった。

 恐らくを木の実と勘違いしたのだろう……パクーは股のを食いちぎると、そのまま下流へと泳ぎ去ってしまった。側近たちが慌てて王を引き上げた時、王の体はすでに男のものではなくなっていた。結局、出血多量で王はその日の内に崩御してしまった――


 大陸を横断する形で築かれたアナルサンドロスの大帝国は、彼の死後程なくして分裂した。この前代未聞の征服によって西方の文化が東方に伝わり、主に芸術の世界に多大な影響を与えたことは、今日こんにちでもよく知られたことである……

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マンゲドニア王・アナルサンドロスの大遠征 武州人也 @hagachi-hm

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